スピリチュアリズム・心霊研究 人名解説
スピリチュアリズム・心霊研究 略年表

(いずれも建設途中です。今後さらに内容を充実させていく予定です。)


掲載日:2006年3月1日     
最新更新日時:2006/12/23    



人名解説


[霊媒]

D・D・ホーム (Daniel Dunglas Home 1833-1886 米)
(注:ホームと表記されることが多いが、ヒューム伯と同姓であり、米国では Hume と名乗っていたのでヒュームないしフームが正しいようである)
 自らの記述によればヒューム伯の血筋を引く父と、スコットランド高地地方出身で霊視能力に恵まれた家系出身の母の間に生まれたという。子供のいない伯母の手で育てられ、スコットランドおよびアメリカで病弱な幼年期を過ごした。13歳の時、死亡した友人の霊姿を見、17歳の時、母の死をやはり霊姿で知る。ハイズヴィル事件の2年後(アメリカ在住時)、ポルターガイスト現象を起こし、複数の学者の調査によって現象の真実性が証明され、有名になる。合衆国最高裁判事で、1852年に『スピリチュアリズム』を著わしたエドマンズ判事らも、彼の現象に大きな影響を受けた。同じころ、チェニーという著名な工場主の家で空中浮揚も起こしている。
 1855年渡英、様々な人物の同席で交霊会を行ない、物体浮揚・物質化現象や直接書記を始めとする多様な現象を起こし、多くの「真実と認める証言」が発表される(中には、自分の妻があまりに入れ込んだのをやっかみ、中傷する詩を書いたブラウニングのような人物もいた)。名声はヨーロッパ中に広まり、ナポレオン三世(チュイルリー宮殿で開かれた交霊会ではテーブルの上に手が現われ、ナポレオン一世のサインをしたという)、バヴァリア王、プロシア皇帝、ナポリ王、オランダ女王らに招かれ、社交界の花形となった(1858年にはロシア貴族の娘アレクサンドリーナと結婚、式には、トルストイ、アレクサンドル・テュマらも出席した)。1867年から69年にはアデア卿が、さらに1871年からはサー・ウィリアム・クルックスが、ヒュームの現象を調査し、「トリックの疑いは全く認められない」との結論を発表した。SPRの最も懐疑的な人物フランク・ポドモアすら、同様の意見を表明している。
 彼は交霊会の金銭的報酬を一切受け取らない清廉な人物であったが、信奉者の女性が多額の寄付をした後、心を翻したため、告訴され、敗訴したり、誹謗・中傷はもとより暗殺の危険に遭遇するなど、不幸も多かった。しかし、物質化現象、空中浮揚、物体移動、耐火現象(焼けた石炭を素手で持つなど)、音(音楽)・芳香・光などの発生、直接筆記、ダイレクト・ヴォイス、通常の霊言など、ほとんどすべてにわたるといえる現象の披露において、またその目撃・体験者の数の多さと身分の多様さにおいて、まさしくスピリチュアリズムを世界的に広めた天才であった。
 現象の多彩さ、壮大さに比べて、霊信の方はあまりめざましくなかったようで、「太陽の温度は低く、植物で覆われている」という霊信にアデア卿も戸惑ったという。ステイントン・モーゼスは「彼は善良で誠実な人物だが、知性的ではなく、論議もへただった」と述べている。
 自らの手になる著作として、Incidents of My Life, 1862 (2nd ser. 1872) および Lights and Shadows of Spiritualism,1873
 記録として、Lord Adare, Experiences with D. D. Home in Spiritualism, 1869/rev.ed.1925 や Sir William Crookes, Reserches in the Phenomena of Modern Spiritualism, 1874 を始めとする多くの書物がある。

ウィリアム・ステイントン・モーゼス (William Stainton Moses 1839-1892 英)
 霊媒、『霊訓』の記述者、SPRの創立者の一人で、スピリチュアリズムの指導者。
 イングランド東部のドニントンで、公立小学校校長である父のもとに生まれる。13歳の時ベッドフォードに移住。幼少時に際立った心霊的体験はしていない。その後、オックスフォード大学に入る。在学中一字健康を害し、半年ほどアトス山の修道院(ギリシャ正教の厳格な修道所)で過ごしている。卒業後、24歳で英国国教会の牧師となり、マン島に赴任。30歳の折に再び重病を患い、T・S・スピア博士に治療を受ける。博士がスピリチュアリストであったことから、L・ファウラー、H・A・ウィリアムズといった霊媒の主催する交霊会に参加。当初は強固に懐疑的だったが、D・D・ホームのセアンスに参加するなどして、死後存続と霊信の可能性を受け入れるようになった。1872年頃からは、自らが霊媒となって交霊会を開催、様々な物理的現象が起こるようになる。
 1873年から、霊信の受信方法として自動書記を採用、「ドクター・ザ・ティーチャー」という署名で、霊からのメッセージがもたらされる。数年後、書記の筆跡が変化し、「インペレーター」と名乗る高級霊を主とする49名の霊団による大がかりな「霊的指導」が行なわれるようになる。これは当時刊行されていた雑誌『スピリチュアリスト』に連載され(筆名はM・A・オクソン[Oxon])、1883年、霊信が終結した際に、『霊訓 Spirit Teachings』として刊行される。
 霊信の内容の高貴さに加えて、自らが霊媒として起こす物体浮揚、自己浮揚、アポーツ、芳香・音楽現象などの華々しさ、そして当人の人格の高潔さによって、当時のスピリチュアリズム運動の中核的存在となり、雑誌『ライト』の編集長となる。心霊研究協会(SPR)の設立にも尽力し、評議員も務めるが、研究者たちの極度に懐疑的な姿勢に反対し、訣別。1884年からはロンドン・スピリチュアリスト・アライアンスの会長を務めた。89年頃より健康を害し、痛風、精神的衰弱、インフルエンザを患い、92年9月、死去。『霊訓』のほかに『Higher Aspects of Spiritualism』(1880)などがある。


エウサピア・パラディーノ (Eusapia Paladino 1854-1918 伊)
イタリアの最大の霊媒。貧困の中無教育で育つが、物体移動や物質化現象など、きわめて有能な物理霊媒として活躍。ロンブローゾやリシェの研究に協力して有力な資料を残した。

レオノア・パイパー (Leonore Piper 1859-1950 米)
「心霊研究史上最大の霊言霊媒」。霊言、自動書記、霊査で活躍。初期SPRの研究者(W・ジェイムズ、ホッジソン、マイヤーズ、ロッジら)の調査に応じ、SPR会報にも膨大な記録が残されている。

グラディス・オズボーン・レナード (Gladys Osborne Leonard 1882-1968 英)
「イギリスのパイパー夫人」と呼ばれる霊言霊媒。SPRの研究に協力。支配霊「フェダ」の名前も有名。体外離脱体験も多かった。

エヴァ・C (Eva C., 1890-1943 仏)
物質化現象(エクトプラズム)の写真撮影で有名なフランスの物理霊媒。本名マルト・ベロー。リシェ、シュレンク=ノッツィング、ジュレらの研究に協力。エクトプラズムの研究に大きな貢献をした。

ジェラルディーン・カミンズ (Geraldine Cummins 1890-1969 英)
自動書記霊媒。スピリチュアリズム文献の白眉である死後のマイヤーズからの通信『不滅への道』『人間個性を超えて』のほか、『クレオパの書』『イエスの少年時代』などがある。

アイリーン・ギャレット (Eileen Garett 1893-1970 アイルランド)
霊言霊媒。英国心霊研究所を中心とした実験に協力。米国でも超心理学の勃興期の研究に協力し、きわめて確実な記録を残している。のちに米国で超心理学財団を設立、超常現象の研究者の支援に努め、イアン・スティーヴンソンの研究にも多大な援助をした。

ハリー・エドワーズ (Harry Edwards 1893-1976 英)
史上最大の霊的治療家。英国霊的治療協会会長。物理霊媒ジャック・ウェッバーの現象研究でも知られる。『霊的治療の解明』がある。

モーリス・バーバネル (Maurice Barbanell 1902-1981 英)
『サイキック・ニューズ』(1933〜)の創刊者・編集長、『トゥー・ワールズ』の編集長としてスピリチュアリズムの普及に活躍。自ら霊言霊媒として「シルバーバーチ」の通信を媒介した。

シコ・シャヴィエール (Chico Xavier 1910- ブラジル)
ブラジル・エスピリチスモの父。霊言霊媒として400冊に近い本を刊行。印税をすべてエスピリチスモに寄付し、絶大な貢献をした。


[研究者]

ロバート・ヘア (Robert Hare 1781-1858 米)
ペンシルヴェニア大学の化学の名誉教授。批判者から出発し、スピリチュアリストとなる。『心霊現象の実験的研究』により米国での普及に貢献。晩年自らも霊媒能力を獲得した。

ジョン・ワース・エドモンズ (John Worth Edmonds 1816-1874 米)
ニューヨーク州議会議員、最高裁判事などを務めたが、ハイズヴィル事件の調査を機にスピリチュアリストに転向、『スピリチュアリズム』を発表、職を逐われたが、米国社会に大きな影響を与えた。

アラン・カルデック (Allan Kardec[Hypolyte Leon Denizard Rivail]1804-1869)
スピリティスムの創始者。スイスのペスタロッチの弟子兼協力者となり、教育関係の著作を数多く刊行する一方、メスメリズムを研究するマグネティズム協会で積極的な役割を担った。友人の娘を霊媒に『霊の書』『霊媒の書』『スピリティスムによる福音』を編集・刊行。

サー・ウィリアム・クルックス (Sir William Crooks 1832-1919 英)
世界的な物理科学者で、タリウム元素の発見やX線研究の元となるクルックス放電管の発明など、偉大な業績を持つ。ヒューム、フローレンス・クックの調査をおこなう。SPR会長も務めた。

チェザーレ・ロンブローゾ (Cesare Lombroso 1836-1909 伊)
有名なイタリアの精神医学者(犯罪心理学者)。研究領域は内分泌異常,ビタミン欠乏症の研究から天才と狂気の関係を研究する病跡学(パトグラフィー),筆跡学,催眠・心霊現象の研究にいたる広範囲のものであった。中でも犯罪者の医学的・人類学的研究は,今日の実証的・科学的な犯罪学の出発点として高く評価される。エウセピアの調査によって霊魂説を確信、その普及に多大な貢献をした。

ヘンリー・シジウィック (Henry Sidgwick 1838-1900 英)
ケンブリッジ大学道徳哲学教授。客観的・批判的精神の持ち主として初代SPR会長に迎えられる。エウサピアやパイパー夫人の実験に参加。私財を投じて研究を支援、やはり研究者である夫人とともにSPRの発展に貢献した。

フレデリック・マイヤーズ (Frederick William Henry Myers 1843-1901 英)
ケンブリッジの学監、詩人、心理学者。SPRの創設者の一人。大著『人間個性とその死後存続』を著わし、閾下自我、テレパシー(彼の命名)、透視などを体系的に研究、死後存続説も支持した。死後、カミンズを通して通信を送り、霊界の構造を緻密に報告した。

サー・ウィリアム・バレット (Sir William Fletcher Barrett 1845-1926 アイ)
ダブリン王立大学物理学教授。SPRの創立者の一人、ASPRの設立推進者。ダウジングや臨終時現像の研究もおこなった。

エドマンド・ガーニー (Edmund Gurney 1847-1888 英)
SPR創立時の主要研究者。大著『生者の幻像』の大半を執筆。

シャルル・リシェ (Charles Richer 1850-1935 仏)
パリ大学医学部生理学教授。血清療法を創始し、アレルギーの一種アナフィラキシーを発見、1913年ノーベル賞受賞。エウセピアやエヴァ・Cら多くの霊媒を調査・研究し、『心霊科学年報』を創刊、1895年にはSPRの会長にもなった。主著『心霊研究30年』は英語にも翻訳され多くの読者を得た。エクトプラズムは彼の命名になる。

サー・オリヴァー・ロッジ (Sir Oliver Lodge 1851-1940 英)
イギリスの物理学者。スタッフォードシャーの生れ。ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジに学ぶ。1881年リバプール大学物理学講座の初代教授となり,1900年,バーミンガム大学の創立とともに初代学長に就任。電磁波の伝搬,エーテル理論の研究で知られ,また電磁誘導無線電信を発明し,電波の同調を初めて行うなど,G. マルコーニの無線電信に道を開いた。パイパー夫人、エウセピア、レナード夫人らを調査。死後生存の熱烈な唱道者。先立った息子レイモンドとのレナード夫人を通しての交信は有名。カミンズのマイヤーズ通信の信憑性も支持した。

リチャード・ホッジソン (Richard Hodgson 1855-1905 豪)
SPR創立期の主要研究者の一人であり、ASPRの主事となり同会の発展に寄与した。パイパー夫人の詳細な体系的研究は高い評価を得ている。

アルバート・フォン・シュレンク=ノッツィング (Albert von Schrenck-Notzing 1862-1929 独)
ドイツの代表的心霊研究者。エウセピアやエヴァ・Cを調査。特にエクトプラズムによる物質化現象を詳しく研究し大きな貢献をなした。

ギュスターヴ・ジュレ (Gustave Geley 1868-1924 仏)
フランスの代表的心霊研究者。国際超常心理現象研究所初代所長。エヴァ・Cらを対象に物質化現象を詳細に研究した。

福来友吉 (1871-1952)
日本心霊研究の草分け、念写の開発者。東京帝国大学助手として催眠などを研究した後、透視能力者の御船千鶴子、長尾郁子を調査した際、透視時に未感光の乾板にカブリが発生することを発見、念写実験を開発した。しかし反対派の策謀によって公開実験はうやむやにされ、大学を逐われ、日本の心霊研究は大きく挫折した。『透視と念写』は英語で1931年に刊行、国際的に名著と評価されている。ほかに『心霊と神秘世界』などがある。

浅野和三郎 (1874-1937)
日本スピリチュアリズムの泰斗。海軍機関学校英語教官として英文学を専攻後、大本教に参加、幹部として活動。1923年、高橋五郎らと心霊科学研究会を創立、『心霊研究』を発刊。25年大本を離脱後、29年に東京心霊科学協会を設立、『心霊と人生』を創刊し、日本におけるスピリチュアリズムの普及に大きな貢献をした。『心霊講義』『小桜姫物語』などがある。





略年表


1848年3月31日 アメリカ、ニューヨーク州ハイズヴィル(Hydesville)で、ポルターガイスト(ラップ音)が発生。住人フォックス家の三姉妹と霊との間に交信が成立。姉妹による公開交霊会は、ロチェスターやニューヨークなどで行なわれ、熱狂を呼び起こす。またこれらの経緯は当時興隆期だった大衆新聞によって、全米に報道される。
(同年2月、マルクス=エンゲルスによる『共産党宣言』刊行。)

1852年 米国の霊視哲学者アンドリュー・ジャクソン・デイヴィスの『大調和』全五巻出版。米国の霊媒ヘイドン夫人が渡英し、活動を始める。

1855年 物理霊媒D・D・ホーム(スコットランド人。米国に移住中1850年から霊能発揮)が帰英。以後、王侯貴族や著名人の間に交霊会が普及。

1856年 アラン・カルデック(本名イポリット・レオン・ドゥニザール・リヴァイユ、フランス人。1804-1869)が『霊の書』を刊行。

(1858年 ルルドでベルナデット・スービルーに聖母マリア出現。)
(1859年 ダーウィン『種の起源』刊行。)

1862年 ホワイトハウスでリンカーン大統領出席の交霊会が開催される。

1871年 物理学者サー・ウィリアム・クルックスが王立協会にスピリチュアリズムに関する報告を提出するとともに『科学ジャーナル』に見解を発表。
(同年、宗教人類学者タイラー『原始文化』刊行。)

1872年 メリルボーン・スピリチュアリスト協会(後の大英スピリチュアリスト協会)が発足。

(1873年 マックス・ミュラー『宗教学概論/入門』刊行。)

1874年 進化論提唱者アルフレッド・ラッセル・ウォーレス『奇跡と近代スピリチュアリズムについて』刊行。

1875年 ブラヴァツキー夫人、神智学協会を設立。

1881年 スピリチュアリズム月刊誌『ライト』がステイントン・モーゼスらにより創刊。
1882年 心霊研究協会(Society for Psychical Research=SPR)設立。

1883年 ステイントン・モーゼス『霊訓』刊行。

1884年 SPRの調査によってブラヴァツキー夫人の詐術が暴露される。

1885年 アメリカ心霊研究協会(ASPR)設立。

1886年 ガーニー+マイヤーズ+ポドモア『生者の幻影』刊行。

1887年 ブリットン夫人によりスピリチュアリズム週刊誌『トゥー・ワールズ』創刊。

1903年 フレデリック・マイヤーズ『人間個性とその死後存続』(遺稿)刊行。

1904年 ルドルフ・シュタイナー『神智学』刊行。

1910年 福来友吉、念写実験に成功。(『透視と念写』刊行は13年)

(1914年〜1918年 第1次世界大戦)

1923年 浅野和三郎、高橋五郎らが心霊科学研究会を創立、『心霊研究』を発刊。国際スピリチュアリスト会議がリエージュで開催。エドガー・ケイシーの「過去世リーディング」が始まる。

1927年 ウィリアム・マクドゥーガル、ライン夫妻らによってデューク大学心理学科で超心理学実験が開始される。

1929年 浅野和三郎、東京心霊科学協会を設立、『心霊と人生』を創刊。

1932年 アーサー・フィンドレーとモーリス・バーバネルによって雑誌『サイキック・ニューズ』創刊。シルバー・バーチの霊信が広く知られる。ジェラルディーン・カミンズ『不滅への道』(マイヤーズ通信)刊行。

1933年 ナンドー・フォドー『心霊科学事典』刊行。

1934年 J・B・ライン『超感覚的知覚』刊行。デューク大学に超心理学実験室開設、念力の研究開始。

(1939年〜1945年 第2次世界大戦)

1946年 ハリー・エドワーズ、霊的治療の巡回診療を開始。東京に日本心霊科学協会設立。

1951年 アメリカで超心理学財団(アイリーン・ギャレット会長)設立。

1956年 アメリカで「ブライディ・マーフィー事件」が話題となり、前世記憶への注目が始まる。

1959年、スウェーデンの映画プロデューサー、フリードリッヒ・ユルゲンソンが、鳥の鳴き声を録音している時に他界した母親の声を録音。以後、電子機器による他界交信の研究が始まる。

1960年 イアン・スティーヴンソン、生まれ変わりに関する研究をASPR会報に発表。

1969年 エリザベス・キューブラー=ロス『死の瞬間』刊行。

1971年 ロバート・モンロー『魂の体外旅行』刊行。コリン・ウィルソン『オカルト』刊行。

1974年 イスラエルの超能力者ユリ・ゲラー来日。スプーン曲げブームが起こる。

1975年 レイモンド・ムーディ『かいまみた死後の世界』刊行(邦訳1977年)。臨死体験ブームとなる。

1976年 米国で懐疑論者による「超常現象の主張を科学的に検討する委員会」(CSICOP)設立。超心理学・心霊研究への攻撃が始まる。

1977年 ジョン・F・ケネディ大学に初の超心理学修士課程が設立される。

1978年 イアン・カリー『あなたは死なない』刊行。

1983年 前世療法家グレン・ウィリストンの『Discovering Your Past Life』刊行。前世問題がブームとなる。シャーリー・マクレーン『アウト・オン・ア・リム』刊行。

1985年 日本で『世界心霊宝典』『シルバーバーチの霊訓』などスピリチュアリズム関係書籍の翻訳が盛んになり始める。

1986年、ルクセンブルグ・トランスコミュニケーション研究所(CETL)マギー&ジュール・ハーシュ=フィッシュバッハ夫妻が、ビデオカメラで超常的映像を受信。

1988年 ブライアン・ワイス『前世療法』刊行(邦訳1991年)。

1989年 イアン・スティーヴンソン『前世を記憶する子どもたち』刊行(邦訳1990年)。

1994年 マイケル・ニュートン『魂の旅――中間世の研究』刊行。前世想起催眠における「中間世」問題が重点的にクローズアップされる。



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