古代播磨の地理や産物などを記録した「播磨国風土記」の原本を“再現”する試みを、郷土史家らでつくる西播磨歴史研究会(城内義夫会長)が進めている。ほぼ同時代の出土品などから原本は「木簡」であったと推察するメンバーは「紙が貴重品であった当時、このような形で兵庫・播磨の様子が伝えられたはずだ」と自信を持って話す。(大山伸一郎)
朝廷が713(和銅6)年に命じて始まった播磨国風土記の編さんは、1300年前の715(霊亀元)年ごろ完了したとされる。播磨の10郡の記述がある現存する最古の伝本は国宝に指定され、奈良県天理市で所蔵されている。しかし、原本の形態がどのようなものだったかは明らかになっていない。
同研究会は、3年前に福岡県太宰府市で発掘された7世紀後半の戸籍木簡に注目した。複数の木板に整理用の小さな木札が取り付けられた形を、当時の特徴と判断。現存する播磨国風土記に当時の播磨国の明石、赤穂両郡の記述が無いのは、木簡の束ごと紛失したためと推測した。
長さ56センチ、幅18センチのスギやヒノキの木板に、会員の淡路剛さん(64)が古代の書体で文面を書き写し、コウゾのひもで郡名を書いた付け札を取り付けた。
半世紀にわたって地誌の研究に取り組む副会長の村上紘揚さん(74)は「伝本以前の謎は長年の疑問だったが、木簡であったとすれば謎が解ける。全国各地の状況を、朝廷に説明するための資料であった風土記の姿を想像できるのではないか」と話す。
これまでに宍粟郡と佐用郡の二つが完成。同研究会は今後、できた木簡を勉強会などで展示、活用する予定という。