“見る力”の発展 第3の眼の進化

 「第3の眼」という言葉を聞いたことがあるだろうか。二つの眼の間に位置する、もう一つの眼のことをいう。宗教上の神が持つとされるが、実は私たちの祖先も第3の眼を持っていた。その痕跡は今も私たちの脳の中で光を感じ、一日のリズムを調整する役割を果たしている。

第3の眼


第3の眼を持つシバ神の像。コブラと共に、虎の毛皮に座って瞑想する。
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 破壊と再生を司るヒンズー教の神、シバ神。その姿は、額にある「第3の眼」が印象的である。シバ神が怒るとき、第3の眼からは激しい炎が噴き出すという。

 ヒンズー教の人々は、「第3の眼」がある額の真ん中に印をつける習慣がある。魔除けのためにつけるビンディ (bindi) は、未婚、既婚によらず女性がつけるもので、最近ではプラスチックのシールでできたものなどおしゃれなものが好まれる。その他にもシンドゥール (sindoor) といって、既婚女性が髪の分け目につける赤い粉がある。これは、結婚式で新郎が新婦につけた以後、妻は毎日つけなければならない。ちょうど第3の眼のあたりに縦長につけられる赤い粉は、妻が夫のために装う化粧であり、都会から離れるほどその習慣が残っている。

 また、ヒンズー教の影響を受けた仏像にも立派な第3の眼が見られる。

 しかし第3の眼は、宗教上の話だけではなかった。

脳の中の「眼」


カマキリの「第3の眼」、触角の間にある頭頂眼。
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 カマキリなど昆虫の一部やトカゲの仲間であるカナヘビには、「頭頂眼」と呼ばれる第3の眼を持つものがいる。頭頂眼は他の二つの眼と同じように水晶体や網膜を持つ。像をとらえる機能はないが、光を感じて体温の調整やホルモンバランスの調整を行っていると考えられている。

 驚くことに、私たちの遠い祖先も第3の眼を持っていた。その痕跡は今も私たちの脳の中にある。その器官、「松果体」は脳の中にありながら、細胞レベルでは驚くほど眼、特に網膜の細胞と構造が似ている。松果体になる細胞がごく若い胚の時期には、レンズ、色素上皮、網膜ニューロンなど、眼をつくる細胞になる可能性(分化能)を持っている。つまり松果体は眼になる可能性を持ちながら、眼とはまったく別の器官に発達しているのだ。

 “完璧にして複雑きわまりない器官”

 進化論を唱えたチャールズ・ダーウィンは眼をこのように称し、比類ないしくみを備えた眼が進化論で説明できるのか、「正直なところ、あまりに無理があるように思われる」と述べた。眼という器官がいかにして作られたのかは、大きな謎を含んだ魅力あるテーマである。

 生物の眼は、進化の過程のごく初期に完成した。魚の眼も人の眼も、眼の発生の仕方については違いはなく、またその構造も似ている。しかし松果体は魚からヒトに至るまでの間に大きく変化している。眼と松果体は、発生の初期には同じ可能性を持ちながら、なぜこれほどまでに異なった形に変化するのだろうか。神経発生生物学が専門で、以前から眼の研究に取り組んでいた荒木正介教授(奈良女子大学)は、この点に強く興味を魅かれた。それは眼がどのようにできたのかを知る上で欠かせない上に、誰も研究をしていない大きなテーマだった。

 荒木教授の約20年に及ぶ詳細な実験は、「脳の中という特殊な環境が、眼になることもできる細胞を、眼ではなく松果体にする」ことを明らかにした。脳の組織そのものが細胞に与える影響と、脳の末梢神経が細胞に与える影響が、細胞を眼ではなく松果体にしている要因であることがわかったのだ。

 しかしそもそも、松果体の細胞はなぜ、眼になる可能性を秘めているのか。その答えは「一つ眼」の祖先にあった。

「一つ眼」の祖先


ナメクジウオ。ヒトを含めた脊椎動物の祖先で、眼が一つしかない。
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 私たちの祖先をたどっていくと、やがて「ナメクジウオ」という生物に行きつく。これはごく簡単な構造しかもたない原始的な生物で、注目すべきことに体の先端部に眼が一つしかない。

 私たちの祖先は眼が一つだったという事実は、何を意味しているのだろうか。

 眼の進化を考える際には、眼と極めて関連の深い「脳の進化」を考える必要がある。

 多くの生物で脳は左半分と右半分で分かれており、例えばヒトでは、言語を司るのは左脳になる。しかし脳は、当然のことながら進化の過程の最初からこのような形をしていたわけではない。おそらく一つの塊だったごく原始的な脳が、左右に分かれて現在の形態になったのだろう。この詳しい進化の様子は現在でもよくわかっていない。

 一つ眼であっても、像を見ることはできる。しかし生物は二つの眼を持つことによって、より立体的にものを見、さらに見ているものとの距離を測る能力を持つようになった。進化が繰り返され、眼が左右二分化し、そして脳も左右に分化した。眼が進化する必要があって脳が分化したのか、あるいはその逆なのかはわからない。いずれにしろ、眼も脳も、もとはそれぞれ一つのものだったものが、進化と共に左右に分かれたのだった。

 そして「第3の眼」が生まれた答えはここにあった。

リズムを刻む「眼」

松果体
松果体は目や皮膚が感じた光刺激に対応して、昼夜のリズムを調整するメラトニンを分泌する。

 第3の眼は、一つ眼が二つ眼になるときに生じた眼であると荒木教授は考えている。つまり一つの眼が左右に引っ張られ分かれる際に、もともと一つ眼があった場所に眼が残ったのだ。これが第3の眼である。第3の眼は、3番目の眼ではなく、もともと第1の眼だったのだ。

 さらに興味深いことに、松果体はトリの場合、光を感じると同時に一日のリズムを刻む生物時計(概日時計)の役割を持つ。対してヒトの場合は、生物時計の機能はもはや松果体ではなく視床下部が受け持つ。また、ヒトの場合、松果体は目や皮膚が感じた光刺激に応じてメラトニンという物質を分泌し、生物時計の刻むリズムを調整する。メラトニンは朝になると分泌が減り、夜になると増える。朝、光を浴びると良いというのは、メラトニンの分泌を抑え、体が一日のリズムを整えるためである。

 最近では、ヒトは眼や皮膚だけではなく、多くの種類の細胞で光を感じることがわかってきた。細胞を培養すると、それらは独自にリズムを刻む。それらをまとめて統括するのが松果体や視床下部の役割で、いわば生物時計の司令塔ということができる。第3の眼は、私たちの行動をコントロールしているのだ。

 私たちの祖先は眼が一つしかなかったが、それが左右に別れた際に元の場所に残った眼が「第3の眼」になったと考えられる。この第3の眼は松果体として独自に進化を遂げ、生物時計の重要な機能の一部を受け持つようになった。松果体の巧みな進化の歴史は、研究者たちの研究意欲を刺激している。

取材協力/掲載

荒木正介 奈良女子大学教授/2007年1月