原爆「伝承者」:ヒロシマ語る次世代50人 講話を開始
毎日新聞 2015年05月10日 14時11分(最終更新 05月10日 15時02分)
◇証言者に3年学ぶ
原爆を体験していない世代が中心となり、被爆者に代わって体験を語り継ぐ広島市の「被爆体験伝承者養成事業」で、3年の研修を終えた人たちが今春、講話活動を始めた。戦後70年を迎えて戦争体験の継承は全国的な課題で、広島の取り組みが注目される。
「午前8時15分、島病院の上空600メートルで原子爆弾は炸裂(さくれつ)しました」。4月末、広島市の平和記念公園にある国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の一室。「伝承者」の一人、津田久美子さん(57)=同市=が集まった市民ら約20人に語りかけた。
伝承者の養成は広島市が2012年に始めた。参加者は原爆被害の実態や話し方の講座を受け、市登録の被爆証言者から「先生」を選び、その体験を受け継いで講話原稿を書き上げる。1人が複数の証言を受け持つケースも。伝承者の認定を受けたのは広島県内外の50人で、年齢は30〜76歳。うち23人は親や祖父母に被爆者がいない。今後は主に、祈念館で定期的に開かれる被爆講話で話をする。
津田さんの母、田中郁子さん(84)は学徒動員先で原爆に遭った。3姉妹の末っ子で、ただ一人生き残った。母は多くを語らず、津田さんも特に平和活動をしてこなかった。「8月6日に灯籠(とうろう)流しに行くと、亡くなった人たちから『伝えてね』と言われている気がするようになって。年をとったせいかしら」。心境の変化が、事業への参加を決意させた。
津田さんが体験を受け継ごうと選んだ証言者が、寺前妙子さん(84)=広島市=だ。米軍が原爆を投下した1945年8月6日、女学校3年生だった寺前さんは、爆心地から約540メートルの広島中央電話局で学徒動員の勤務に就いていた。2カ月後、包帯をほどくと、左目の部分に大きな穴が開いていた。鏡に映った姿に泣いた。
寺前さんを師に選んだのは、津田さんの母と同じ年、同じ月の生まれで、学徒動員の境遇も重なったからだ。津田さんは原稿に、寺前さんの被爆体験の他、戦後は動員学徒の補償のために奔走し、乳がんや髄膜腫などを患い不安の中に生きていることも盛り込んだ。
津田さんは「わずか3年前に知り合った人の半生を伝えるのは本当に難しい。もっと寺前さんのことを知っていきたい」と話す。「教え子」の初講話を見守った寺前さんは「死んでいったみんなのことを、受け継ごうとしてくださって心強い」と語った。【高橋咲子】