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沖縄戦70年 東京でひめゆり同窓会5月10日 17時10分
太平洋戦争末期の沖縄戦で、「ひめゆり学徒隊」として動員された元学徒や、同じ学校の同級生たちが、10日、東京で同窓会を開き、70年前の激しい地上戦のなか、命を落とした友人らに祈りをささげました。
東京・品川区の会場には、戦前、那覇市にあった沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校を卒業し、疎開や結婚などで、今は関東地方で暮らしている84歳から92歳までのひめゆり同窓生、22人が集まりました。
沖縄戦で2つの学校からは、「ひめゆり学徒隊」として生徒と教員240人が動員され、負傷兵の看護などにあたるなか、半数を超える136人が犠牲になりました。
東京の同窓会は、年に1度、開かれていますが、沖縄戦から70年の節目にあたる今回は、沖縄からも、元学徒が参加しました。
会場では、学徒が戦場で互いを励ますために歌った「別れの曲」が流れるなか、全員が黙とうし、学業の志半ばで命を落とした友人らに祈りをささげました。
元学徒で横浜市に住む吉村秀子さん(89)は「心の奥には常に亡き友人たちがいます。亡くなった友人たちのため、できるかぎり語り継ぎを続けたい」と話していました。
また、沖縄から参加したひめゆり平和祈念資料館の島袋淑子館長(87)は「亡き先生や友人を忘れることなく、みんなの力で、戦争のない平和な社会を守っていきたい」と話していました。
ひめゆり同窓会東京支部の崎浜和子会長(86)は「同窓会を続けていくことで、ひめゆりの歴史を残していきたい」と話していました。
沖縄戦で2つの学校からは、「ひめゆり学徒隊」として生徒と教員240人が動員され、負傷兵の看護などにあたるなか、半数を超える136人が犠牲になりました。
東京の同窓会は、年に1度、開かれていますが、沖縄戦から70年の節目にあたる今回は、沖縄からも、元学徒が参加しました。
会場では、学徒が戦場で互いを励ますために歌った「別れの曲」が流れるなか、全員が黙とうし、学業の志半ばで命を落とした友人らに祈りをささげました。
元学徒で横浜市に住む吉村秀子さん(89)は「心の奥には常に亡き友人たちがいます。亡くなった友人たちのため、できるかぎり語り継ぎを続けたい」と話していました。
また、沖縄から参加したひめゆり平和祈念資料館の島袋淑子館長(87)は「亡き先生や友人を忘れることなく、みんなの力で、戦争のない平和な社会を守っていきたい」と話していました。
ひめゆり同窓会東京支部の崎浜和子会長(86)は「同窓会を続けていくことで、ひめゆりの歴史を残していきたい」と話していました。
ひめゆり学徒隊とは
70年前、昭和20年の沖縄戦では、沖縄県民の4人に1人が犠牲となりました。
住民を巻き込んだ地上戦のさなか、那覇市にあった沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校からは、生徒と教員240人が、「ひめゆり学徒隊」として動員されました。
生徒は皆、10代の少女たちで、負傷兵の看護などにあたるなか、半数を超える136人が亡くなりました。
住民を巻き込んだ地上戦のさなか、那覇市にあった沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校からは、生徒と教員240人が、「ひめゆり学徒隊」として動員されました。
生徒は皆、10代の少女たちで、負傷兵の看護などにあたるなか、半数を超える136人が亡くなりました。
記憶の継承には課題も
生き延びた元学徒や同窓生たちは、寄付を集めるなどしてみずからの手で、平成元年、沖縄県糸満市にひめゆり平和祈念資料館を建設しました。
年間60万人が訪れる資料館で元学徒が交代で語り部を務め、記憶の継承に取り組んできましたが、皆、80代後半となるなか、元学徒による館内での語りがことし3月で原則終了するなど、元学徒の高齢化に伴う課題も出てきています。
今は、元学徒の傍らで話を聞いてきた戦後世代の若い職員が代わりに語り部を務め、記憶を継承しようとしています。
年間60万人が訪れる資料館で元学徒が交代で語り部を務め、記憶の継承に取り組んできましたが、皆、80代後半となるなか、元学徒による館内での語りがことし3月で原則終了するなど、元学徒の高齢化に伴う課題も出てきています。
今は、元学徒の傍らで話を聞いてきた戦後世代の若い職員が代わりに語り部を務め、記憶を継承しようとしています。