让你们看看倭寇眼中的 “正确历史观” “中日战争的真相”
中戦争はなぜ起こったか。
日本は中国に「迷惑」をかけたか。
今こそ自虐史観を克服し、本当の歴史を知ろう。
日中战争为什么会发生?
日本给中国带来了“麻烦”吗?
是时候克服自虐史观,了解真正的历史了。
[蘆溝橋の上の日本兵たち。ここで共産兵
が放った銃弾が日中戦争の始まりだった]
[i][i][卢沟桥上的日本兵们。GCD士兵在这里打响了日中战争的第一枪。][/i]
かつて日本は、第二次世界大戦時に、「大東亜戦争」(アメリカはこれを太平洋戦争と呼ぶ)を戦いました。東亜とは東アジアのことです。日本は東アジアを舞台に、中国、アメリカ、イギリス、その他西欧諸国の連合軍と戦いました。
第二次世界大战期间,日本打了一场“大东亚战争”(美国称之为太平洋战争)。东亚指的就是East Asia。日本在东亚这个舞台上,和中美英以及其他西欧国家组成的盟军发生了战争。
しかし、なぜ日本はこの戦争をしなければならなかったのでしょうか。好きこのんで戦争をしたのでしょうか。いいえ、そうではありません。日本はやむなく、この戦争を戦わざるを得なかったのです。
但是,为什么日本一定要打这场战争呢?难道是想打就打的吗?不,当然不是。日本打这场战争纯属无奈之举。
大東亜戦争の発端はと言えば、中国です。日本と中国は「日中戦争」(支那事変)を交えました。
说道大东亚战争的起因,那自然是是中国。日本于中国之间发生了“日中战争”(支那事变)。
さらに日本は、アメリカとも「日米戦争」を交えます。しかし日米戦争は、中国をめぐる日米対立が原因でしたから、日米戦争は日中戦争から始まったものです。また日本が、そののちイギリスその他の西欧諸国と戦ったのも、もとはといえば中国での戦争が発端でした。
不仅如此,日本还和美国之间发生了“日美战争”。但是日美战争的原因是日美之间因中国问题而发生对立,是日中战争导致了日美战争。日本后来还和英国等其他西欧国家发生了战争,归根到底起因都是中国的那场战争。
ですから、もし日中戦争がなかったら、日米戦争も、日英戦争もなかったでしょう。そして大東亜戦争自体が、なかったに違いないのです。
因此,如果没有日中战争,日美战争和日英战争恐怕都不会发生吧。而大东亚战争毫无疑问也不会发生。
このように大東亜戦争の発端は、中国でした。すべてはそこが開始点です。なぜ日本は、中国で戦争に巻き込まれたのでしょうか。日本は、中国大陸をわがものにしようと出ていったのでしょうか。
大东亚战争的起因是中国。一切都从这里开始。为什么日本在中国被卷进了战争呢?难道是日本想把中国大陆据为己有吗?
そうではありません。日本はむしろ、中国の「内戦のわな」に、はまっていったのです。
当然不是。倒不如说日本是被套进了中国的“内战陷阱”。
史上最悪の内戦国家だった中国
中国曾是史上最糟糕的内战国家
「日本は中国を侵略した」ということがよく言われてきました。中国人がそう叫び、日本国内にいる反日的日本人もそう叫んできました。それが「正しい歴史認識だ」と。しかし史実をみるなら、決してそうではありません。
“日本侵略了中国”,因为这是“正确的历史观” 之类的话大家并不陌生。不光中国人这么喊,连日本国内的反日的日本人也这么喊。但是看看只要了解一下史实就知道绝不是这样的。
日本が中国に進出したのは、もともと中国の内戦に巻き込まれた、というのが実情です。しかし日本は、それでも中国に足を踏み入れた以上、中国の内戦を止め、中国を救おうと奔走しました。中国が共産主義国家になるのを防ごうとし、また欧米の侵略や搾取にあわない自立した民主的国家がそこに誕生するのを手助けしようとしたのです。
日本之所以会进出中国,本来就是被卷入到了中国内战之中,这是实情。但是日本涉足中国之后,为了阻止中国内战并拯救中国,为了防止中国成为GC主义国家,同时也为了帮助中国建立一个不被欧美侵略和压榨的独立自主的民主国家而四处奔波。
それは中国に安定と秩序をもたらすための人道的、道義的介入でした。
这是一种出于人道和道义上的介入,为的就是给中国带来安定与秩序。
人々の中には、日本があたかも「平和な中国」に乗り込んでいって戦争を仕掛けたかのように、思っている人もいます。しかし、当時の中国はひどい混迷と分裂の状態にあり、内乱と騒乱にあけくれる史上最悪の内戦国家でした。
很多人都认为,日本来到了一个似乎是”和平的中国“并发动了战争。然而,当时的中国处于严重的混乱和分裂状态,到处都是内乱和骚乱,是有史以来最糟糕的内战国家。
各軍閥(ぐんばつ)は血で血を争う抗争を続け、その犠牲となっているのは一般民衆でした。民間の犠牲者は、ときに数百万人、また数千万人にも達していました。そのうえ、頻繁に起こる飢饉により、百万人単位の民衆が餓死するといった事態も、何度も起きていました。
各路军阀之间流血冲突不断发生,一般民众成为了牺牲品。民间的牺牲者有时达到了数百万,甚至数千万人。不仅如此,由于时不时发生的饥荒,数以百万计的民众被饿死的事态也多次上演。
このような状態は、お隣りに住む日本としても、決して座視できないものだったのです。
在这种情况下,身为邻居的日本,决不能袖手旁观。
たとえて言うなら、長屋に住んでいる人がいて、そのお隣りに、たくさんの子どもをかかえた夫婦が住んでいるとしましょう。夫婦は毎日ケンカをしていて、物が飛び交い、しばしば窓ガラスを破って物が飛んできます。また、彼らは働かないために収入がなく、やがて子どもたちの中に飢え死にする者まで現われました。
打个比方吧,有一个住在长屋里的人,邻居是一对有很多孩子的失业夫妻。两人每天吵架摔东西砸玻璃搞得鸡飞狗跳,有的孩子甚至都饿死了。
こうした場合、お隣りに住む者としても、決して座視はしていられないでしょう。何とかしてあげたいと思うものです。
在这种情况下,身为一个邻居,难道可以坐视不理吗?难道会无动于衷吗?
それに加え、この隣人である中国の悲惨な状態を日本が座視していられない、もう一つの理由がありました。それは当時盛んになっていた西欧列強諸国とソ連(ロシア)による、アジアへの侵略です。
除此之外,日本之所以不能对中国这个邻居的惨状而坐视不理还有另外一个理由。那就是当时势头正旺的西欧列强和苏联(俄国)对亚洲的侵略。
西欧列強は当時、次々とアジア諸国に手を伸ばし、植民地化を進めていました。アジアの国々から搾取して、自国を富ませるやり方です。主人は白人で、黄色人種は召使いとなるという構図がアジアをおおっていました。
当时的西欧列强,不断地将触手伸向亚洲各国,并推进着殖民地化。一边榨取亚洲国家国家,一边积累着自己的财富。亚洲是一片白种人为主,黄种人为仆的景象。
一八三九年に起こった「アヘン戦争」は、その西欧のやり方を端的に示すものでした。これは、イギリスが清国(中国)に対して仕掛けた卑劣な戦争です。イギリスは大量のアヘン(麻薬)を清国に売りつけようとし、それを清国が拒むと、圧倒的な軍事力をもって清国を叩いたのです。このようにして中国は、西欧の植民地主義によって蹂躙(じゅうりん)されつつありました。
1839年爆发的“鸦片战争”,正是西欧国家的手段的一个典型。这是英国向清国(中国)发起的一场卑鄙的战争。英国向清国大量出口鸦片,遭到清国的拒绝,英国就以压倒性的军事力量攻打清国。从那以后,中国就不断遭到西欧殖民主义的蹂躏。
一方、ソ連も、アジアに対し膨張主義をとっていました。共産主義革命を経たソ連は、さらに「世界革命」を目指し、全世界を「赤化」(共産主義化)しようと、南下政策すなわち侵略を続けていたのです。彼らは中国も手に入れようと、虎視眈々(こしたんたん)と機会をねらっていました。
另一方面,苏联也在亚洲推行扩张主义。经过了GC注意革命的苏联,不仅在进行南下政策,也就是侵略,甚至还定下了“世界革命”的目标,企图将全世界“赤化”(GC注意化)。他们也为了将中国收入囊中,虎视眈眈地等待着机会的到来。
このように、もしこの混乱する中国に西欧列強またはソ連の勢力がいすわってしまえば、次はお隣りの日本が危険にさらされる番なのは目にみえています。
由此就显而易见了,如果混乱之中的中国成为了西欧列强和苏联的势力范围,那么下一个陷入危险之中的就是邻居日本了。
したがって日本が望んだことは、この中国が、外国の勢力に侵されることのない近代化された強力な国家となり、やがて日本とも共に手をたずさえて、西欧の植民地主義やソ連の侵略に対抗してくれることだったのです。
因此日本所期望的是,中国成为一个不被外国势力所侵略的近代化强国,最终和日本携手共进,一同抵御欧洲殖民主义和苏联的侵略。[/i]