何がショックだって、昨日の「NHKニュースウォッチ9」のニュース。小学生の好きなスポーツ、サッカーが40%、野球が14%。小学生も先生も、野球の「や」の字もご存じない。
いや、そのことよりも「学校の授業で野球を教えていた」ことですよ。
昔の学校では「野球禁止」が当たり前だった。校庭にも公園にも「野球、キャッチボールはやめましょう」という立札が立っていた。
なぜか、それくらい野球が大人気だったからだ。子どもたちはほっとけば、どこででも野球を始めた。
校庭の隅っこで、学校の廊下で、帰り道の路上で、みんな野球ごっこをした。
カサやほうきやモップをバットに見立て、ボールは丸めた雑巾、丸めたガムテープ、軟式テニスのボール。
みんな巨人や阪神の選手になったつもりで、口で実況中継をしながら夢中で野球ごっこに興じるのである。
誰も教えてくれる人などいなかった。
家に帰れば勤め帰りの親父が、背広を脱ぐ間も惜しんでテレビをつける。ナイターを見ながらビールの栓を開ける。
「試合の途中ですが」とテレビが中継を打ち切れば、ラジオをつける。試合が終われば夜のスポーツニュース。ラジオで負けていても、ひょっとするとニュースでは勝ってるかもしれない。
翌朝、親父は駅でスポーツ新聞を買って会社へ。
子どもは学校で昨日の試合のことを喋々するのである。
要するに「野球漬け」。学校で教えてくれなくたって、みんな「野球の成績は“5”」みたいなもんである。
わずか数十年で、そういう文化習俗は一気に失われた。
直截的には、1993年のJリーグの開幕が大きいだろう。商売仇はドメスティックではなく、世界が舞台である。
その後、野茂英雄やイチローがMLBに進出したが、せいぜいアメリカ大陸。
4年に一度のワールドカップのたびに、訳知りの半可通が増えて、そういう人が本格的なファンになっていく。
そして野球界も高校野球、プロ野球こそ大いに盛り上げたが、子どもたちに野球を普及するような働きは怠っていた。
そのうちに、小学生以下にサッカーがどんどん普及していって、すそ野を根こそぎ奪った。野球は根っこの部分から干上がったのだ。

「学校で野球を教える」というのは、野球がバスケットボールやサッカーなどの「マイナースポーツ(かつての、ですよ)」と同列になったということだ。
多くの子どもは、学校で教わったスポーツなんかやろうとは思わない。先生が教えることなど、どうせ面白くない。そもそも先生でさえも「面白い!」なんて思っていないのだから。
一足先に「じじいのスポーツ」化したのが大相撲だ。今や大相撲は子どもの話題からは消えてしまった。
しかし相撲は「古典芸能」としてのステイタスもある。「相撲を見に行った」というのは「歌舞伎を見に行った」と同じくらい自慢できるのだ。
その上、大相撲は所帯が小さい。本場所は年90日、観客動員は満杯でも100万人そこそこ。力士は700人いるが、年俸は合わせて20億円ほどだ。無報酬の取的が大部分を占めているからだ。
不祥事さえ起こさなければ、小さなマーケットでも生きていける。
プロ野球は年180日、観客動員は2000万人超、800人の選手の年俸は合わせて300億円を超す。しかもこれだけ人が入って、多くの球団は赤字だという。
この巨大な経済活動を維持するためには、どれだけ大きな「ファンのすそ野」が必要か。
これを考えれば、今後もNPBが同様の経済規模を維持するのはほとんど不可能だと思えてくる。
アメリカでもMLBは、年寄りのスポーツにはなっている。しかしMLBはマーケティングやマーチャンダイジングの強化、国際化などで黒字体質になっている。
野球のすそ野を広げる努力は続けるべきだ。野球の指導書を配布するのはいいことだ。でも、もはや手遅れ感が強い。NPBは、経営体質の強化を急ぐべきだろう。
親方日の丸みたいなぼやけた経営者にはご退場願おう。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。
1981年のセ・リーグ投手陣 リリーフ詳細版
広尾晃、3冊目の本が出ました。


なぜか、それくらい野球が大人気だったからだ。子どもたちはほっとけば、どこででも野球を始めた。
校庭の隅っこで、学校の廊下で、帰り道の路上で、みんな野球ごっこをした。
カサやほうきやモップをバットに見立て、ボールは丸めた雑巾、丸めたガムテープ、軟式テニスのボール。
みんな巨人や阪神の選手になったつもりで、口で実況中継をしながら夢中で野球ごっこに興じるのである。
誰も教えてくれる人などいなかった。
家に帰れば勤め帰りの親父が、背広を脱ぐ間も惜しんでテレビをつける。ナイターを見ながらビールの栓を開ける。
「試合の途中ですが」とテレビが中継を打ち切れば、ラジオをつける。試合が終われば夜のスポーツニュース。ラジオで負けていても、ひょっとするとニュースでは勝ってるかもしれない。
翌朝、親父は駅でスポーツ新聞を買って会社へ。
子どもは学校で昨日の試合のことを喋々するのである。
要するに「野球漬け」。学校で教えてくれなくたって、みんな「野球の成績は“5”」みたいなもんである。
わずか数十年で、そういう文化習俗は一気に失われた。
直截的には、1993年のJリーグの開幕が大きいだろう。商売仇はドメスティックではなく、世界が舞台である。
その後、野茂英雄やイチローがMLBに進出したが、せいぜいアメリカ大陸。
4年に一度のワールドカップのたびに、訳知りの半可通が増えて、そういう人が本格的なファンになっていく。
そして野球界も高校野球、プロ野球こそ大いに盛り上げたが、子どもたちに野球を普及するような働きは怠っていた。
そのうちに、小学生以下にサッカーがどんどん普及していって、すそ野を根こそぎ奪った。野球は根っこの部分から干上がったのだ。
「学校で野球を教える」というのは、野球がバスケットボールやサッカーなどの「マイナースポーツ(かつての、ですよ)」と同列になったということだ。
多くの子どもは、学校で教わったスポーツなんかやろうとは思わない。先生が教えることなど、どうせ面白くない。そもそも先生でさえも「面白い!」なんて思っていないのだから。
一足先に「じじいのスポーツ」化したのが大相撲だ。今や大相撲は子どもの話題からは消えてしまった。
しかし相撲は「古典芸能」としてのステイタスもある。「相撲を見に行った」というのは「歌舞伎を見に行った」と同じくらい自慢できるのだ。
その上、大相撲は所帯が小さい。本場所は年90日、観客動員は満杯でも100万人そこそこ。力士は700人いるが、年俸は合わせて20億円ほどだ。無報酬の取的が大部分を占めているからだ。
不祥事さえ起こさなければ、小さなマーケットでも生きていける。
プロ野球は年180日、観客動員は2000万人超、800人の選手の年俸は合わせて300億円を超す。しかもこれだけ人が入って、多くの球団は赤字だという。
この巨大な経済活動を維持するためには、どれだけ大きな「ファンのすそ野」が必要か。
これを考えれば、今後もNPBが同様の経済規模を維持するのはほとんど不可能だと思えてくる。
アメリカでもMLBは、年寄りのスポーツにはなっている。しかしMLBはマーケティングやマーチャンダイジングの強化、国際化などで黒字体質になっている。
野球のすそ野を広げる努力は続けるべきだ。野球の指導書を配布するのはいいことだ。でも、もはや手遅れ感が強い。NPBは、経営体質の強化を急ぐべきだろう。
親方日の丸みたいなぼやけた経営者にはご退場願おう。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
クラシックSTATS鑑賞もご覧ください。
1981年のセ・リーグ投手陣 リリーフ詳細版
広尾晃、3冊目の本が出ました。
私も見てましたがG戦の視聴率が何%とかっていう話よりよほどショックでした。
右投げの子が右足を前に踏み込んで投げている・・・
確かにもう手遅れのように思います。
そもそも当事者達がどれ程の危機感を持っているんでしょうか。
プロ野球選手が何億もの年俸を得られる時代がいつまでも続くと思ってるんでしょうか?