通りすがりさん、コメントありがとうございます
2009.08.05 Wednesday
こんにちは。
コメントをありがとうございます。
天一NET(仮)の『自己責任』は自己中心的のコメント
ごめんなさい。
ちょっと、いいたいことが分からないです。
民主主義化につながるって、どういうことなのでしょう?
じゃ、いまは、何主義状態なのでしょうか?
通りすがりさんの言う、その民主主義化(?)は、神様の目指すものなのでしょうか?
あくまでも、この現実世界が主体です。ネットの中や霊界は対象です。ネットの中に先行して理想的教会が実現してしまったら(ありえない)、それこそ世界分裂心霊ネット教会です。
ネットは対象の世界なので、現象化するのでしょう。
だからといって、天一ネットは正当化できません。
現象化(問題の具現化)するのなら、なおさら危険防止のため、公開化するか、教会の監視が必要に思います。
教会の問題を知るための天一ネットなのだから、必要なのだと?
教会の問題は、天一ネットなんていうものがなくても、十分見えると思いますが。
そうやって、摂理史とからめて自分らを正当化するのは、分派的。
?
現実的に伝道が困難なのに、ネットで、しかも、その天一ネットの中に潜伏している反対派を自然屈服(?)させるなんて、ありえません。それに、天一ネット内には、現役信者の不満の日記がいっぱいあるはずです。。。
民主主義、民主主義って、何をいいたいのか分からないのですが、ネットではなく、現実世界の教会で、問題隠さず、縦横の関係の中で解決するのが、一番早いと思います。それをネットに逃げて、どうにか解決しようと思うのが間違い。
自由な発言も良いですが、原理でいう「自由」から外れる発言は、アウトですね。
最終的には、自分で決めますね。
他人が強制しようと思っても、できません。
しかし、俺様の自由だ!と思っての選択は、実は自由ではなかったりする場合があると思うのです。その選択が神様の望まないものだった場合、自由の範疇を超えてしまって、自己満足・自分勝手ということです。罪を犯すということになるのかと・・・(幽霊食口さんのようには解説できまへんw)。
とにかく、
そんなに天一ネットがすばらしいものならば、ぜひ、このブログを統一教会の会長に紹介して、わたしがこれ以上罪を犯さないように、本部か会長からわたしにこのブログを閉じるよう言ってくださいとお願いしてください。
コメントをありがとうございます。
天一NET(仮)の『自己責任』は自己中心的のコメント
天一NETの存在はそんなに悪いのだろうか。失礼な質問だが、色々と教会・信仰面で苦しんでいる二世の立場から問わせてもらう。
教会の問題は、「縦的」な「アベル」が立っていないからではないのか。復帰摂理では、うろ覚えだが、そういう組織的な、「縦的」なカトリック教会が失敗した後、自分で自分の良心の前に神に感謝をしながら御言葉を通して信仰生活をする、という民主主義的なプロテスタント教会が生まれた。
ごめんなさい。
ちょっと、いいたいことが分からないです。
天一ネットは、「民主主義化」に繋がって行くのではないのだろうか。勿論色々な「原理観」、「信仰観」を持った人がいるだろう。「教育」が必要な場合もあるだろう。しかし、本来のアベル的教育は、弟子が自ら「学びたい」と思って弟子入りするのではないだろうか。組織的なアベルにしても、本当に弟子になりたいと思わせる人はどのくらいいるのだろうか。
もし教育が必要なら、良心的なシックが自ら天一ネットの中でアベルとして立ち、模範的な信仰生活を見せればようのではないだろうか。そうやって自然にアベルが立てば、問題解決ではないだろうか。
民主主義化につながるって、どういうことなのでしょう?
じゃ、いまは、何主義状態なのでしょうか?
通りすがりさんの言う、その民主主義化(?)は、神様の目指すものなのでしょうか?
「このままでは、ネットの中が教会になってしまいます。」といえ、そんなに悪いことであろうか。どういう教会であるかによって、すばらしいことであるかもしれない。問題は中身であろう。
あくまでも、この現実世界が主体です。ネットの中や霊界は対象です。ネットの中に先行して理想的教会が実現してしまったら(ありえない)、それこそ世界分裂心霊ネット教会です。
「信仰が歪められたりした場合、どうやって責任をとってあげるのでしょうか?」と問われては、自己責任ではないのだろうか。天一ネットには教会の現状を現象化できる力があるのではないか。
ネットは対象の世界なので、現象化するのでしょう。
だからといって、天一ネットは正当化できません。
現象化(問題の具現化)するのなら、なおさら危険防止のため、公開化するか、教会の監視が必要に思います。
私には、天一ネット内からそういう問題に対処していくほうが賢く思える。それはなぜかと言うと、天一ネットが無くなれば、教会の問題を見える場所がなくなるのではないだろうか。レントゲン撮影のように、問題が見れる場所を無くすことになってしまうのではないか。
教会の問題を知るための天一ネットなのだから、必要なのだと?
教会の問題は、天一ネットなんていうものがなくても、十分見えると思いますが。
お父様もまずはキリスト教の内部から摂理を始められたと覚えている。涙ながら自分の教会を立てられたのではなかったか。
そうやって、摂理史とからめて自分らを正当化するのは、分派的。
天一ネット内に色々な反対派や派閥ノ人たちがいるなら、そういう「カイン」と会話を始めて、今の教会が問う変われば、カインも自然屈服できるか、と反省できる貴重な場所ではないのだろうか。
?
現実的に伝道が困難なのに、ネットで、しかも、その天一ネットの中に潜伏している反対派を自然屈服(?)させるなんて、ありえません。それに、天一ネット内には、現役信者の不満の日記がいっぱいあるはずです。。。
天一ネットの事情をよく知らないものだが、私には検閲のないシック、いや教会関連者が交流できる場所の方が、「カイン的」であるからといって検閲の有る場所よりも好ましく思える。なぜならそれこそ「民主主義的」であり、天一国への近道であると思われるからだ。反対意見を禁止するだけなら、問題が表面化しないように隠すだけであり、それこそ遠回りではないだろうか。
民主主義、民主主義って、何をいいたいのか分からないのですが、ネットではなく、現実世界の教会で、問題隠さず、縦横の関係の中で解決するのが、一番早いと思います。それをネットに逃げて、どうにか解決しようと思うのが間違い。
しかし、勿論天一ネットのガイドラインがあり、それに対して色々な反則が起きている場合、管理者にもっと厳しく、教会関連者内の会話のルールを決めて、反則に対処してもらうべきであろう。ただそれは「内容的」な検閲であってはならないと思う。
自由な発言も良いですが、原理でいう「自由」から外れる発言は、アウトですね。
(勿論、「誹謗中傷発言」和削除の対処になることは可能であろう。なぜなら中傷的な表現を使わずに同じ批判をいうことは可能に思えるからである。また、疑わしい情報が流されている場合、どこから情報を得たか発表しなければいけないようにすればよいのではないか。2CHか、御言葉か、どちらの方に信憑性があるかは最終的に自分で決めなるべきではないだろうか。)
通りすがり | 2009/08/05 8:03 PM
最終的には、自分で決めますね。
他人が強制しようと思っても、できません。
しかし、俺様の自由だ!と思っての選択は、実は自由ではなかったりする場合があると思うのです。その選択が神様の望まないものだった場合、自由の範疇を超えてしまって、自己満足・自分勝手ということです。罪を犯すということになるのかと・・・(幽霊食口さんのようには解説できまへんw)。
とにかく、
そんなに天一ネットがすばらしいものならば、ぜひ、このブログを統一教会の会長に紹介して、わたしがこれ以上罪を犯さないように、本部か会長からわたしにこのブログを閉じるよう言ってくださいとお願いしてください。
教会の信仰で悩める二世の方は、今このような時期にいろいろ考えることがあるでしょう。
問題や課題を捉えたとき、中心としてアベルにより責任があるのは確かですが、カイン側にもアベルに対して諫言を含めた意見や忠告を交えて相談する事は必要だと思います。
基本は兄弟関係ですので、お互いを補う意味での授受作用は不可欠でしょう。
教会がまだ理想的な状態から程遠い現状なら、その中にあって一人一人が成長して、良くする努力が必要です。
統一教会が唱えるのは、民主主義でなく神主義ですから一元論を持って一つに調和できる原理的根拠が存在します。
天一NETのようにそんな現実から逃避する仮想的擬似教会のように機能すること自体が分派的であり、教会の成長と成熟を妨げる諸悪の根源にも成り得ると考えています。
検閲とか反対意見の禁止など、束縛のような原理に反する事を私達は主張しません。
本然の愛による、堕落性から開放された自由を勝ち取る為に、本来の教会組織を立ち直す事を中心に最初の原点に帰って一つになろうと呼びかけている訳です。
ありがとうございます。
まったく、光太郎さんのおっしゃるとおりです。
通りすがりさん;
>「信仰が歪められたりした場合、どうやって責任をとってあげるのでしょうか?」と問われては、自己責任ではないのだろうか。
そこに周囲(相手)に対して、思いやりが欠けていれば、その「自己責任」は「無責任」です。
たとえば、分派が「自己責任」で、天一ネットに分派思考を根付かせるための日記を書いて、読み手が「自己責任」で、影響されるのは、OKですか?
それは、ただの悪の繁殖ですよ。
天一ネットを擁護する方々が言う「自己責任」って、まったく変です。
それが問題であり、それゆえに天一ネットのような問題が起きるのではないか、と言いたかった。
禿頭のヒョンジンニムは韓国の教会内で「選挙」をはじめたり、透明化などと「オープン」な文化へと持っていこうとしている。結局不満を無くせば、天一ネットの問題は起きないのでは、と言いたかった。
>それは、ただの悪の繁殖ですよ。
と言われれば、そうかもしれない。うちの父はともかく天一ネットの交流を楽しんでいた。悪の繁殖になるか、善の繁殖になるかはシックしだいであろう。ならば、天一ネットの中で善の授受作用を増やせばどうか、と言う意見を言いたかった。
そういう観点から見れば、「天一NET(仮)は個人の信仰から国の摂理まで妨害するSNS」と言うブログの大は、私には的確さが足りないように思える。私には「皆さん、天一ネット内でもっと思いやりをもって、善の授受作用を増やしましょう」とアピールしたほうが賢く思われる。このブログの題からしては、良心的なシックも天一ネットの会員であれば、悪に参加していることになる。果たしてそう簡単に善悪分けられるのだろうか。本当に神を中心した授受作用はないと言いきれるのだろうか。それが特に気にかかる。決め付けているようなこのブログの題こそ良心的な天一ネット会員にとって「心情蹂躙」となるのではないのか。
どういう話かは忘れたか、10人の義人さえ見つけられれば、神はもう一度滅ぼされるべき町にチャンスを与えると言われた。そういう観点から見られてはどうか、と言いたい。
いかなる理由により、そういう勧告には意味がないと思われるなら、管理人と直接交流するか、教会幹部と交流するかがベストではないのだろうか。教会の組織と共に「アベル的」な、管理が行き届いているSNSを作ればよいだろう。話が無駄なら、管理人と話せばよい。
ただ、こういうブログの必要性はどこにあるのだろうか、と少し疑問だ。内部から改革、無理なら中心者と話す。外部から一般論で内部のものを裁くと言うのはどういうことか、とちょっと質問したかった。意図が通じなかったのは申し訳ない。
>私にとって教会組織は今、いわゆる「縦社会」だ。それが神を中心としているのなら問題は無いが、主体が対象を自然屈服できないから、対象が暴れる。いわゆる「アベル」が立っていないからだ。
>それが問題であり、それゆえに天一ネットのような問題が起きるのではないか、と言いたかった。
>禿頭のヒョンジンニムは韓国の教会内で「選挙」をはじめたり、透明化などと「オープン」な文化へと持っていこうとしている。結局不満を無くせば、天一ネットの問題は起きないのでは、と言いたかった。
ということは、天一ネットは本来あるべきものではないということですね。
本来存在しなくていい天一ネットが、なくてはならないものなのかどうかは、また別問題だと思います。
>>それは、ただの悪の繁殖ですよ。
>と言われれば、そうかもしれない。うちの父はともかく天一ネットの交流を楽しんでいた。悪の繁殖になるか、善の繁殖になるかはシックしだいであろう。ならば、天一ネットの中で善の授受作用を増やせばどうか、と言う意見を言いたかった。
天一ネットの中に神様が働くこともあるかもしれません。
善なる授受作用もあるだろうと思います。
しかし、本来、それは教会でやればいいと思うのです。
そうすれば、おのずと、アベルが立ち、教会の機能不全的な部分も解消されるかと思います。
>そういう観点から見れば、「天一NET(仮)は個人の信仰から国の摂理まで妨害するSNS」と言うブログの大は、私には的確さが足りないように思える。私には「皆さん、天一ネット内でもっと思いやりをもって、善の授受作用を増やしましょう」とアピールしたほうが賢く思われる。このブログの題からしては、良心的なシックも天一ネットの会員であれば、悪に参加していることになる。果たしてそう簡単に善悪分けられるのだろうか。本当に神を中心した授受作用はないと言いきれるのだろうか。それが特に気にかかる。決め付けているようなこのブログの題こそ良心的な天一ネット会員にとって「心情蹂躙」となるのではないのか。
「心情蹂躙」なのは、天一ネットとその管理人です。
一見、公認サイトに見えて、一見、管理がちゃんとしているように見えて、一見、なんのトラブルもないように見えて、誹謗中傷・妄想を放置して、迷惑です。
>どういう話かは忘れたか、10人の義人さえ見つけられれば、神はもう一度滅ぼされるべき町にチャンスを与えると言われた。そういう観点から見られてはどうか、と言いたい。
それとこれは別のような気がします。
もともと天一ネットは、なくてもよいSNSなのだから、無くなってもらったらよいと思います。
>いかなる理由により、そういう勧告には意味がないと思われるなら、管理人と直接交流するか、教会幹部と交流するかがベストではないのだろうか。教会の組織と共に「アベル的」な、管理が行き届いているSNSを作ればよいだろう。話が無駄なら、管理人と話せばよい。
わたしが、ただたんに、ブログだけやっているように見えると思いますが、言うべきところには言ってます。
>ただ、こういうブログの必要性はどこにあるのだろうか、と少し疑問だ。内部から改革、無理なら中心者と話す。外部から一般論で内部のものを裁くと言うのはどういうことか、とちょっと質問したかった。意図が通じなかったのは申し訳ない。
外部から一般論で判断するのが、何が悪いか、わかりません。
>本来存在しなくていい天一ネットが、なくてはならないものなのかどうかは、また別問題だと思います。
すみません、また私の表現が下手だったようです。私の意見では天一ネットは両刃の剣です。使い人によって全を繁殖する場合も、悪を繁殖する場合もあるのではないでしょうか。
それが、「本来あるべきではないもの」にどう繋がるのかがよく分かりません。日本、いや世界中のシックがインターネットで交流できることがそんなに悪いことなのでしょうか。口だって人をほめることに使えば「善」、悪口に使われれば「悪」。そういうものだと思います。
なぜかインターネット自体が悪、と思われているような印象が得られますが。それと天一ネットの問題は別なのでは。
>しかし、本来、それは教会でやればいいと思うのです。
うーん、中には外国の人もいたりしますよ。私の父の場合ですが、ずーっと前外国に行かれた兄弟とまた交流をもてたとか。そして、その国の状況で周りに教会が無いと、そういう人もいるのでは。みんなが悪人だと言うことは有り得ないでしょう。色々な状況の人が書き込んでいるだろうし。
そういう人のことも含めて一般論で裁くのに、何が悪いか、と問われても…フェアネスの問題でしょうかね。
>それとこれは別のような気がします。
では説明お願いします。
>しかし、本来、それは教会でやればいいと思うのです。
>そうすれば、おのずと、アベルが立ち、教会の機能不全的な部分も解消されるかと思います。
その言葉、では管理人さんにお返ししますが。教会で批判をして、それならアベルが天一ネットの面倒を見てくださるのでは。だめなら、もう一レベル上の責任者に相談とか。「ほうれん草」でしたっけ。
インターネットが悪いのなら、ブログも開設しなければよいのでは。連帯罪を受けることになってしまうのでは。天一ネットの救い道が無いのなら、振り返らず、別のみ胸の道を歩まれてはどうです。
救い道があるなら、管理人さんがアベルと「ホウレンソウ」して、神様に導いてもらえるのでは。
そういう形式を踏まないと、母の口癖ですが「神は働けない」のでは。
もう少し詳しく書きます。管理人さんは「天一ネット内で起きる問題」と「天一ネット存在自体の問題」を一緒に考えられてはいませんか。天一ネットに問題が無いとしても「悪」だと。今問題があるなら、解決すればよう。問題を解決した天一ネットがなぜ悪いのか。それがちょっと理解できません。
>それが、「本来あるべきではないもの」にどう繋がるのかがよく分かりません。
通りすがりさんは、教会のアベルがイマイチだから、カインが暴れ、天一ネットという問題が発生したと言っているのだと、わたしは理解しました。
ならば、「本来あるべきではないもの」ですよね。
>なぜかインターネット自体が悪、と思われているような印象が得られますが。それと天一ネットの問題は別なのでは。
ネットはどんどん使って、統一教会を宣伝したらいいと思います。
しかし、個人の信仰や縦横の授受作用の成熟のために、心情交流・信仰問題については、教会を中心にしたほうがいいと思います。
そうすれば、教会が盛り上がるでしょ。
>その言葉、では管理人さんにお返ししますが。
わたしは厳密には教会員じゃないの。
でも、あまりにも、天一ネットと、その某管理人さんが変なので、言うところには言ってます。
>うーん、中には外国の人もいたりしますよ。私の父の場合ですが、ずーっと前外国に行かれた兄弟とまた交流をもてたとか。そして、その国の状況で周りに教会が無いと、そういう人もいるのでは。
そういう利便性はありますね。
そして、周りに教会の無い方には、天一ネットが教会代わりになるのですね?
食口の横的な授受作用も力になりますから、それは否定しません。
しかし、天一ネットの会員の中には、現実逃避や依存傾向があったりするので、そのような方には警告(管理)(主管)が必要だと思います、
そうなってくると、管理者が必要になってきます。
某管理人さんは、システム的な部分は管理しますが、会員間のコミュニケーションにはノータッチです。天一ネットは、管理者・中心者不在状態ですね。それは天一ネットの致命的欠陥です。
>みんなが悪人だと言うことは有り得ないでしょう。
だいたい、みんなが悪人だなんて、わたしは言ったことがありません。
>そういう形式を踏まないと、母の口癖ですが「神は働けない」のでは。
その言葉、某管理人さんに言ってやってください。
>天一ネットに問題が無いとしても「悪」だと。
そこまでは言ってません。
改善されるべきところが、改善されれば、わたしは天一ネットを賞賛します。でも、改善は困難だと思います。
どこをどう改善すればいいか?という質問はしないでください。
それは、このブログを読めば、理解できると思いますので。
お初です。
最初からお小言は言いたくありませんが、
まず、HNを付けましょう。他の人があなたを識別する為と、自分の発言に責任を持つためです。
さてどうも、通りすがりさんもずれまくっています。
>問題を解決した天一ネットがなぜ悪いのか。
誰がそんな事を言っているのですか?
引用して指摘してください。
そんな発言誰もしていないと思いますが?
最早、問題を解決できないでしょうから、解体すべきだと言っているわけです。
例えば、通りすがりさんが、このような投稿をすること自体が、天一ネットが最早修正できない証左なんですよ。
最初から、天一ネットは無くなるべきだということではないのです。
現に、指摘事項が間違っていたら、その間違いを指摘し、もしくは改善のための話し合いをしましょう・・・・と呼びかけていましたが、
まったくなしのつぶてです。
出て来られる方は、全員・・このブログを止めろと要求する為に出て来られる。
「間違いは修正できません」
と御自分達で告白されているようなものです。
それと、あまり原理を学ばれていないようですね。
>私にとって教会組織は今、いわゆる「縦社会」
>だ。それが神を中心としているのなら問題は無い
>が、主体が対象を自然屈服できないから、対象が
>暴れる。いわゆる「アベル」が立っていないから
>だ。
>それが問題であり、それゆえに天一ネットのよう
>な問題が起きるのではないか、と言いたかった。
ここに出てこられた、人で同じような事を言われた人が居ます。
これこそ、私が警告している”分派の種”の一つです。
こういう思想をばら撒くから、天一ネットは消滅すべき存在です。
言っている意味が判りますか?
まず、このブログをなくしたいと思うならば、
じょじょまるさんが問題としている問題について、
一つ一つ考え、それが起こりうる問題なのか?起こるとすればどんな危険なのか?逆に起こらないと判断されるならば、どうして起こらないと判断されるのか考えて、意見を端的に整合性のある形にまとめて、その上で意見を作成し、
じょじょまるさんの意見に、意見を述べるべきです。
感情論や印象論は出る幕ではありません。
>じょじょまるさん
どうして、こう出てくる人出てくる人、天一ネットが消滅すべき証明をされる方ばっかり出てくるのでしょうか?
頭が痛いですね。
>まず、HNを付けましょう。他の人があなたを識別する為と、自分の発言に責任を持つためです。
わたしはどうせ一発コメントして、また去ってしまうのだろうと思ったので「通りすがり」については、口にしませんでした。ありがとうございます。
>これこそ、私が警告している”分派の種”の一つです。
教会に不満があれば、自分で教会を変えればいい。
それを、ネットの世界にぴょ〜んと飛び出して、教会のアベルがイマイチだから天一ネットがあるのだ〜みたいになってしまうと、もう、駄目。ほんと、分派的。
>どうして、こう出てくる人出てくる人、天一ネットが消滅すべき証明をされる方ばっかり出てくるのでしょうか?
そうですね。
やっぱ天一ネットは駄目じゃんな材料ばかりが揃いますね。。。
さて、まず私はじょじょまるさんの指摘されている問題がないとは言っていません。ただ、天一ネットにはポジティブな面もあるのではないか、と指摘したかったのです。そういう面を踏まえないで、批判に移らないのはどうか、とこのブログのトップを見て書き込んだのがことの始まりでした。それは、トップだけ見れば、このページの内容が随分一方的に攻撃的だと思われたからです。
さっき過去のログをすこし読ませていただきましたが、それにより、最初の印象は少し変わりました。私が単に過去のログを読まなかったから、感情的に反応してしまいました。すみません。
過去のログを読めば、確かに管理人との交流があったこと、望ましい反応がなかったということが書かれてありました。私の考えからしては、それは天一ネットを使用しないようにと進める重要な理由になります。私の表現では、こういう形になります。
一。天一ネット内では、一部のシックにより問題的な行動が起きている。
二。その問題に対して、管理人は自主的に適当な対処をしていない。
三。管理人は注意されても、否を認めない。また、対処をしない。
少なくとも、トップの文からは、こう詳しく問題が読み取れませんでした。私は天一ネットについては、父が昔の仲間と交流できたので、喜んでいたことぐらいしか、認識がありません。ですので、おせっかいと呼ばれても仕方ないと思いますが、それでもトップの文に対しては、反発してしまいました。随分一方的で、フェアじゃないな、と。なぜフェアじゃないか、というのは
一。このブログの題は随分攻撃的であり、当事者に反発させるような文ではないか。
二。天一ネットが一部のシックにとってポジティブな面があるかもしれない、ということは発言されていない。
三。一見、教会と天一ネットを両立できないと決めつけているような前提。
さて、幽霊食口さんの
>最早、問題を解決できないでしょうから、解体すべきだと言っているわけです。
という言い方には、問題を感じません。ただこのブログの最初の印象からは、結論しか読め取れず、どういう経由でそういう結論に来られたか、という情報が不明でした。
>感情論や印象論は出る幕ではありません。
には賛成できません。私は情というものも重要だと思っています。悪い印象を与えれば、聞く耳を持たない人も多いでしょう。特に自分の好きなものに一方的に悪口をいわれている、と感じたらアウトなのではないでしょうか。
また、分派、ダメな材料と呼ばわりされた私でしょうが、どうせならあと少し質問させていただきます。
一。じょじょまるさん、または幽霊食口さんは、アベルと天一ネットについてほうれんそうされたのでしょうか。
二。>それと、あまり原理を学ばれていないようですね。
と言うことについて。
三。同じく”分派の種”について。批判を述べることが行けないのでしょうか。
ほかの場所でこの質問への答えが書かれてあるのなら、場所を述べていただければ、自分で探します。原理、み言葉の本、ブログ内のポストなど。
さて、最初の私のコメントは、このブログのトップを読んでからの感想でしたので、いろいろとずれていました。また、感情的になっていました。その点おわびします。ごめんなさい。
このコメントで私の意見が少し明らかになったことを願います。
>一。このブログの題は随分攻撃的であり、当事者に反発させるような文ではないか。
わたし、ほんとうに『天一NET(仮)は個人の信仰から国の摂理まで妨害するSNS』だと思ってます。攻撃しようと思ってのタイトルではありません。当事者に向けてというよりは、天一ネットに未加入の方へのメッセージとしてブログをやってます。
>二。天一ネットが一部のシックにとってポジティブな面があるかもしれない、ということは発言されていない。
いい面はあると思います。食口同士の交流は大切ですから。
しかし、管理がしっかりしていないSNSなので、あまり良くは思えません。
たとえば、現実世界的にも、食口の交流が大切だとはいえ、その交流がどこでもいいとは思いません。やはり、問題のない場所、霊的にすっきりとした場で、交流したほうがいいと思います。
>三。一見、教会と天一ネットを両立できないと決めつけているような前提。
両立ってどういうことなのか、わからないのですが、ネットに分裂して食口が組織を作ってしまっては、分派同然です。某管理人さんは、アベルに通す、本部に通すなどの手続きが必要だったと思います。
>一。じょじょまるさん、または幽霊食口さんは、アベルと天一ネットについてほうれんそうされたのでしょうか。
だから、すでに言いましたが、わたしは厳密には教会員じゃないの。でも、あまりにも、天一ネットと、その某管理人さんが変なので、言うところには言ってます。これ以上は言えません。
>二。>それと、あまり原理を学ばれていないようですね。
と言うことについて。
幽霊食口さんが、どの部分で、どう判断されてそう言ったのかは、分かりませんが
>>私にとって教会組織は今、いわゆる「縦社会」だ。それが神を中心としているのなら問題は無いが、主体が対象を自然屈服できないから、対象が暴れる。いわゆる「アベル」が立っていないからだ。<<
さえないアベルもいるでしょうけれど、わたし的には、このアベルカイン観は「?」(違和感)です。
教会組織が縦社会だというのには「?」(違和感)です。わたしは天一ネットの問題専門でやっているので、しかも、わたしも勉強不足なので(認める)、この件は掘り下げません。
>三。同じく”分派の種”について。批判を述べることが行けないのでしょうか。
批判がいけないという意味ではなく、教会がイマイチなのを理由に、自分らの存在を正当化することが、分派的で、そういう構造が”分派の種”だと思います。(幽霊食口さんは、また別の考えでそうおっしゃっているかもしれません)
ネットでの食口の交流は否定しません。わたしもやってますから。でも、天一ネットには、改善不可能な致命的欠陥があるので、天一ネットはネット上の危険施設(欠陥構造物)だと思います。
ばたばた忙しいもので、暫くレスお待ち下さい(この10日程、仕事が山場を迎えていますので、できるだけ早くレス返すつもりですが・・・)。
ただ、気にされている箇所、
>じょじょまるさん、または幽霊食口さんは、アベ
>ルと天一ネットについてほうれんそうされたので
>しょうか。
詳しい話は出来ませんが、常識的に考えてください。
>二。>それと、あまり原理を学ばれていないよう
>ですね。
原理内容が判っていない発言(これが分派の種と表現しているわけです)やロトの話を”どういう話か忘れた”と書かれている事(中心人物となった人の路程ぐらいは聖書を読みましょう)や、ただ表層だけを見て話されている姿勢、などなどより、そう判断したわけです。
>三。同じく”分派の種”について。
>批判を述べることが行けないのでしょうか。
批判というか、意見することは問題無しです。あくまでその内容が分派の種だという事です。
アベルが立たないからカインが暴れて天一ネット問題が起きる・・・これは非原理で、統一原理と似て非なるものです。
アベルが立たないからといって、カインが暴れて良いという内容が統一原理の中にありますか?
まぁ、詳しくは今度の機会にm(__)m。
さて遅くなりましたm(__)m。
私も少しあなたを不当評価をしていたみたいですm(__)m。
厳しい事を言っていますが、それなりに好ましい反応をされていると思っています。
>さっき過去のログをすこし読ませていただきました
出来れば全部読んでいただきたいものです。
>ただ、天一ネットにはポジティブな面もあるの
>ではないか、と指摘したかったのです。
物事には何事も、メリット・デメリットがあります。デメリットばかり見ても物事は把握できませんし、メリットばかり見ても物事は把握できません。
そういった意味では、メリットを取り上げないのはおかしい・・・・という意見は正当です。
しかし、また、そのメリットとデメリットは別物です。メリットのみに気をとられている人たちに注意するのに、メリットを強調しますか?
このブログは、メリットに気をとられている人達の目を覚まさせよう、メリットに目が眩んで入ってしまう人達に注意を呼びかけようとして、じょじょまるさんが運営されているものです。
であれば、メリットを強調しますでしょうか?
ちなみに、じょじょまるさんはコミュティーを別個に運営しておられ、ネットのメリット・デメリットについては良く知っておられる。
ですから、メリットを根拠に反論されても、そんなこと最初から知っているわい・・・・となります。
ですから、
>そういう面を踏まえないで、批判に移らないのは
>どうか、
というのは、最初がずれているわけです。
それが何故起きたかというのは、とおるさんが情報を集めて居ないからです。
それは、徹さんの怠惰であり、その怠惰のせいで人を批判したわけです。
尤もこれに気付かれたら、すぐに
>私が単に過去のログを読まなかったから、感情的
>に反応してしまいました。すみません。
>さて、最初の私のコメントは、このブログの
>トップを読んでからの感想でしたので、いろ
>いろとずれていました。また、感情的になっ
>ていました。
>その点おわびします。ごめんなさい。
と仰っているのは大変好感が持てます。
>それでもトップの文に対しては、反発してしまい
>ました。
経緯を考慮すれば、じょじょまるさんはこれでも大分抑えた表現をされていますよ。
むしろ、私の方が怒っている始末です(笑)。
実際天一ネットに加入している食口が、じょじょまるさんにしでかしたことに比べれば、ぜんぜんおとなしいと思います
>>感情論や印象論は出る幕ではありません。
>には賛成できません。私は情というものも
>重要だと思っています。悪い印象を与えれ
>ば、聞く耳を持たない人も多いでしょう。
>特に自分の好きなものに一方的に悪口をい
>われている、と感じたらアウトなのではな
>いでしょうか。
情というものは大切ですよ。私が言っているのは、感情論や印象論であって、情が大切でないものではないと言っているわけではありません。
物事の是非は、感情論では決らないということを言っている訳です。
例えば、人を殺す事は悪い事です。
これが感情論に流されると、途端にぼけてきます。
例えば、安楽死・尊厳死の問題。
もうこれ以上苦しまないようにと、その人の延命処置を止める・・・・感情論としては、ものすごく同情できます。
では、死に至らしめる処置は正しいのか?
それはけして後戻りできない通過点を、神ではない誰かが判断し、通過させるという事です。
そうして、感情論により善悪が曖昧になるところに落とし罠があるのです。
論理や理屈、法などなど、それは情の目的を達成する為にあるのですが、論理や理屈、法は、情の目的を達成する為のサポートなのです。
情の曲がりや、情の暴走を押さえ、正しく満足させる為のものですから、
是非の判定では、感情論や印象論は出る幕ではないのです。
是非判定の後に、情を考慮し、最終判断しなければなりません。
>また、分派、ダメな材料と呼ばわりされた私で
>しょうが、どうせならあと少し質問させていた
>だきます。
表現方法としては“分派の種”です。
分派とは言っていません。
この違いは大きいのですが、判らなかったみたいですね。
“分派の種”とは、非常に統一原理・御言葉に似ているのに、非なるものであり、それによって行動してしまうと、統一原理や御言葉の意図する内容とはまったく逆となる考えのことです。
統一原理と御言葉は、兄弟間の和解をの為の論理です。
アベルが立たないからといって、カインが好き勝手にしてよいとか、カインをアベルが好き勝手に扱って良いとか教えているわけではないのです。
そして、統一食口は御言葉を聞き、受け入れて、実践しようとする者たちです。
であれば、統一教会が悪いから、アベルが悪いからと言って、自分たちだけで集まり、おだを巻くような真似をしても良いのでしょうか
アベルカインについては、私も考察をしています。
http://yuureisikku.blog.shinobi.jp/Entry/17/
是非とも読んでみて、参考にしてくださいm(__)m
じょじょまるさん、
なるほど、このブログは「天一ネットに未加入の方へのメッセージとして」のブログなのですか。了解しました。一応私も未介入なのですが、少しは天一ネットと関係があるので、「私宛ではないブログ」と捉えればよろしいでしょうか。今後私のような勘違い者が現れお騒がせしないように、このブログは誰宛で誰宛ではないか、もう少し明確になされたらどうでしょう。単なる提案ですので、無視されてもかまいません。
あと、「両立ってどういうことなのか、わからないのですが、ネットに分裂して食口が組織を作ってしまっては、分派同然です。某管理人さんは、アベルに通す、本部に通すなどの手続きが必要だったと思います。」と言うことについてですが、アベルに関してではじょじょまるさんは正しいと思います。
両立とは、教会生活を中心としながら、離れたシックと交流する為、天一ネットも使うという可能性についてです。分派的ではないつかいかたもあるのでは。天一ネットといわれても、色々なシックの方がいて、色々な使い方があるのでは、という指摘のつもりでした。
それともそういう場合でも「連帯罪」になるのでしょうか。
>批判がいけないという意味ではなく、教会がイマイチなのを理由に、自分らの存在を正当化することが、分派的で、そういう構造が”分派の種”だと思います。
まあ私は天一ネットにはこの件以外、特に興味は無いし、会員でもないので、「自分らの存在を正当化する」とは当てはまりません。
正当化についてですが、私は特に「正当化」したつもりは有りませんでした。私の文をそう読むこともできるでしょうが、私の言いたかったことは「因果関係」です。
・アベルがカインを屈服していれば、問題が起こらない。
・しかし現実に問題が起きている
・つまり、アベルがカインを屈服していないのでは。
と言う考えでした。私のカイン・アベルについての発言はこういう状況にたとえてください。
・一郎が次郎を殴った。
・次郎が頭が痛いと嘆いている
・そこに私が「次郎、それは一郎が君を殴ったからだよ」という。正当化ではない意味でも捉えれることが伝わればよいですが。
じょじょまるさんが天一ネットに反対だとは分かりましたが、私にはまだ問題は天一ネットというSNSのよりも、使用しているシックの一部の問題に思えます。一部と言っても九割かもしれませんが、全員そう問題的な使い方をしているとは思えません。
し、SNSまたはインターネットを通してシックが交流できる可能性があることをポジティブに捉えています。勿論、どういう人がどうやって使うかは別問題ですが。
幽霊食口さん、
あなたの意見には納得できるところがあります。確かに、デメリットで話を始める事もやり方としてはあるでしょう。
ですが、私の個人的な意見ですが、特に読む人が「メリットに気をとられている人」、または「メリットに目が眩んで入ってしまう人」ならば、デメリットだけを述べるというアプローチの仕方に反発するのではないでしょうか。
「頭ごなしに否定されている」という感じ、または「理解されていない」という感じを抱くことがあるのではないでしょうか。まずは、相手の良い面を述べてから批判する、というのが私にはより効果的なアプローチに見えます。デメリットを先に述べることが間違っているとは言いませんが、賢くないのでは、という印象が、少なくとも私にはあります。
ですが、じょじょまるさん曰く、このブログは参加している人には向けていない、と言うことなので、私の意見は御門違いと言うことでしょう。お騒がせしました。
あと「アベルが立たないからカインが暴れて天一ネット問題が起きる・・・これは非原理で、統一原理と似て非なるものです。」と言われてもまだとこが非原理なのかはよく解りません。
(さて、これ後の内容はは幽霊シックさんが投稿される前に考えをまとめた物を少し変えたものなので、まだ幽霊シックさんのブログの内容を考慮していません。一見しましたが、そんなに内容に違いは無かったと思いますので、このまま投稿します。
幽霊シックさんのブログの内容はもう一度詳しく拝見させていただきます。)
私の記憶によると確かこういうパターンであったはず。
1.アベルはカインより神に近い立場だ。
2.神はアベルに愛を与える。
3.アベルはその愛をカインに伝える責任を持っている。
4.アベルがカインに神の真の愛を伝えたなら、カインはそれを受け入れることによって、自分の責任を果たせる。
5.カインがアベルを受け入れ、一体化できたなら、二人は堕落性を脱いだという条件を果たせる。
と言う経路から上に述べたような結論、つまり
>・アベルがカインを屈服していれば、問題が起こらない。
>・しかし現実に問題が起きている
>・つまり、アベルがカインを屈服していないのでは。
にたどり着いたわけです。なぜアベルの責任と思うかは、
一。アベルは神に近い立場であり
二。それゆえ恵まれているから、です。
確かにアベルがカインを屈服させなければならない、という表現は原理に無かったと覚えています。確か、アダム家庭の復帰摂理について、原理講論はカインの責任についてしか述べていなかったのでは。
ですが、お父様のみ言葉の中にも「アベルがカインを屈服させなければいけない。」という内容があったと覚えています。また、そういう内容も講義かどこかで聴いた・読んだ覚えがあります。
さて色々とお騒がせしました。このブログは私向けの内容ではないようなので、もう基本的にはコメントを慎もうと思います。当事者ではないので当然ですが。
基本的、と言うのは、ここのコメント欄と言う場所では、もう縁ができたと言うことと、また私の意図が正しく伝わったかどうか、今このコメントでのべた意見がどう捉えられるか、と言う理由からもう少し交流を持ちたいと思っているからです。
と言うことでよろしくお願いします。
>なるほど、このブログは「天一ネットに未加入の方へのメッセージとして」のブログなのですか。了解しました。一応私も未介入なのですが、少しは天一ネットと関係があるので、「私宛ではないブログ」と捉えればよろしいでしょうか。
すみません。わたしも言葉足らずなので。
このブログは、天一ネットの会員を攻撃的に批判するためのブログではなくて、
天一ネットの管理人さん、会員さん、み加入の方、本部の方、会長、各教会の責任者、などなどの方々に読んでいただきたいです。
>それともそういう場合でも「連帯罪」になるのでしょうか。
天一ネットには、何気なく入会して、何気なく利用している方々が多いと思います。で、それを「〜〜罪」となるのかどうか・・・?情状酌量というのもあると思し、わたしは天一ネットに入会しているだけで、罪人だ!とは思いません。
ただ、某管理人さんは、別です。
かなりの責任があります。
自覚がなさそうなところが怖いです。
>じょじょまるさんが天一ネットに反対だとは分かりましたが、私にはまだ問題は天一ネットというSNSのよりも、使用しているシックの一部の問題に思えます。
SNSというツールで、食口同士とはいえ、見ず知らずの相手と交流し、規模が拡大するのは良くないと思います。
でも、根本は、使用する人の問題になってくると思います。
>一部と言っても九割かもしれませんが、全員そう問題的な使い方をしているとは思えません。
天一ネットは、多くは休眠ユーザーだと思います。
全員が全員、問題だとは思っていません。
天一ネットの異常に気がついて、退会する人が中にはいます。
何事にもいえることですが、表面的な部分にとらわれず、いいのか悪いのか、どうなのか、見極める目を持ってほしいです。
>SNSまたはインターネットを通してシックが交流できる可能性があることをポジティブに捉えています
SNSは教会主管で、教会単位でやればいいと思います。そのSNSが、横的に拡大しても、主管がはっきりしていれば、良いと思います。
そして、現実的なコミュニケーションの補助として、SNSは利用されるのが無難だと思います。
ここは天一ネットを批判するブログですから,私はあえて反対意見をこの場で主張したいとは思いませんが,あなたが孤立無援で発言されてるのが,気の毒に思えたので,一言応援のコメントです。
まだお若い方だと思いますが,あなたの態度はとても立派だと思いました。
アベルカインの捉え方に誤解があります。
繰り返しますがアベル、カインは兄弟関係です。
ですから神の立場から見て並列に存在します。
ただ役割表示として神に対して主体と対象としての位置関係が違うだけで、授受して一体となればアベルがカインになり、カインがアベルにもなる相対的な関係です。
砕けた表現をすればアベルがカインを指導し、カインはアベルに従う原則があっても結果として両方が責任を持って協力して助け合わないと全体が良くならないということです。
双方が主体意識をもって責任心情で努力するのは同じだと思います。
じょじょまるさん
原因と結果を見れば、動機と目的が分かると思います。
そもそも天一NETが発生したのは、管理人さん個人のビジネスとして収益を上げる為に、実績作りの箱物としての意図があったように推察しています。
人を集めるのにお写真を使い、天一などと公的イメージの名称を付けた経緯があり、そこに現実の教会でコミニュテイ不足や何か言いたい思いを抱えた状況がマッチして、今の天一NETが成り立ったように想像しています。
もしそうだとしたらつまり、原因が教会組織の補助機能として始まっていないから、後に手を加えて修正しょうとしても無理があるのは当然の結果と言えるかも知れません。
会員の方は、自分が属する集団が誕生した原因を追究して考えながら見極めなければなりません。
でなければ、いくら良い面を伸ばそうとしても無駄に終わる可能性が濃厚です。
結論として、天一NETは一旦消滅させて、必要なら教会を出発点としたネットコミニュティーとして再生するのが原則どた言える根拠が成り立つように私は思います。
ここでまあ、行き着く処はこの管理人さんの改心に懸かっているのが実状だと思います。
自覚して全てを告白して悔い改めるのが理想でしょうが、場合によっては非会員の食口が一丸と成り、教会本部が認識して従的立場から間違いを暴いて糾弾しながら罪を償うように指導すべきかも知れません。
そこに至る突破口さえなかなか開くのがまだまだのような気がしますが、とおるさんの見方にも変化があったようにこのブログの功績は大きいと思います。
私も微力ながらですが、幽霊食口さんと同様に応援させていただきます。
ここをご覧の食口の方も主旨に賛同されたとしたら書き込んで意思表示を表わすと、じょじょまるさんの励みにもなると思います。
>あなたの意見には納得できるところがあります。
>確かに、デメリットで話を始める事もやり方とし
>てはあるでしょう。
>ですが、私の個人的な意見ですが、特に読む人が
>「メリットに気をとられている人」、または「メ
>リットに目が眩んで入ってしまう人」ならば、デ
>メリットだけを述べるというアプローチの仕方に
>反発するのではないでしょうか。
リアルタイムで経緯をご存じないので、しょうがないのですが、メリットの面も論議して天一ネットの会員の方にも参加しやすいようにしようとしていた矢先に、天一ネットの会員さんが3〜4姪ほどですが来られ、
そのメリット論議に参加されるのでもなく、ただ、このブログがあるのが悪いのだと・・・閉める事を一方的に締めるように要求されるということがありました。
また、このブログのタイトル・姿勢・表現法はかなり変遷があり、まぁソフトな表現法の時では、無視もしくは、先に言ったように、ただ自分たちが批判されたとして、ブログを締めることを要求するという事を繰り返されているわけです。
論議も何もへったくれもありません・・・という事が事実上起こっています。
こられらのことから、じょじょまるさんはおそらく、ネット上では完全に天一ネットの会員さんたちとの対話は諦めています(私も同じですが)。
それで、今は天一ネットに未加入の方に対する警鐘、現実での兄弟姉妹の対応と、天一ネットの会員さんたちに対する警告等の目的で置かれているわけです。
そこで、タイトルや見出し文・名称等は、目的に応じて付けられますので、直言的な表現が善いと感覚的にわかられているのだと思います。
第2次大戦の発生は、イギリス等の対ドイツ宥和政策が大きな要因であったということが今では広く認識されていますが、宥和政策 即 良い政策 ではなく、場合によって使い分けなければなりません。
子供に甘い顔ばかりしてはいけないのと同じことです。
時には厳しくしつけなければなりません。
従って、とおるさんの仰る内容は尤もな面はありますが、この問題に関しては不適当だと私は思います。
>または「メリットに目が眩んで入ってしまう人」
>ならば、デメリットだけを述べるというアプロー>チの仕方に反発するのではないでしょうか。
メリット面を論議しようとしている最中に、反発されるわけですから、最早話にはなりませんので。
あと、アベルカインの話ですが(、
カインがアベルが立っていないということを根拠として、非原理的行動をすることを非原理
アベルがカインが服従しないとしてカインを責めることが非原理
カインがアベルを支え協力することを原理
アベルがカインを愛し、その思いや訴えに耳を傾けることが原理
です。つまり立場によって使用する論理が違うわけです。
カインが付き従わないことをカインがアベルの責任にする、
カインが付き従わないことをアベルがカインの責任する、
そのどちらも非原理です。それは統一原理や御言葉が教える内容ではありません。
つまり、この論理を使う時に私達はどの立場に立っているのかを確認しなければなりません。
但し、これは信仰貴台を立てたアベルと屈服したカインの立場のものに対する論理です。
ちなみに、天一ネットの会員の方が、天一ネットを正当化するために同じ論理を使っておられます。
http://j.tundoku.holy.jp/?eid=1081441#comments
をお読み下さい。
それで、とおるさんを天一ネットの擁護をされる為に出てこられた方であると判断した訳です。
天一ネットに未加入という事でしたらば、それは私の早とちりでしたねm(__)m。
それと、このブログは基本的に天一ネットの問題を取り上げているブログです。
このブログの問題についてのご意見だけではなく、じょじょまるさんが指摘する天一ネットの問題点についても、是非ともご意見を書いてください。
そちらが本筋です。
よろしくお願い致します。
幽霊食口さん、
私はいかなる理由があっても、まず相手の良いところを褒めるから批判をすることがよりいい方法だと思います。
褒めてから、間違いを正す。褒めるだけではありませんし、褒めるということと甘やかすことは違います。ですので、宥和政策とは比較できないと思います。
>従って、とおるさんの仰る内容は尤もな面はありますが、この問題に関しては不適当だと私は思います
と書かれたいますが、この問題に関して!こそ!適当なのでは無いでしょうか。単なる提案なのですが。
さて、カインアベルの話ですが、私はあなたの意見と私の意見が矛盾しているようには見えません。
確かに、誰がどういう立場に立っているか考慮しなければいけないと言うことには同意します。
ただ、立場によって追及すべき責任の内容、また、責任を追及できるための条件を考慮しなければいけないと思います。
さて、天一ネットの場合、カインアベル屈服前の状態でしょう。屈服していれば、問題は起きないわけなので、問題が起きている、即カインは自然屈服していない、と言うことになると思っています。
追及すべき責任の内容とは、立場によって異なると考えています。
アベルの場合、アベルは立場により、神から愛を受けています。
責任の内容とは、神に従い、カインを神のところへ連れ戻すことでしょう。それは、神の真の愛を相続して、カインに愛を100%与えることによってです。
相続とは、神の愛を受けて、それを神の愛と認識していることが前提となります。
また、カインを愛すべきだと認識していることも前提になります。
カインの場合、カインは立場により神の愛を受けていません。
責任の内容とは、アベルを通して、神の所へ戻ることでしょう。すなわち、堕落性に勝って、アベルに従うことを通して神に従うということです。
しかし、カインは神の愛無くしてはそう簡単に神の所には戻れません。
戻れない、とは、すべての事情を考慮した、客観的な観点から見ればそうなります。
カインの観点から見れば、「戻れない」ではなく「戻りたくない、戻る必要が見えない」と言うことになります。
それはなぜかと言うと、カインにとってはサタンの愛が最高であり、もっと良いものが有るというのを知らないからです。そういう観点から見れば、カインにしてはアベルに自主的に従うという考えが浮かぶはずがありません。
体験していないものを欲しがることはできません。
感じるのはただ現状に対しての不満でしょう。
「堕落製に勝つ」と言う考えが生まれるはずありません。サタンの愛に勝るものは真の愛しかありません。未言葉の内容、法を知ってもそれだけではサタンの愛に負けてしまうのです。
ここに「責任を追及できるための条件」と言う点が重要になります。
アベルは神側にたっているので、責任は最初から追求されます。それは勿論、神がアベルを導くからです。一番の課題は、カインを無償に愛することでしょう。
さて、カインの責任は最初からは追及されません。それはなぜかと言うと、もう述べたとおり、「神を選べる」と言う状況に立っていないからです。
責任を追及できるのは、アベルがカインに「自分は無償に愛されているのだ」と感じさせることができてからです。
すなわち、カインが「愛された」と感じてからこそ、神を選ぶか、サタンを選ぶか、と言う本当の選択肢が浮かんでくるのです。堕落性に勝ってまでアベルに従う価値があるかどうか。それとも、アベルに従っても結局幻滅して、傷ついてしまうのだろうか。
その間アベルの責任もずっと続いています。カインを見守りながら、愛し続ける、と言うのが責任なのだと思います。
ですので、正確になれば、カイン・アベル問題が解決されていない場合、二つの可能性があります。
一。
アベルが責任を果たせていない故に、カインの責任が問われる状況にはならなかった。すなわち、アベルはカインを愛すことができなかった。
歴史的に、アダム過程でのカイン・アベル関係はこういうケースであったのでは、という話が記憶にあります。
また、ノアの家庭の場合もそうでしょう。
ハムはアベルの立場を蕩減復帰できなかった、と。
二。
アベルは責任を果たせたが、カインが責任を果たせなかった。
アベルの責任はカインが責任を果たすまで終わらないので、よほどのことが無いとこのケースにはならないと思います。
たとえば、イエス様の場合です。イエス様はイスラエル人、特に十二使徒を愛されました。ですが、結局イエス様はアベルとしての責任を果たせたにもかかわらず、カインアベル一体化という使命は果たせませんでした。
さて、この内容が私の中のどこから浮かんできたのか分かりませんが、原理プラス御言葉プラス古い祝福・ファミリー、親の修練会のメモだと思います。一番怪しいのが安先生の120日修練会、または周藤先生の講義のメモのコピーでしょうか。それとも済州島女性修練会のみ言葉?
今は全て手元にありませんが、あるお方がいらっしゃれば確認できれば幸いです。昔はまあ熱心だったので、色々と読み漁っていました。今は熱がずいぶん冷めていて、勉強不足ですが。
ーーーーーー
さて、上の考察を教会内のカインアベル問題に当てはめてみると、アベルの責任は常に追及できることになります。カインの責任の追及は場合によるでしょう。ただ、アベルはアベルの立場にいる故に、私は責任が大きいと考えています。
まあ勿論、シックが教会に顔を出さない、と言うケースもあると思いますし、色々なケースがあると思います。
まあ個人的な経験からして、アベルの責任が大きいと思いますがね。その面、分派の種と言われても仕方ないと思います。ただ私はあくまでも「正当化」しているつもりでは在りません。「因果関係」のレベルで考えようとしています。
天一ネットの問題については、今までブログ内での「ここのブログに来たら一度は読んでください」の内容を読みました。
問題点とはやはり、管理人の責任だと思います。もっと追及するなら、管理人の所属の教会のアベル、でしょうか。
シックの責任と言うのもあると思いますが、基本的には管理人が環境を作るので、やはりそれが一番重要に思えます。
管理人と交流を持つこと、管理人のアベルらしき人に相談することぐらいしかできないのではないでしょうか。
それがだめなラテン一ネット使用者の意識にアピール、でしょうか。ただアピールだけでは無理でしょう。
「理屈よりも愛が強い」とは完全に当てはまらないかもしれませんが、パラダイムと言う概念を使えば、天一ネットに変わるパラダイム、つまり新しい、天一ネットより良い交流の場がないと、現使用者を説得するのは無理ではないでしょうか。
天一ネットが成功しているのは、ニーズがあるからであり、いかにして問題が起きない管理の行き届いている新しいシックの交流の場を作るかが問題ではないでしょうか。
システムとしてはやはりSNSが一番ではないかと思います。プライバシーを望む人が多いでしょうし。
ならばいかにして地区教会をSNSの中に持ってくるか、どうやってつなげるかが課題ではないでしょうか。そういう公式なシステムが一番望ましいのでは。
地区教会との直接な連帯が無理なら、連帯が無くても、天一ネットより良いSNS,またできるだけ透明な運営と管理ができている新しい環境を作ることでしょうかね。
教会本部と話し合えば、御父母様の写真、御言葉の引用も限られた範囲では可能となるかもしれません。
また、教会から公式まではなくとも、公認と認知されれば、シックは移ってくるのでは。後は天一ネット内のアベル的なシックを連絡するとか。アベル的な人がついてくれば残りもついてくるでしょう。
今の天一ネットの状況が最悪だとすれば、時間をかけて最善の状況を作るのと(公式のシステムを作るのは時間がかかると考えて)、最善ではないが今より良い状況を作る(公式ではなく公認・または管理が行き届いてる)、どちらを選ぶかの問題でしょうね。
プラグマティクな私としてなら、後者、つまりまずは「公認」のシステムを立ち上げようとするでしょうね。
全てが公式、となると組織的になり、デメリットもあるかもしれませんし、
良心的な、テクニックやインターネットの理解があるシックが公認のシステムを「自治」するとなればよいのではないでしょうか。長期的には一番トップの管理を決めるのは民主主義がベストではないでしょうかね。
そういう形式をとっても、参加したい地区の教会は参加できる、と言うこともできるでしょうし、そこから色々なレベルの責任者を選ぶ、と言うのもありだと思いますが。まあSNSについては良く分からないのですが、色々なシステムがあると思います。
食口の食口による理想世界実現の為のSNS、とか…
私は批判も重要だと思いますが、批判だけではなく、新しい可能性を開くことも重要だと思います。
「カインの場合、カインは立場により神の愛を受けていません。」と書きましたが、「受けていない」ではなく「受けていると感じていない」としたほうが妥当だったと思います。
>システムとしてはやはりSNSが一番ではないかと思います。プライバシーを望む人が多いでしょうし。
多いでしょうね。
天一ネットについてですが、
プライバシーと、食口のみという環境に見える天一ネットですが、実は違います。天一ネットの現状は、非食口と分派と食口が混在しているだろうと考えるのが自然だと思います。
プライバシーと、食口のみの環境を作って維持するには、管理が必要です。某管理人さんは、会員の管理がお粗末です。
>ならばいかにして地区教会をSNSの中に持ってくるか、どうやってつなげるかが課題ではないでしょうか。そういう公式なシステムが一番望ましいのでは。
SNSが必要ならば、地区教会に提案して、教会主管でつくればいいと思います。
アベルカイン、兄弟姉妹の連絡ツールには、SNSは便利なのではないでしょうか。
でも、会って面と向かってのコミュニケーションが十分に行えていれば、SNSは必要なくなってしまうかも知れませんが。
ほんとは、わたしが丁寧に、対応しなければならない部分もフォローしてくださって、ありがとうございます。
/////
実際は、とおるさんのような感じに捕らえている方が多いだろうと思いました。
とおるさんは、率直なところをコメントしてきていただいて、感謝します。
すでに危険なほど、ネットに時間をとられていて、
申し訳ありませんが、レスは暫くお待ち下さいm(__)m。
>じょじょまるさん
>ほんとは、わたしが丁寧に、対応しなければなら
>ない部分もフォローしてくださって、ありがとう
>ございます。
いえいえ(笑)。
出来る事をやっているだけですから。
すっかり遅くなって申し訳ありませんm(__)m。
>私はいかなる理由があっても、まず相手の良いと
>ころを褒めるから批判をすることがよりいい方法
>だと思います。
これに関しては同意できません。何故ならば、これは教育の方法だからです。
つまり、主体対象がはっきりしている場合の方法論だからです。これは愛情が流れる方向がはっきりしており、対象はその立場による心理プレッシャーにより主体側の教育や意思を正しく受け取ることが出来ない可能性が強い訳です。
つまり縦的な関係において有効な方法論です。
しかしながら、横的関係において、これはさほど有効ではありません。というのは、横的関係において互いの立場は同等であり、相手の意見は無視できるからです。
誉められる事だけを取捨選択できる訳です。
つまり、誉められる事だけは喜んで聞き、間違いを指摘したら、耳を塞ぐ事が出来ます。
こうした場合、相手の心情をほぐしながらも、指摘することは指摘するということを行わなければなりません。
そうして駄目ならば、叱りつけて相手の間違いをはっきりさせなければなりません。
心情をほぐすとは心情交流です(誉めるではなく人格的交流の事を意味しています。)心情交流を何故やるかというと、関係性の構築(人格的信頼関係)だからです。この土台の上でなければ、
但し、これは一般論です。この心情交流の土台を築けない時があります。この場合、問題点を先にはっきりさせなければなりません。
何故ならば、横的立場だと先ほど書いたように意見を取捨選択できるからです。
この場合、意見の正当性によって信頼関係の代理とするわけです。
とおるさんも無意識ですが、これに従って意見されたわけでしょ?
>さて、天一ネットの場合、カインアベル屈服前の
>状態でしょう。屈服していれば、問題は起きない
>わけなので、問題が起きている、即カインは自然
>屈服していない、と言うことになると思っていま
>す。
一応は、天一ネットの会員は屈服後のカインの立場です。御言葉を受け入れ、献祭をを御父様によって神の前に取り次がれた立場であり、御旨を担っている者達です。
ただ、現在のアベルに対して屈服していないカインである・・・・のかもしれませんが。
即ち、神の御旨を行なわない者達の前にはアベルの立場に立ちます。
これは、実体のアベルがカイン屈服という神の御旨を果たしていない場合、カインが逆にアベルの立場に立つことを意味します。
即ち、実体のアベルを内的カインとして、実体のカインが内的アベルとして屈服させる路程が始まったことを意味します。
つまり、不平不満を天一ネットで晴らしている場合ではないことを意味します。
実体のアベルに愛されなくても、私達は御父母様に愛されているわけですから、実体のアベルに愛されなくて、神の元に戻れない・・・・ではあまりにも情けないと感じます。
御父様の思想は、とにかく愛し合うことを基準に出来ています。
そして、天一ネットの会員の多くは食口であり、御父母様の愛を受けている人たちです。
自覚をして欲しいと思います。
>まあ個人的な経験からして、アベルの責任が大き
>いと思いますがね。
安心してください(笑)。アベルの責任が大きいのは間違いないです。
ただそれを自己正当化に使用するのが、分派の種であるわけです。
それは心情蹂躪という観点からも判ります。
より近い立場の人間とより遠い立場の人間が同じ罪を犯した時、どちらが心情蹂躪の度が強いでしょう?
より近い立場の人間の罪の方が、心情蹂躪の度が強いのです。
これは息子が殺人を犯した時と、誰か知らない人が殺人を犯した時の親の心情を思えば判ります。
であれば、より責任が重いのは神の立場に近い者に責任があるわけです。
但し、カインがアベルに屈服するのはあくまでカインが主体です。アベルはその共助に過ぎません。何故なら、カインが自主的に屈服しなければ屈服したことにならないからです。
>天一ネットが成功しているのは、ニーズがあるか
>らであり、いかにして問題が起きない管理の行き
>届いている新しいシックの交流の場を作るかが問
>題ではないでしょうか。
これはその通りだと思いますが、それは一般的な論理です。食口はあくまで、天の摂理を担っているものである・・・という立場からすれば、自分でそれを実体的に縦的関係を保ちながら、作り上げる立場であるという事です。
であれば、縦的関係が切れかねないものに手を出すべきものではないと私は考えます。
>食口の食口による理想世界実現の為のSNS、
理想世界とは、神を中心としますので、神との関係性が実体的に切れたものは、理想世界実現の為ものものではありませんので、
>時間をかけて最善の状況を作る
べきであろうと思います。
まぁ、そういうのを作るべきだというアピールと実験的な意味合いで、公認のものを作るというの手であるかもしれませんが。
とおるさんありがとうございましたm(__)m。
でも、こういう論議が早く出来たらよかったと思うんですが・・・
それと話題をふったにも関わらず、大変お待たせして申し訳ありませんでしたm(__)m。
納得する所もありましたが、しない所もありました。
私は、「心情交流」の中で相手のほめる所もほめる、というのを大事だと思うので、そこは納得いきません(ここは私も譲れないということで)。
まあ、これには私の性格的なことであるかもしれません。また、議論できる点ではなさそうですし、意見違いと言うことにしたいと思います。
しかし幽霊食口さんの論理に疑問ですが。
つまり縦的な関係において有効な方法論です。」と書かれていますが、カイン・アベルという関係の中でも、アベルは神に近いので、ある意味「縦的な関係」になるのではないでしょうか。
純粋に横的な関係があるとは思えません。二人が授受作用をする場合、いつも一人は神に近い位置にいるのでは。
また、私は自然屈服の場合、アベルが本当に神の愛を相続すれば、カインは自ら、自然に、屈服すると思っているので。
私の解釈では自然に重点を置いているので、アベルの責任を大きく見ているのかもしれません。カインができるだけ簡単に、自然に、それでも自主的に自ら屈服できる環境を整えるのがアベルの役割だと思っていますので。(簡単という言葉の意味が微妙ですが、好意的に解釈お願いします。)
ここでもたぶん意見違いで終わると思いますが、意見の交流ということでお願いします。
もしかして、教会で不満が言えない・言いにくい体制があって、それが問題だという場合もあるかもしれませんね。
批判を言いたいが、いったら「お前がやれ」といわれるような空気があり、しかし自分にはいかなる理由により出来ない、という場合、そう強く批判をしたくないという場合が個人的には良くあったのですが。結局「あれをこうしたらいいんじゃないか」と、ずいぶん弱いアピールになってしまい、話が流れてしまった…とか。
私の性格的なことかもしれませんが、そういう「空気」って重要なのでは、と今思いました。
ちょっと話がそれてしまいましたが、公式・公認の点でも意見違いということにしましょうか。私の単なる提案ということで。
後私の「食口の食口による理想世界実現の為のSNS」とは一般論でしたので、なぜそれが「神との関係性が実体的に切れたもの」になるのかは分かりませんが、私の表現があいまいだったのかな。
意見違い拝見違いで纏めて、疑問があるところだけ意見の交流、という流れでお願いします。
返事が遅れても別にかまいませんので、よろしくお願いします。
>教会で不満が言えない・言いにくい体制
ですが
一。教会内で何か「問題」まで行かないが、まあまあな所がある。
二。そこは批判をして、こうすればよくなるのでは、と提案したい。(改善の提案が無い場合もありますね、たんに「これはうまくいってないな」という不満だけ。)
三。しかし、そう言ったら、自分がやる羽目になるのでは、という恐れがある、またはそういう「空気」。
四。しかし、いかなる理由により、自分に「改善」までではなく、単に提案したいだけ。
五。結局、弱いアピールかで終わり、改善・不満の解決には繋がらない。
まあ、「主人意識」とか、「自己責任」言われれば終わりなんですがねぇ。
ちょっと言いにくい、または言ったとしても聞き流された(?)、と言う経験があったので。
ちょっと気になる部分だけ・・・
>私はいかなる理由があっても、まず相手の良いと
>ころを褒めるから批判をすることがよりいい方法
>だと思います。
遠く離れた友達と交流でき、自分と同じ考えの会員がすぐ見つかり、ストレス発散になり、信仰問題を相談でき、教会情報も豊富な天一ネット。
たとえ、このような利便性があっても(その利便性自体が問題)、わたしが言うデメリット、リスク等をあわせて考えれば、明らかにマイナスにしか思えませんし、横的すぎます。
初心に帰って、ネットではなく、教会を中心に授受作用し、縦横の関係を築いたらよいかと思います。
たとえば、近所に教会がない食口ならば、それはそれで、神様は何かを準備してくれていると思います。
それに、天一ネットは、教会外(教会の枠を超えて、ネット上で)で発生している問題で、その社会的責任(統一教会内ですが)と、某管理人も十分大人だということもあって、ほめてやっている暇はないし、ほめる部分が見つからない。
私はその「その利便性自体が問題」だとは思いませんので。そこについての意見が違うのでしょう。
一。私は、その利便性自体については、いい使い方もでき、悪い使い方もできるので、問題であるとは考えていません。
二。ですので、メリットになる使い方もあると考えています。それが「好意的に捉える」ことになるのだと思っています。
それに同意されないのなら、されないと言うことで。意見が違うと言うことは普通のことでしょう。
ここはじょじょまるさんのブログなので、私は意見を載せてもらっている立場ですし、長々と不毛な議論などして迷惑はかけたくありません。
私の意見がじょじょまるさんの意見と違っていると言うこと、どういうところで違っているか、その二つを理解していただければ、私も意見が違うと納得がいきますし、不毛な議論ではなかったと思えます。
ただ、どういうところで違っているかを理解されていない場合、私には「私の意見を理解していただければ、じょじょまるさんの意見も変わるかもしれない」、と思ってしまうので、私の意見をまた述べることになってしまいます。
説得したくはありません、ただ別の観点からの見方も可能だと言うことについての理解をお願いします。
>一。私は、その利便性自体については、いい使い方もでき、悪い使い方もできるので、問題であるとは考えていません。
そうですね。問題なさそうですね。
しかし、天一ネットは、使う人と目的次第の、ちょうど、刃物のように思えます。
刃物は、子供や刃物を上手に使えない人には、刃物は持たせませんし、持たせるにも、大人がついて介助したりするのが良いです。
刃物によって、所持・使用について、届出や免許が必要だったりします。
で、わたしは天一ネットは届出や免許が必要な刃物に相当すると思っています。
なので、某管理人さんは、天一ネットについては、無断で勝手に作って巨大化させないで、本部にメリット・デメリット、ビジョン等をよく説明してから、許可のもとにSNSを作るべきだったと思います。
>二。ですので、メリットになる使い方もあると考えています。それが「好意的に捉える」ことになるのだと思っています。
メリットになるSNSの使い方もあると思いますが、天一ネットは、もう、管理がなっていないので、駄目です。
教会の主管でSNSをつくるとか、もともと知っている仲間か会ったことのある仲間限定のSNSにして、交流の手段の補助的に使うとか、わたしは、SNSはなにがなんでも駄目だとは思っていません。
>おっと、もちろん「説得」はしたいですが、意見が違うと言うこともありえるので、「無理な説得」はしたくないと言うことで捉えてください。
はい。
意見は、いろいろですね。
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天一ネットの会員さんが、「自分を基準にした正当化」をしています。「自分はしっかりしているから、天一ネットは使っていいのだ」みたいな。。。
しかし、信仰まもない若いメンバーや、信仰的・精神的・人格的に問題のあるメンバーや、悪の授受作用に影響されやすいメンバー・・・そういう人たちにとって天一ネットは刃物と同じで、危険だとしか思えません。
自分を基準にして考えてもいいですが、まず、いろんなメンバーがいることを考えないといけません。
もし、わたしが教会長なら、「天一ネットはやめなさい」と号令をだすかもしれません。
なるほど、免許ですか。つまり条件が満たされていれば、問題なし、という意味ですね。満たされていないから問題がある、と。
比喩のレベルで話すのには限界がありますが、理解したつもりです。
>なので、某管理人さんは、天一ネットについては、無断で勝手に作って巨大化させないで、本部にメリット・デメリット、ビジョン等をよく説明してから、許可のもとにSNSを作るべきだったと思います。
うーん、実際どういう経由で作られたのかはわかりませんが、規模が大きくなれば「ホウレンソウ」は必要ですよね。「許可」と言えばちょっと厳しすぎるので。私は実験的に造るのには問題は無いと思いますので。試してみる、と言う発想は重要だと思いますし。
ただ、ある時点で感想を集めたり、反省したり、色々と改善すべきことを改善する、と言うことは必要ですよね。実際やってみないと、どう使われるかわからない、と言うこともあるでしょうし。
>もし、わたしが教会長なら、「天一ネットはやめなさい」と号令をだすかもしれません。
自己主管できないのなら、ファミコンを取り上げるとか…
私は別に「号令」まで行かなくとも、まずは、もっと自覚を持つように注意して、効果が無かったら号令なんか出さないで「取り上げる」べきだと思います。つまり管理人にやめるように言う、と。チャンスを与えて、責任を果たせるかですね。
ブログを読む限り、十分チャンスあったみたいですが…というか、このブログで読むことが事実なら、なぜ教会の方が管理人さんへのアプローチがないか不思議です。それもある意味では無責任だと思いますが。
まあ私も一応二世ですので、教会が不思議だと言うことも、理不尽でありえると言うことも理解していますが…
私はじょじょまるさんのアプローチの仕方には納得いきませんが、天一ネットの件が少なくとも教会の本部の人たちの目に留まり、天一ネットの状況について判断することを願います!
遅くなってごめんなさいねm(__)m
>つまり縦的な関係において有効な方法論です。」
>と書かれていますが、カイン・アベルという関係
>の中でも、アベルは神に近いので、ある意味「縦
>的な関係」になるのではないでしょうか。
アベルカインは、横的関係が壊れたものを縦的関係により復帰するという思想です。
従って、アベルカインは元来は横的関係ですが縦的関係が先に優先するという特性を持ちます。
従って、アベルカインが明確な場合は縦的関係と表現しても左程間違いはありません。
しかし、天一ネットとそれを問題にしている私達は、共に食口でありこの関係が明確ではありません。
つまり、未だ分立がなされていない状態です。
縦的関係を作れていないわけです。
縦的関係になるのはいつか?それはアベルが信仰基台を造成した時です。
アベルが献祭して、それを神が受け取った時です。
これを現実に当てはめれば、私達の主張が教会が公式に認めたときです。
従って、未だ分立が住んでいない私達は、横横の関係になっているわけです。
>純粋に横的な関係があるとは思えません。二人が
>授受作用をする場合、いつも一人は神に近い位置
>にいるのでは。
本然の世界と、現在の世界とは別けて考えるべきですが、これはその通りです。
>また、私は自然屈服の場合、アベルが本当に神の
>愛を相続すれば、カインは自ら、自然に、屈服す
>ると思っているので。
>私の解釈では自然に重点を置いているので、アベ
>ルの責任を大きく見ているのかもしれません。カ
>インができるだけ簡単に、自然に、それでも自主
>的に自ら屈服できる環境を整えるのがアベルの役
>割だと思っていますので。(簡単という言葉の意
>味が微妙ですが、好意的に解釈お願いします。)
これはその通りですが、私が書いているように、それはカインの業にアベルが共助する、カインの代理責任と言う事です。
何故なら、屈服する前のカインは非原理的存在であり、原理的責任を負えないからです。
但し、食口はあくまで公式には屈服したカインの立場にあり、カインの原理的責任をアベルに全て押し付ける事はできないということも知っておかなければなりません。
>後私の「食口の食口による理想世界実現の為の
>SNS」とは一般論でしたので、なぜそれが「神との
>関係性が実体的に切れたもの」になるのかは分か
>りませんが、私の表現があいまいだったのかな。
まぁ、私の方が口足らずだったかもしれません。
問題となった件は、私の意見のところであり、公式でないものは、実体的アベルカインの関係性が壊れているものとして捉えているので、
最善のもの、つまり、公式なもの造るべきであろうという意味です。
それと、なんとなくなんですがじょじょまるさんがここをやられている意味を御理解頂けたように感じます。
私としては、何でもいいからきちんと授受をしていただければ、けして、じょじょまるさんの言動は理非に外れていないという事を、ご理解していただけると思っているのですが・・・・・、
ですので、今回のとおるさんの態度は非常に立派だし、他の人に対する良い範を示してくださったと思います。何年、信仰してもこういうことが全く判らない人も居ますし、年若くてもちゃんとやれる人も居る。
先の者が後になり、後の者が先になる。
本当にそういう時代なんだなぁとつくづく思います。
幽霊食口さん、
ご意見、有難うございました。
横横関係がいつ縦横関係になるのか、私も「認められる」、という点は重要に思えますが、それはこの場合、自然に決まっていたものが、公認されるというものだと捉えています。
すなわち復帰摂理の場合、アベルの位置に立たされた人が、献祭することによって、内的にも成長できる、ということであり、
本然の世界の場合、内的にもうアベルの人が、内的な素質により、自然と「献祭」と認められる言動を通して、外的にも(位置を与えられることによって)認められると思っています。
ただ、幽霊食口さんの、横的関係では、立場が公認になっていないので、相手は批判を無視できる、という点にも一理あると思います。(公認のアベルでも無視される、という場合もありますが…)。
ともかく、ご意見は参考になりました。どうもありがとうございます。
もうひとつ、「代理責任」と「何故なら、屈服する前のカインは非原理的存在であり、原理的責任を負えないからです。」の件に関してですが、参考になる御言葉をご存知でしょうか。ちょっと興味があるので。
>けして、じょじょまるさんの言動は理非に外れていないという事を、ご理解していただけると思っているのですが・・・・・、
私は、じょじょまるさんの言動は理非に外れてはいないと思いますが、私の個人的な原理観、または信仰観から見ては、非常に納得の行かないアプローチです。それは、意図が善しとしても、いかなる状況であってもです。
しかし、原理観・信仰観の面での違いなど、よくあることです。それに、じょじょまるさんの批判も(このブログを元に判断すれば)基本的には正しく思えます。
個人的には、批判されている人が批判と客観的に向かい合う為には、「アプローチの仕方」というハードルが高すぎる気がしますが、一応じょじょまるさんのスタンスは理解できたつもりです。
じょじょまるさんを直接には応援しがたく思いますが(アプローチについて意見が違うので)、間接的には、じょじょまるさんの善意と努力が認められることを願っています。私の批判も含めて、応援と捉えていただけますか?
幽霊食口さんにも、原理についての解説、有難うございました。ほめられて恐縮です。
カイン・アベル問題はまったく根本的な問題なので、参考になる別意見を細かく伺うことができて、本当に勉強になりました。
ということで、皆さん、有難うございます。
>私の批判も含めて、応援と捉えていただけますか?
ありがとうございます。
とおるさんの質問等を受けて、わたしのブログは、内容をもう少し整理しないと、理解しづらいかなあと、思いました(反省)。
とおるさんのおっしゃる内容は、多くの方が思うところだと思います。ご意見を伺えて、ありがたく思ってます。
>「アプローチの仕方」
ブログでは書けない内容があって、アプローチに関しては、伏せさせてもらってる部分があります。
質問されても、ノーコメントになります。
なので、とおるさんが、「アプローチの仕方」に関して、納得できないとおっしゃるのは、当然だと思います。申し訳ありません。
大変遅くなり、また後回しになりまして、申し訳ありません。
で、回答しようと思ったら
>もうひとつ、「代理責任」と「何故なら、屈服する前の
>カインは非原理的存在であり、原理的責任を負えないか
>らです。」の件に関してですが、参考になる御言葉をご
>存知でしょうか。ちょっと興味があるので。
というご質問で、勘違いでアベルカインの位置決定に関する御言葉を持って来てしまいました。
ちなみに、御質問関連の御言葉は、今現在ぱっとは思い浮かびません。
御言葉による直接的なものはなかったような気がします。
何かの信仰講座的解説の中にあったような気がしますが、
現在、それらの書籍は手元においていません・・・。
とにかく、御言葉に関しては探してみます。
なお、折角ですので・・・・
アベルとカインの位置関係に関する御言葉の根拠としては、下記のような御言葉を参考にして下さい。
天聖教 罪と蕩減復帰 第4章蕩減路程と私達の生活 p1171
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復帰の道を行くために、まず信仰基台を立てなければなりません。信仰基台は自分が一を確保し得る確固とした基盤を築き、主体的立場に立つために必要なのです。その次は、自分自ら目的に向かっていけるようになったとしても、それだけでは駄目なので、戻ってきて実体基台を立てなければならないのです。
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天聖教 罪と蕩減復帰 第4章蕩減路程と私達の生活 p1171〜1172
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信仰基台が立てられたというのは、条件的立場で、神様を不信することによって堕落したことを、信じることができるアダムの立場、すなわち希望的なアダムの立場にもう1度立ったということです。このようになったのちは、サタンと闘って実体基台を立てなければならないのです。アベルの立場でカインを屈服させなければならないのです。
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つまりアベルカインというものが発生するのは、アベルが信仰基台を立てた時以降ということが判ります。
それ以前にアベルカインは実体的には発生していないとも言えます。
これを更に観点を変えると、信仰基台というのは実体基台の位置決めの役割を果たしているとも言えます。
アベルがアベルである理由は、信仰基台を立てたことにより、つまり、供え物が神に受け取られた事により決定されているわけです。
勿論、内的には信仰基台造成以前より、心情などにより分別摂理が始まり、召命などが行われるわけですが、その時点ではまだ未分立です。
多少原理講論の記述とは違うのですが、
例えば、ノアは120年間箱船を作りましたが、作っている最中はまだアベルの立場に立っていないわけです。
この時点で、他の人間はノアを嘲笑い、その言うことに耳を貸さなくても審判されないわけです。
しかしながら、ノアが箱船を作り終え、アベルの立場に立った後、これに従わなければ審判されるわけです(但し、ノアの祭物は箱船と洪水期間であったので正式には、洪水審判が終わった後にアベルの立場に立つわけですが、洪水審判は神の責任分担であるため、ノアの場合は実質的には箱船の建造によってアベルの立場に立っています。何故なら箱船をノアが120年間懸命に作ったことを条件として洪水審判を起こされたことを原理講論は明らかにしていますが、それは即ち、神が箱船を献祭として受け取られたことを意味しているからです)。
動物たちを乗せたノアは他の人に勧告したに違いありません。それに従わない時、他の人々は審判を受けたのです。
牧会者の道 p44
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そこにはもちろん、彼を鍛錬するという理由もありますが、全世界を救うために自分を精いっぱい犠牲にしようとする彼を通して、神様はもっと多くの人々を救おうとされるのです。義人であり、正直な人であり、善なる人であったノアは、いつも悲しい心情で、涙を流しながら、自分を犠牲にしなければなりませんでした。彼は自分のためではなく、他人のために自分を犠牲にしなければなりませんでした。
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尤も、ノアは摂理的にはアダム(父母)の立場で信仰基台を復帰していますので、屈服させる路程は行きませんでした(つまり、父母の立場で信仰基台を立てられた場合、カイン側は、アベルに屈服して貰うのを待つ余裕はなく、その指導に従わなければ審判を受けるわけです)
そういうわけで、アベルの位置は信仰基台がなった時に確立されるわけです。
次のような御言葉と原理講論の記述を参考にしてください。
牧会者の道 p858〜849
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縦的に見れば先生が長子の位置にいて、皆さんは次子の位置にいるのです。また、横的に見れば皆さんが長子の位置にいて、先生が次子の位置にいるのです。それで皆さんを復帰させようとするならば、先生は奉仕しなければならないというのです。
<中略>
言い換えれば、先生と皆さんの関係と同じように、皆さんと食口の関係においても、縦的には皆さんが兄の位置にいて、食口は弟の位置にいるために、自動的に支配できるのです。支配することが出来ますが、外的な世の中で横的に対する時は支配できないのです。皆さんがアベルの位置にいて、食口たちがカインの位置にいるのです。逆さまになるのです。ですから、彼らを復帰するためには、責任者がアベルの蕩減路程を代わりに経なければならないのです。そうしなければ復帰できないのです。同じ道理です。
-----------------------------------------------
牧会者の道 p865
-----------------------------------------------
蕩減の道は誰が行かなければならないのですか。アベルが行くのです。それでは、教会責任者として新しく入った人を見たとき、誰がアベルですか?(教会責任者です)それではカインが蕩減の道を行くことができますか、できませんか。答えてみなさい。そういうことがありますか、ありませんか?ないというのです。
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御父様はカインの分類として、天側カイン・サタン側カインという分類をされています。天側カインの代表として洗礼ヨハネをあげておられます。この分類で言えば、屈服前のカインはサタン側カイン、屈服後のカインは天側カインです。
ちなみに、洗礼ヨハネは神が準備され召命され、洗礼ヨハネはそれに応えていますので、イエス様に屈服できず、教団に入っていなくても、屈服後のカイン、天側カインとなります。
この立場で反逆したために、洗礼ヨハネは悲惨な最期となってしまったわけです。
単に入教したての食口、または、新しいアベルを迎えた食口は、御言葉や御父母様に屈服しているだけの天側カインであり、これを責任者は復帰する使命があります。
アベルとカインが一体となって、カインが蕩減の道を行くことが出来るようになります。
食口はこういう事を、特にアベルの立場に立つ方達は肝に銘じて欲しいと思います。
逆に、初めて出会った責任者、新しく赴任されてきた責任者は、洗礼ヨハネの前に送られたイエス様の立場です。迎えた食口は、そのアベルのために準備された使命者であり、屈服する使命があります。
そうすることによって、初めて路程を出発することが出来るのです。
食口はこういう事を、特にカインの立場に立つ方達は肝に銘じて欲しいと思います。
2015/2/17 12:25
精神科医の香山リカさんの話 携帯端末は常に身に付けているため、嫌なことがあったり怒りを覚えたりしたときに、一呼吸置かずに書き込んでしまう怖さがある。実生活が思うようにいかず、インターネットの投稿で憂さ晴らしをしている人が、特に若い世代で多いのではないか。
ただ実際には社会的な地位がある人も悪意ある書き込みをすることがあり、不可解だ。ネットは双方向のコミュニケーションができる場なのに一方的に投稿し、後は逃げたり知らないふりをしたりするという人が多い。書かれた相手がどういう思いをするのかを想像する力が全体的に劣ってきていると感じる。〔共同〕
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG17H2H_X10C15A2CR0000/