ときには豪快に大笑いをしながら、自身の早大生だったころのお話をしてくださった若本さん。心にいつまでも響いているような重厚感あふれる声は、TVCFやアニメ作品でお聞きするよりも迫力倍増、魅力全開…。異色の経歴から、現在の声優という仕事への思い、そして早稲田への思いを渋く語っていただいた。
拳一筋の4年間あれよあれよと警視庁機動隊へ
生まれは下関だけど、関西の泉州で育ったんだよ。関西の気風って、とにかく濃いのよ。非常に濃い。ここでやっていくのは並大抵のことじゃないな、と思ってね(笑)。それで関東圏の早稲田の法学部も受験したわけです。入学してすぐ決めたのは、少林寺拳法部への入部。それがえらい4年間の始まりでした。なにが大変って、一切女っ気なしのどつきあいの日々。合宿は鳥取砂丘で地獄の砂漠合宿で、とにかく拳一筋の4年間でした。そうそう!同級生で忘れちゃならないのが、吉永小百合さん!
たまに戸山の学食に行く度にどきどきしてたよ(笑)。同じ学部なら、隣の席に座ったりしてたかもしれない! ほんと憧れだったなぁ…今も憧れてますけどね(笑)。授業は、さすが早稲田よ…と思う講義がたくさんあった。中でも、後に第12代総長になられる西原春夫先生が当時の法学部の部長でね、お人柄が伝わるきちーっとしたわかりやすい講義が印象深いですねぇ。
あと外岡茂十郎先生!
先生の親族法の講義は名講義でした。具体例を出されて微々細々にわたり、いつも面白い話をされていたなぁ。4年になってからは外交史を担当されていた入江啓四郎先生が大好きだったから、大学院へ行こうかと。でも試験に落っこちちゃった。就職課に行っても「あなた今まで何をしてたの?」って言われちゃうし。ある会社を紹介してもらってなんとか三次試験まで残った。重役面接のその日、順番を待っている間に会社で一生懸命働く人たちを見ていたら、なぜかすっかりやる気がなくなってしまって(笑)。就職課の人には「君はいったい何をやりたいんだね!」って叱られました。
だから「ハラハラドキドキする仕事はないですか?」って聞いたら、警視庁の募集ポスターを指さされた。締め切り間近で慌てて書類を提出して、やっと採用。4月1日付で中野警察学校に入学、10月には現場に。現場に出るなり“新宿騒乱事件”や“東大安田講堂事件”があって、大変な時代だった。今は考えられないような時代だったけどね。
天からチャンスが降ってきた?地下鉄で拾った声優への道
警視庁では2年くらい働いていたかなぁ……。
退官後、日本消費者連盟でがむしゃらに働いていた。でもいろいろな経緯があって、辞職願をぽーんと置いて出ていったんだ。それからが、大変だった。なんのめどもないから。毎日、毎日、いろいろあたってみてもだめでさ。でも、たまたま乗り込んだ地下鉄の網棚から奇跡のようにチャンスが落ちてきたのよ。酔って長座席に大の字になって寝ころんでいたら、顔の上に新聞紙が落ちてきて。朦朧としながら振り払おうとしたら、社会面の“アテレコ教室生徒募集!”という文字が酔眼に飛び込んできた。当時、放送されていた海外映画やドラマは全部吹き替えだったの。新劇などの役者の方々がされていたんだけど、在野の声優を養成しようということで、電通のテレビタレントセンターとタイアップして養成所を作ることになった。それで社会面で受験生を募集していたのよ。
「演じる」なんてことは今まで一度もしたことがないけれど、せっかく降ってきた縁だし受験しようかと。台詞を言うこと自体初めてだからさ、とにかく元気よくしゃべろうと思って字面通り一生懸命台詞を読んだわけ。そうしたら、審査員の中で真ん中あたりに座っていらっしゃった頭の薄い人がね、僕にしきりに質問する。なんだろう?と思いながら試験は終了。一週間後に合格通知が届きました。実は、その頭の薄い人は養成所を司っている東北新社(株)の中野寛治さんだった。後から聞いた話だと、みんな不合格判定だったのに、中野さんだけが「なんとかものになりそうだから、引き受けさせてくれ」って言って下さってギリギリ合格したらしいんだ。これが25歳の時。声優の勉強を始めるには、ずいぶん遅い方かもしれないけど、新しいスタートを切りました。
結局、俺みたいなやつは組織じゃやっていけなかったんだろうなぁ
今思うとむしろ25歳で声優として、新たなスタートを切れたことはよかったと思っている。いわゆるサラリーマン組織ってやつが、だめだった。以前「なぜ声優になろうと思ったんですか?」って聞かれたけど、なろうと思ってなったんじゃない、食うために生きていくためにならざるを得なかったんだ、と思うんだ。人とうまくやっていけるタイプじゃないから、ひとりでやっていける仕事に就くしかなかったんだよ。
声優だったら自分さえ精進して、うまくなれば食えるしね。拳一筋から踏み込んだ声優の仕事は、おもしろかった。そのうち「もっとうまくなりたい」と欲が出てくる。この世界に入った頃は、声優界には綺羅星のごとくすばらしい方々がすでにいらっしゃった。納谷悟朗さんや、僕の師匠の黒沢良さん、城 達也さん、若山弦蔵さんなんかが大活躍されていた。スタジオでの先輩方の仕事を見ながら「どうしてこんなにうまいんだろう?」っていつも衝撃を受けていた。「この世界に入ったからには、あんな風になりたい」って思ってたもんな。時間はかかったけど、なんとか今、なれたかな…ってとこですね(笑)。
集中すれば、自然と結果がついてくるひとたびマイクの前に立てば、そこに意識が集中する
仕事を続ける上で大切なのは集中力だと思うんだよね。普段はほとんど集中力はないけど、マイクに向かうと一気に集中力が出る。
仕事へ一体化していく感じになる。やっぱり集中力があるやつが、勝つと思う。集中できるものを見つけるには、どうやって自分と相対峙するか? それしかないんだよね。自分と向き合って得た答えに没頭するしかない。あとは泥のように働くしかないの。格好つけないで、集中して働く。
仕事を長く続けるには、もうこれしかない。
反骨精神なんて教わるもんじゃないだろ?早稲田魂は、自然に身についた気がするね
やっぱり早稲田のスピリットって、反骨だよね。それは自分の中で大きい部分を占めていると思う。反骨とはこういうものだ、なんて教わったことはないんだけどさ、なんとなく周りにそういう人が多かったんだよね、早稲田って。独立独歩的な人が多かった。だからかな、少林寺拳法部の同期って7人いるんだけど、みんなすごいとこに就職してんの。俺は…あれ?って感じか(笑)同期のやつらは、みんなそれぞれの場所で努力している。
だから俺も一日5時間のトレーニングも欠かさないし、年に2回の修行も必ずやる。でも世界には、もっと努力をして血のにじむような鍛練をしているやつがごろごろいるからさ、いくつになっても気は抜けないよね。
格好つけている暇なんかない。目指すは前人未到の声の世界
学生だと人生の長さがちょっと見当つかないところがあるかもしれないね。あと何十年もある!って思ってるんだろうけど、わかんないよ? 明日死んじゃうかもしれないじゃない? だから、格好つけてる暇なんかないの、人生は短いから!
だからいつも自分が危篤状態だと思って、今日できることをやればいいの、そしたらものすごい力が出るから!
うじうじなんかしてらんないもん。ご臨終寸前なんだから(笑)。僕も拳を握って更なる精進をしてね、前人未到の声の世界を目指していきたいな、って思ってる。若本規夫しか表現できない世界を作りたい。こんなこと言うと、なに言ってるんだって叩かれるかもしれないんだけどさ(笑)。でも誰も知らない世界を目指すって、わくわくするじゃない?
そのかわり前人未到に到達するには、ものすごい努力がいるけどさ。たぶん前人未踏の世界って、自分の軸が自分の中心に置いていないと見えてこないと思う。周囲の顔色をうかがっていてもだめだし、努力を惜しんでもだめ。だから早稲田マンには舗装された道を歩いていくんじゃなくて、獣道をなたで切り拓いて自分で道を作っていく自分中心の歩き方をしてほしいね。もちろん早稲女も、負けずに拳に力をこめて、な?
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