スイスのラジオ局から先日メールがあって、日本の宗教事情についての番組を作るために訪日するけれど、インタビューを受けてくれるかというお訊ねを頂いた。
現代日本の宗教事情について詳しく知りたいなら「えーひとがおりまっせ」ということで釈先生を巻き込んで再来週、練心庵で二人でインタビューを受けることになった。
いきなりインタビューされても答えに詰まることもあろうから、事前に質問状を送って欲しいと書いたら、こんな質問状が今朝届いた。
スイスのラジオ局のひとりのディレクターから見えた「現代日本のイメージ」がはっきりと示されていて、たいへん興味深かったので、和訳したものを掲載しておく。
どういうふうに答えようか、これから考えてみる。
質問状はここから↓
今日の日本に「日本の国民的信仰」というものは存在しますか?
単なる社会契約という以上の国民的な統合の軸というもの、アメリカ人における「市民宗教」(religion civique)に類するものは存在しますか?
あるとすれば、それは日本文化の宗教的層である「無常感」のようなものでしょうか?
物質主義的な文化は日本の霊的生活にどのような影響を及ぼしているでしょう?
それは伝統的な宗教実践や、「マーケット志向的」(orientés client)な新しい宗教運動の出現には関与しているでしょうか?
先祖伝来の宗教文化の次世代への継承は果されているでしょうか?
日本は新しい外来の新しい宗教的表現(例えば韓国におけるペンテコステ運動のような)ものに対して開かれているでしょうか?
外来の宗教的表現に対する日本人の態度は、すべての外来の文物に対する程度と同一のもの(興味は示すが、どこか不信感もある)でしょうか?
あなたはマンガの専門家でもありますけれど、霊的な問題意識はこの領域には入り込んでいるでしょうか?
マンガの世界から派生した独特なモラルというものは存在しているでしょうか?
現在政権の座にある日本の右翼( la droite japonaise actuellement au gouvernement)の政治的アジェンダには「宗教的」な面があるでしょうか?
神道は明治維新のもとで政治的目的のために功利的に利用されたのでしょうか?
靖国神社への参拝はその政治目的のひとつの実例なのでしょうか?
仏教もこのような歴史的変化によってその性格を変えたのでしょうか?
保守的言説が犠牲的精神や簡素さや愛国心や権威を讃えることと関連はあるのでしょうか?
「欧米由来の進歩的なヒューマニズム」に反対する言説と宗教の関係はどうなっているのでしょう?
戦後日本の「平和主義・平等主義的で寛容な」教育は物欲を煽ることで国を滅ぼしたとして糾弾されていますが、このような批判は日本国内ではどのように受け止められているのでしょうか?
個人主義は日本では敵と認定されたのですか?
民主主義的な価値観は日本では断罪されているのですか?
私が読んだものの中で、日本の社会学者たちは「無縁社会」(連帯を失った社会的危機)について言及していましたが、この概念は厳密にはどういうことを意味しているのでしょう?
意味の危機、未来への信頼の危機、アイデンティティーの危機、そういう危機感は日本の人口の高齢化とかかわりがあるのでしょうか?
日本の若者たちの一部が伝統的な社会経済の構造について無関心であることにかかわりがあるのでしょうか?
このような保守的言説には地理的に多少の偏り(都市部か地方か、中心か周縁か)があるのでしょうか?
戦後70年経ちましたが、日本は後戻りのできない方向に舵を切っているのでしょうか?(le Japon prend-il un virage irréversible ?)
あなたは坂本龍馬について言及していましたが、現在の日本が次第に閉じられた国になりつつあることに裏切られた気持ちを持っているのでしょうか?
あなたの父親は第二次世界大戦後の日本の再建にかかわってきたそうですが、あなたは(憲法九条に示されるような)平和主義的な日本はその終末を迎えていると考えていますか?