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原発NO!に疑問を持っています

早速ですが、村上さんは海外でのスピーチで原発反対を訴え、メディアもそれを伝えていました。ただ私自身は原発についてどう自分の中で消化してよいか未だにわかりません。親友を亡くしたり自分自身もけがをしたり他人にさせたりした車社会のほうが、身に迫る危険性でいえばよっぽどあります。(年間コンスタントに事故で5000人近くが亡くなっているわけですし)。文明と書かれたおもちゃ箱の様な物の中から、一つ原発を取り出して「これはNO!」と声高に叫ぶことが果たしてどこまでフェアなのかがよくわからないのです。もちろん原発なんてない方がいいとは思うのですが、世界を見渡せば増える傾向にしかないですし。原発反対=正義のような図式も違うと思うし……。

この先スーパーエネルギーが発見されて、原発よりも超効率がいいけど超危険、なんてエネルギーが出たら、それは止めてせめて原発にしようよなんて議論になりそうな、相対的な問題にしかどうしても思えないのですがどうでしょうか……。
(アジアンタム、男性、38歳、鍼灸師)

たしかに年間の交通事故死が約5000人というのは問題ですよね。それについてはなんとか方策を講じなくてはと、もちろん僕も思います(最近は年々減少しているようですが)。しかし福島の原発(核発電所)の事故によって、故郷の地を立ち退かなくてはならなかった人々の数はおおよそ15万人です。桁が違います。それだけの数の人々が住んでいた土地から強制退去させられ、見知らぬ地に身を寄せて暮らしています。家族がばらばらになってしまったケースも数多くあります。その心労によって命を落とされている方もたくさんおられます。自死されたかたも多数に及んでいます。その人々の故郷はいつ戻れるかもわからない土地として、打ち捨てられています。

もしあなたのご家族が突然の政府の通達で「明日から家を捨ててよそに移ってください」と言われたらどうしますか? そのことを少し考えてみてください。原発(核発電所)を認めるか認めないかというのは、国家の基幹と人間性の尊厳に関わる包括的な問題なのです。基本的に単発性の交通事故とは少し話が違います。そして福島の悲劇は、核発の再稼働を止めなければ、またどこかで起こりかねない構造的な状況なのです。

効率っていったい何でしょう? 15万の人々の人生を踏みつけ、ないがしろにするような効率に、どのような意味があるのでしょうか? それを「相対的な問題」として切り捨ててしまえるものでしょうか? というのが僕の意見です。

それからちなみに、「年間の交通事故死者5000人に比べれば、福島の事故なんてたいしたことないじゃないか」というのは政府や電力会社の息のかかった「御用学者」あるいは「御用文化人」の愛用する常套句です。比べるべきではないものを比べる数字のトリックであり、論理のすり替えです。僕は何度もそれを耳にしてきましたが、耳にするたびにいささか心がさびしくなります。

村上春樹拝

ナポリのドライバーに気をつけろ

村上さんは見通しのいい道路で、どうみても車が来る気配がない状況で横断歩道が赤信号の時、信号無視をしますか? ちなみにわたしはたぶんしてしまいます。
(しゅーごろー、男性、30歳、会社員)

だいたいにおいて外国ではみんな信号無視していますね。だから僕も慣れてしまいました。日本の人って、みんなよく律儀に信号を守りますよね。ニューヨークの人がいちばん信号を守らないかな。とてもアグレッシブです。ナポリのドライバーは赤信号は「ゆっくり進め」で黄色は「ただの装飾」だと思っているという記事が新聞に載っていました。「ただの装飾」ってすごいですよね。ナポリに行く方は気をつけてください。

村上春樹拝

質問を送ろうと生徒に呼びかけたのに

春樹さんこんにちは。『少年カフカ』以来、こうして春樹さんに直に話す事の出来る機会を待ち望んでいました。同時代に敬愛する作家と共に歳を重ねることが出来る幸せを日々感じています。
僕は現在高校教師(国語)をしています。事あるごとに教室で春樹さんの話をしています。ついつい嬉しくて、今回期間限定でウェブサイトが開設されたと生徒に話をしました。こんな機会はなかなかないからLHR(ロングホームルーム、学活みたいなものですね)で村上春樹さんに1人一つ質問を考えて送ってみよう! と提案しました。ところが生徒は「村上春樹に迷惑掛けないで!」とか、「そんなこと想定してウェブサイト開設してないよ!」とか、「先生のプライベートに付き合わせるな!」などなどあまり乗り気ではありません。
こういうのって迷惑でしょうか。仮に返事が来れば生徒の人生の財産になると思うのです。僕のプライベートを押し付けていることには変わりはありませんが、今回の貴重な貴重な機会を大切にしたいのです。
(地層のように、男性、29歳、高校教師)

いいですよ。質問を受けるのがこのサイトの目的です。もし生徒さんたちが僕に何か質問をされたいのであれば、もちろん歓迎します。でも「課題として」みたいになると、どうかなとは思います。ここはあくまで自由意志に基づいて成り立っている、開かれたサイトですので。「村上春樹に迷惑掛けないで!」と言ってくださる気持ちをとてもありがたく思います。なかなか健全なクラスみたいですね。みなさんによろしくお伝えください。

村上春樹拝

洋服を買うのは好きですか?

こんにちは、村上さんの本は長編、短編、エッセイほとんど読ませて頂いております。10年ほど前に初めて『ねじまき鳥』を読んではまり、短期間でそれまでに出された作品を読み漁りました。
本当に大好きです! 

好きと言えば私は洋服も好きでして、よく購入するのですが、村上さんは洋服をよく購入されますか? というのも、数年前に日本で村上さんが講演会? みたいなものを開催された時にテレビでチラッと映っていたのを見てとてもおしゃれだなぁと思っていたからです。
きっと用意されたものをただ着るわけじゃなく村上さんがご自分でちゃんと選ばれたんだろうなと勝手に思っています。
男性ってファッションに全く気を遣わない人ってけっこう居ると思いますが、村上さんは違うんだなと思います。
なにかファッションにこだわりはありますか? 
(ルピィ、女性、31歳、会社員)

決しておしゃれというのではありませんが(基本的に雑なので)、でも洋服を買うのは好きです。靴下や下着を買うのも好きです。ハンカチを買うのだって好きです。ショップをまわって洋服を眺めるのも好きです。Goodwill で1ドル99セント均一の中古Tシャツを選ぶのも好きです。高い服ってあまり興味ないんです。

このあいだイタリアでとても素敵なグリーン系のネクタイを買って帰ったんだけど、それに合うシャツがうちになくて、グリーン系のシャツを求めて東京中をまわった末に、やっとPaul Stuartでグリーン系の洒落たシャツを見つけました。日本ってグリーン系のシャツはほとんど売ってないんですね。イタリアだと簡単にみつかりそうだけど。

村上春樹拝

腹がたったら自分にどうあたればいいのでしょう?

村上さん、こんにちは。
村上さんの作品を読むと、何とも言えない村上ワールドに包まれる感覚がとても好きです。きっと読書中の私は違う人格になっていると思います。

新年早々、家族(離れて住んでいる実家)の立ち振る舞いに苛立ちを感じ、すっきりしない日々を過ごしています。
そんな時“村上さんのところ”を読ませていただいていたところ、「腹がたったら自分にあたれ。悔しかったら自分を磨け。」とありました。
「悔しかったら自分を磨け。」についてはすんなりと納得できるのですが、「腹がたったら自分にあたれ。」は、どうしたものかと……。
どの様な心づもりで対処すればいいのでしょうか。

村上さんのお言葉や文章に、気づかされたり元気をいただいたり感謝しています。

季節柄、お体にお気をつけてお過ごし下さい。
(haruru、女性、54歳、専業主婦)

自分に対してどのようにあたればいいのか? それはご自分で考えてみてください。そのときになればわかると思いますよ。わからないということは、まだ本当に真剣には腹を立てていないということではないでしょうか。それはそれでもちろんけっこうなことなんですが。

村上春樹拝

大学町で会っても素知らぬふりをしました

2005年頃、村山さんがハーバードで研究員をされていた頃、Cambridgeで近所に住んでおり、走っているところ、ハーバードスクエア、電車の同じ車両、MITの廊下ですれ違ったことが何度かありました。私は心の中で「村上さんだ」と思ったものの、見ず知らずの者が話しかけるのも大変ご迷惑と思い、いつも素知らぬふりをしておりました。ちなみにその頃は『ノルウェイの森』しか読んだことがなく、その後、エッセイやインタビューを拝見して、半端ない思考力の深さや、独自の考えを貫かれるご姿勢、このサイトでの肩すかしぎりぎりの回答(笑)で、すっかりファンになりました。でも、恐らく今、またどこかですれ違うことがあっても、お声はかけないかと思いますが、村上さんの昔からの大ファンの夫は、そんな私が信じられないと言います。こんなファンをどう思われますか? ともかくも、これからも素敵な作品を書き続けて下さい! (個人的には、エッセイやインタビューなど、村上さんの声がストレートに響くものが実はもっと楽しみですが……)
(ケンブリッ子、女性、51歳、ジャーナリスト)

最初だけ「村山さん」であとは「村上さん」になっています。変則的な間違え方ですね。べつにどうでもいいことなんですが、ちょっと気になりましたので。

僕はあの時期、ハーヴァード大学で研究員をしていたのではなく、「writer in residence」みたいなかたちで大学に居候していただけです。ライシャワー・センターでオフィス(私室)をひとつもらって、そこで小説を書いておりました。あとは走ったり、中古レコードを買ったり、ジャズ・クラブにジャズを聴きに行ったり、フェンウェイ球場に野球を観に行ったり。ときどき大学のクラスに出て話をしていましたが。そうですか、知らないうちに街ですれ違っていたんですね。ところですれ違ったときに、僕の尻尾はごらんになりましたでしょうか? 自慢の尻尾なんですが。

村上春樹拝

思考が文章と並走している感覚

村上さん、おはようございます。

村上さんの小説を読んでいると、しばしばある種の哲学を論じた文章を読むのと似たような読書体験をします。
感情を文字に置き換えているのではなく、ただ思考の道筋を文章が示しているような。文章にあわせて思考が並走するような。
読んでいて、思考が文章と並走している、運動している感覚が気持ちいいのです。
小説でありながらこの手の読感を得られることが、自分にとって村上さんの小説を読むひとつの理由のような気がします。
そこで質問ですが、村上さんは小説の文章を鍛えるにあたって、何を大事にしてきましたか? また、物語が小説としてよりよく編まれるためには、具体的に何をどう鍛えていけばいいのでしょう? お勧めのトレーニング法があれば、ぜひ聞きたいです。
(F、男性、36歳)

僕はものを考えてから書くのではなく、いつも文章を書きながらものを考えます。そして書き上げた文章を書き直しながら、ものをもう一度考え直します。それはエッセイを書くときも、小説を書くときも、このようなメールを書くときも同じことです。ですから書き始めたときと、書き終えたときとで、考え方が変わってしまっていることもしょっちゅうあります。だからこそ書くことが楽しいのですが。僕にとって、文章というのは思考のためのツールなのです。

文章を鍛えるための方法? 僕の場合は、身体を丈夫にしておくことと、良い音楽を聴くことが大事みたいです。あとは(もし可能であれば)原稿料をもらって日常的に文章を書くことです。僕が小説家としてデビューしたとき、編集者に「作家というのは原稿料をもらいながらうまくなっていくものです」と言われたけど、本当にそのとおりでした。

村上春樹拝

人は「相」を抜けるたびに賢くなる

17歳で『風の歌を聴け』に出会い、主人公の「僕」のようにわりと孤独でいることがかっこいいと思ってしまい(何しろ若かったもので)、大学時代は積極的に人とつながることもせず過ごしてしまいました。ある日『村上朝日堂』を読んで、なんだ村上さんて全然孤独じゃなくて、楽しそうに暮らしてるんだ、と拍子抜けした記憶があります(これも短絡的ですが)。そこから自分の方向性を見直し、今ではまあ、わりと楽しく暮らしています。大人になってみると村上さんは関わる人が多いわけではなく深くつきあわれる人なんだな、と理解しています。単なる感想です。読んでいただきありがとうございます。
(小助、男性、48歳、会社員)

人生というのは様々な相をくぐり抜けていくものです。抜き差しならないほど孤独な相もあれば、そこをふっと抜けて、開けたところに出る相もあります。かと思えばまた深く迷路をさまよう相もやってきます。いろんな相を通過するたびに、少しずつ賢くなっていきます。というか、賢くなっていくべきなんですよね。楽しそうに暮らしているように見えるかもしれませんが、僕も僕なりにところどころできつい相を通過してきました。ただ僕としては、きつい部分はなるべく自分だけで処理する、そのまま表には出さないようにする、という方針でやっております。まあ、基本的には楽しく暮らしているわけですが。

村上春樹拝

ギリシャのホテルに置いてきたサイン本

村上さん、こんにちは。
私はミステリーを読むのが好きなのですが、先日ついにこれ以上なく面白くない小説に出会ってしまいました。
自分で購入した本ではなく、アテネの某ホテルの「読み終えたいらない本置いていってねコーナー」にあった唯一の日本語の本です。
こんな新鮮な出会いがあるのも読書の醍醐味ですね。
ちょっと嬉しかったです。
(年齢不詳0324、女性、43歳、会社員)

僕もギリシャのホテルには、読み終えた本をたくさん置いていきました。自分の本や、ほかの人の本を。どこかでそういうものに巡り会うかも、ですね。サインしておいたものもあります。しかし「これ以上なく面白くない小説」ってどんな本だったんだろう? 興味があります。ちょっと読んでみたいような。

村上春樹拝

猫に噛まれた日の長い話

アメリカで猫に噛まれてひどい目にあった。話すと長くなるので話しませんが。との事ですが、お話ききたいです。
私は犬に噛まれました。
(いぬがみ、女性、39歳、主婦)

プリンストンで猫に噛まれて、そのことを近所の人に話したら、武装警官が飛んできて、そのまま救急病院に連れて行かれ、馬にうつような太い注射を六本も(両腕・両脚、お尻)ぶすっとうたれ、おかげで高熱が出て、その夜行くはずだったウィントン・マルサリスのコンサートにも行けず、ベッドに寝転んでうんうんうなっていました。後日談もあります。そのことはどこかの本に書いたと思うんだけど、例によって、どの本だったか思い出せません。

アメリカは狂犬病がまだあるので、犬猫に噛まれるとあとが大変です。あなたはいかがでしたか? 

村上春樹拝

クールにかまえてムラカミを読もう

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1)これはこのあいだギリシャのスペッツェス島を再訪したときに出会った、猫のご一家です。この島では野良猫と家猫の違いがよくわかりません。猫自身にもよくわかってないんじゃないかな。しかし見事に、一匹一匹の子供たちの血筋が違いますね。全部父親が違うのかもしれない。雌猫ってひとシーズンのうちに複数の雄と関係を持つので、いろんなお父さんの子供がまぜこぜに生まれることが多いんです。しかしここまで極端な例は珍しいので、つい写真を撮ってしまいました。どの子もかわいいですよね。ギリシャの島は猫の宝庫です。一匹持ってかえってきたかったけど。

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2)これはこのあいだ、僕の本を出しているスペインの出版社が宣伝のためにつくったムラカミTシャツです。けっこうかっこいいですね。猫が本を読んでいます。「クールにかまえて、ムラカミを読もう」。そのとおりです。しかし僕がこのシャツを着て街を歩くわけにはいきません。どうしたものか……。出版社はTusquets(タスケッツ)で、細かい情報はwww.tusquetseditores.com/murakamiに出ております。

3)このあいだ「Goodbye」というスタンダード曲の良い演奏を紹介してほしいというメールがありました。そこでいくつか頭に浮かんだ演奏をあげておいたんですが、そのあとうちのレコード棚からまたいくつかの演奏がみつかりました。アーティストとアルバム名を追記しておきますね。

Ruth Price; with Johnny Smith (Roost)
Anita O'Day; Waiter, Make Mine Blues (Verve)
Shirley Horn; All of Me (CBS Sony)
Bucky and John Pizzarelli; Solos and Duets (Stash)
Ray Brown; Some of My Best Friends Are Trumpet Players (Telarc)

最後の二枚は器楽演奏。ピツァレリ親子はもちろんギター・デュオ、レイ・ブラウンのトリオはテレンス・ブランチャードのトランペットをフィーチャーしています。あとは歌です。どれも良い演奏だと思いますが、個人的にはシャーリー・ホーンのものが気に入っています。この人は日本ではずいぶん過小評価されているみたいですね。ピアノの弾き語りです。当然といえば当然のことかもしれないけど、「Goodbye」という曲はアルバムの最後に入っていることが多いです。曲に与えられた宿命というべきか。

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4)
ヤクルト・スワローズの公式ユニフォームです。MURAKAMI(死ぬまで)18というネーム入りです。かっこいいですねえ……と自分で言ってれば世話ないんだけど。しかしこれを着ると、目立ちすぎて街はちょっと歩けないです。どうしたものか。

このあいだの木曜日、阪神第三戦を観戦しに神宮球場に行ってきました。ロマンが先発した試合です。山田哲人が2ランと満塁ホームランを打って、めでたく軽くタイガースを一蹴しました。こうこなくては。去年はマートンにさんざん痛い目にあわされたから。しかし寒かったなあ。ビールが一杯しか飲めませんでした。ビール売りの娘さんたちは暇そうで、燗酒が飛ぶように売れていました。

しかし最近は神宮でも阪神の七回の攻撃時に「六甲おろし」を流すんですね。なにもそこまで阪神ファンにサービスすることもないんじゃないかと、僕なんかは思います。なにしろ神宮はスワローズのホームグランドなんだから。ヤンキー・スタジアムでレッドソックスの八回の攻撃時に「スイート・キャロライン」を流しますか? 絶対に流しませんよね。そういうものなんだから。球場にはある程度の「ナショナリズム」みたいなものが必要だと、僕は考えます。そうしないと、神宮はタイガースのホームグランドなんだと思っちゃう人も出てきますよ。

しかし今年のヤクルトは(あくまで今のところですが)投手陣がよくなりましたね。けっこう楽しみかも。

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5)これはアメリカの読者が個人的にデザインし、制作した「ねじまき鳥Tシャツ」です。何枚か送ってくださったんですが、ちゃんとタグまでついていて、本格的です。デザインもなかなか素敵だし。どういう方なのか、僕は知りません。

空想とは物語の萌芽なのでしょうか?

こんにちは。突然ですが、村上さんは子供の頃空想に耽ることはありましたか? また、村上さんは物語が居座ってしまうという風に仰っていましたが、それは所謂空想というのとは違いますか? 
自分の話になってしまいますが、私は小学生の頃、友達と遊ぶよりも部屋の中で空想にふけって1人で喋って遊んでいる子供でした。例えば一時期はピアノとソファーを船に見立てて水上生活をしていたり(世界には本当にそういう民族がいるんですね)、またある時は自転車で空想の友達と旅をしたりもしました。
しかし残念ながらその様な楽しい空想はもうできなくなってしまいました。現実の世界と自由な空想の世界が上手く混じり合わなくなって久しいです。妄想はしますが、あれは結構建設的なので、もっと本当にありもしないこととか……。
もちろんそんな妄想や空想と村上さんのお仕事には格段の差があると承知していますが、でも物語の萌芽的なものはもしかして、そういう感じのものだったりするのかなと思い、質問してみました。
(セキセイインコ、女性、23歳)

物語と空想は似ていますが、ちょっと違います。物語はもともと自分の中にあるものです。それは深いところに鉱脈のようにあります。それが地上にたまたまでてくるのが空想になるのかもしれません。つまり、ごく簡単に言ってしまえば、空想は物語の尻尾のようなものです。子供の頃は物語と空想がかなり近接したところにありますが、大人になってくると、そのふたつはだんだん分離していきます。

小説に即していえば、空想を書いていただけでは小説になりません。自分の中にある物語を深いところから掘り起こして来なくてはなりません。ゼペットじいさんが木の塊の中からピノキオを見つけ出すみたいに。つまりゼペットじいさんはピノキオを作ったのではなく、見つけ出したのです。だからこそピノキオは生命を持つことができたのです。

村上春樹拝

ロンドンで「ムラカミ」を語り合える歓び

ロンドン在住です。ガーディアン紙にこのサイトの事が記載されていて知りました。
『遠い太鼓』に影響を受けて渡英して15年以上になります。以前ロンドンで講演をされた際に、当時発売されたばかりの『海辺のカフカ』(日本語版)にサインをいただきました。あの時も大勢のサインでお疲れだったと思うのですが、英国でも大人気なのは、日本人の私たちにとって、本当にありがたいことです。日本といえばスシ、フジヤマ……というイメージが、「ムラカミ」に変わり、一般的な日本人像がすごくクールになりました。
そして何より、日本語で読んだ物語を、各国の人と語り合えるのは嬉しいです。『ノルウェイの森』を読んだスウェーデン人の同僚は「私の気持ちをどうしてこんなにわかるんだろう!」と言っていました。私には読書家でマラソンも走ったことがあるイギリス人の夫と、20代のジャズピアニストの継息子がいて、どちらももちろんムラカミ作品ファンです。
こうした海外での人気も、村上春樹さん自ら英語の翻訳の手配をされ、疲れるサイン会なども開催されて、翻訳文学が少ないといわれる英語圏の市場を独力で開拓してこられたおかげなのですから、すごいことだと思います。
私自身も翻訳に携わっていて、ある賞をとって日本文学の英訳プロジェクトに関わりかけたのですが、いわゆる日本政府の「事業仕分け」でプロジェクトがなくなってしまいました。知り合った日本文学の海外エージェントも店じまいしてしまいました。
まだまだムラカミ作品以外は、海外展開に苦戦していると思うのですが、先駆者として、日本語の作品を海外に出して行く上でのアドバイスやご意見があればおきかせください。
(Bluepines、女性、50歳)

最初に英語訳を出してから、欧米マーケットでブレークするまでに時間がかかりました。最初の十年くらいはけっこう大変でした。いろんなことがすらすらとうまく流れ出したのは2000年くらいからだったと思います。現地のエージェントや編集者たちや翻訳者たちと、時間をかけて良い関係を確立していくことも大事なんだなと実感しました。本を書くだけ書いて、「おまかせするからあとはよろしく」みたいな姿勢ではなかなかものごとはうまく捗りません。出版というのは心持ちが意味を持つ仕事ですから、人と人との繋がりが大事になります。海外にも、もう25年くらい一緒に仕事をしている、友だち同然の人たちがいます。彼らは僕にとっての大切な財産です。

でも結局のところ、読者と作者とのあいだの信頼感がいちばん大事です。この作家の次の作品が出たらとにかく買って読まなくちゃ(決して読んで損はしないだろう)、という気持ちを読者に持ってもらえること。次の本が出るのを待ってもらえること。いったんそういう直接的な繋がりが生まれれば、いろんなことがうまく流れ始めます。それは日本でも外国でも同じです。

村上春樹拝

韓国で待ってます!

村上さんの大ファンです! (韓国人です)韓国にも大大大人気な村上さんですが、いつか来韓する予定とかはありませんか? また、村上さんは私の母よりも年上でございますが(ちょっと、失礼。ごめんなさい)、相変わらず若者たちの共感を呼ぶ作品活動をなさるんですね。その秘訣は何でしょうか? 最後に、韓国で出版した『女のいない男たち』には「恋するザムザ」が収録されてますが、特別な理由とかありますか? いつも村上さんの作品を楽しんで待ってます! 期間限定でも、こんな空間があってすごく嬉しいです! ありがとうございます! 
(nika、女性、29歳)

「恋するザムザ」は日本では別の本に収録されています。外国ではその「別の本」が出ていないので、『女のいない男たち』の方に「おまけ」として入れました。全体的なコンセプトにもうまく合っていたと思うのですが、楽しんでいただけましたでしょうか。韓国には是非行きたいと思っているんだけど、できればこっそりと行きたいですね。そういう機会があるといいんですが。

僕より年下のお母さんにもよろしくお伝えください。

村上春樹拝

読書量が少ないのでは、と焦る高校生より

はじめまして。村上さんの小説が大好きな高校生です。朝日新聞社から出ている村上さんへの質問メールの本でいつも笑わせてもらっていたので、こうして本当に質問ができると思うと緊張します。ちゃんと一晩寝かせて送信したいと思います。
質問というのは読書の量についてです。
家にあった「パン屋再襲撃」が僕にとって最初の小説でした。そこから村上さんの小説やエッセイを読み漁り、母の本棚からヴォネガットやロス・マクドナルドを少しずつ盗み出して(母も村上さんのファンです)今では自分の本棚にも沢山の本があります。村上さんの作品の他にはスタインベックやケストナー、坂口安吾の小説が好きです。
読書をしていくにつれ、出版社に勤め編集者としてよい本が世に出る手助けをしたいと思うようになりました。今はそのための学校での勉強やより多くの本を読むことに夢中です。
しかし最近、自分の読書量について焦ることが増えてきました。周りのみんなよりは沢山の本を読んでいる自信はあります。でも出版社で働く、一冊の本を作るのに携わるにはもっとたくさん本を読まないといけないのではないかと思うのです。『カラマーゾフの兄弟』も『戦争と平和』も楽しく読めたけれど、村上さんが僕ぐらいの歳の頃には世界文学全集なんかもうとっくに読み終えて洋書まで読んでいたんだと考えると不安になり、そんな気持ちでは楽しめないと分かっていつつも焦って新しい本に手を出してしまいます。
村上さんは小説を書くことと読書量にはどのくらい関係があると思いますか? 
また、編集者にはどのくらいの読書体験を求めますか? 
僕に夢をくれた村上さんの小説にはとても感謝しています。長く、分かりにくい文章になってしまいすいませんでした。
(玄関マット、男性、16歳、高校生)

まだ16歳なんだから、これからいくらでも本は読めます。今からそんなに焦ることはないと思いますよ。それに読書というのは、たくさん読んだから偉いというものではありません。読んだ本がどれくらい自分の「血肉」になっているかというのが、むしろ大事なんです。たとえば本の中に出てきた風景がどれくらい自分の中に残っているか? 僕の中には本で読んだ風景がたくさん残っています。たとえばヘミングウェイの「二つの心臓の大きな川」でニックが魚釣りをする風景。チャンドラーの『ロング・グッドバイ』でマーロウが自宅の玄関まで長い階段を上っていくシーン。そんな風景が、僕の内部にある無数の引き出しの中にしまい込まれています。読んだ本の数よりは、あるいは蘊蓄(うんちく)みたいなものよりは、そういう心にかたちとしてしっかり残るものが、あとになって本当に役に立ちます。

ケストナーといえば、このあいだドレスデンでケストナー博物館に行ってきました。なかなか素敵なところだったですよ。ケストナーの家はわりに貧乏だったんだけど、近所にいる叔父さんがお金持ちで、よくその家に遊びに行っていたそうです。その叔父さんの家が、今では博物館になっています。ケストナーの本って、どれも出だしの文章がいいですよね。

村上春樹拝

「文章を書く仕事」がイヤです

村上さんこんにちは。私はいちおう文章を書く仕事をしていますが、「仕事がいやだなあ」といつも思ってしまいます。文章を書いていて、納得のいくものが書けたりすると、「私もやるじゃないか」と達成感みたいなのを持てるのですが、でも仕事をするのはイヤです。

かといって、他の仕事をしたいのかというと、そうでもありません。いろいろ思い浮かべてみましたが、どんな仕事でもしたくないのです。その中で唯一、「やりたくなくもない仕事」が、今の仕事なのです。

食べていくためには仕事をしなければいけないし、締切もあるので(タイトなものが多いです、でも断って依頼がなくなると生活できなくなるし……)、なんとか毎日続けていますが、本当はなにも仕事をしたくないのです。できればこたつに入って寝転んで、ずっと本や新聞を読んだり、録画したテレビ番組を見たりしていたい。最近は寝る前に『羊をめぐる冒険』を読んでいます。寝る前の至福のひと時です。

なんとか続けていますが、いつか心が折れてしまいそうでこわい。村上さん、どうか私の背中を押してください。村上さんが応援してくれていると思うと、がんばれそうです。

ペンネームは村上さんが昔よく使っていた女の子の名前です。村上さんの昔の小説って、同じ名前が違う小説に普通に出てくるので面白いですよね。
(なおこ、女性、37歳、自営業)

せっかく文章を書く仕事で生活しているのに、文章を書くのがいやなんだ。それはもったいないですね。文章を書いて生活できるのなら、どんな仕事でもやりたいという人は世の中にたくさんいると思いますよ。通勤もないし、上役もいないし、人付き合いの必要もないわけだから、ぐずぐず文句を言っているとバチがあたります。僕の経験からいえば、文章がうまく書けるようになれば、仕事をするのがずっと楽しくなります。たとえどんな仕事であれ、うまくできる余地のあるものは、できるだけうまくやった方がいいです。とても単純な回答になりますが、努力してもっとうまくなれば? 気楽すぎる意見でしょうか? まあ、僕も(ある程度)うまくなるのに時間はかかりましたが、人生最後まで勉強ですから、しっかりがんばらなくては。

村上春樹拝

トルクーヤの存在意義が分からない

村上さんは先日燕太郎について言及されていましたが、トルクーヤについてはどう思われますか? 見た目も名前も設定(メキシコから来た覆面レスラー)も、全てが謎すぎて、ヤクルト球団の目指すところがいまいちわからず、球場で見かけると何とも言えない気持ちになります……。
(みど、女性、41歳)

トルクーヤの存在意味、僕にもよくわかりません。つば九郎一家との繋がりも不明です。つば九郎の家に間借りとかしているのでしょうか? 迷惑をかけてないといいのですが。

村上春樹拝

小説の笠原メイとの関係は?

村上さん、こんにちは。

「Goodbye May Kasahara」という曲、知っていますか? 
Cauralの『Blurred July Ep』にはいっています。

ご存じでしたらすみません。
YouTubeにあがっていたので、よかったら。

https://www.youtube.com/watch?v=u863PQrbJLk
(ぶどうぱん、女性、38歳)

Cauralというのはオランダのバンドなんですね。知りませんでした。ありがとうございます。なんかもうひとつよくわけがわからない音楽みたいですが、どこかで笠原メイさんとつながっているのでしょうか。

村上春樹拝

ジョギング用に何を聴いていますか?

村上春樹さん、お返事ありがとうございました。
先日、オープン2シーターを見かける度に盛り上がる夫婦としてメールした者です。
春樹さんが4代目のオープン2シーターと共にあることを知り、ますます、街や高速道路で、オープン2シーター発見が楽しみになりました。

さて、Mac派の春樹さんは、今はジョギングのお供に、iPodなどをご利用のことと思います。
私は、ジョギングするには、ウエイトが重すぎて、心臓発作を起こしかねないので、ウォーキングをしております。
その際、iPod nano第7世代を活用しています。
そこで悩むのが、気が付けば、せっかくたっぷり音楽を入れているのに、ついつい、偏ったプレイリストばかり選んでしまうのです。
春樹さんの紹介で聴き始めたレッド・ホット・チリ・ペッパーズとか、サカナクションとか、ゴスペルソングとか。
できれば、せっかく入れた曲を幅広く、聴きたいのですが、だからといって、全曲シャッフルにするというのも、また違う気がしますし。
そもそも、バラードでも何でもガンガンiPodに入れてるのが悪いんでしょうね。
春樹さんは、ジョギング用だと、今は、何を聴くことが多いでしょうか? 
そして、偏ったものばかり聴きがちだな、と思われることは、あるのでしょうか? 
(みわぼー、女性、43歳、主婦)

僕はジョギング用にはジョギング用の、ドライブ用にはドライブ用の、旅行用には旅行用のiPodを用意しています。そうしないと、中身がうまく用途に合いませんので。ジョギング用にはアメリカン・ロックが多いです。やはりシンプルでノリの良いものが向いていますから。

僕はトリビュート・アルバムから抜粋してiPodに入れることが多いです。たとえばオリジナルのビーチ・ボーイズとかビートルズなんか、もう「耳だこ」になっていますよね。トリビュートものだとそういうことがないのでいいです。耳に新鮮です。あとはサントラもの。サントラものって、よく観るとレアなトラックがあって、けっこう面白いですよ。アメリカの場合、一枚1ドルか2ドルで中古屋で買ってきて、そこから抜粋します。中古のサントラCDってとにかく安いですから。だから僕のiPodってけっこう変なものがいっぱい入ってます。お聴かせできるといいのですが。

村上春樹拝

マレイ・ペライアの音楽について

村上さん、こんにちは。クラシックについての質問です。村上さんはマレイ・ペライアについてどのようにお考えですか? 
私は彼がときにつくりだす天上的なまでに澄んだ音や基本的に端正な佇まいの音で演奏するスタイルがとても好きです。以前演奏会で実際に聴いたときには、静寂の使い方がとても上手い人だと感じました。
村上さんの感じていること(肯定的でなくても)を教えて頂けると嬉しいです。
(カウアイマルケス君、男性、35歳、自由業)

ペライアはアンスネスと並んで、僕が現在いちばん好きなピアニストです。この二人は意外にタイプが似ているかもしれません。シューベルトとモーツァルトが得意で、自分で協奏曲の指揮もします。カリスマ性みたいなものはいくぶん希薄かもしれないけど、そのぶん知的で、チャーミングで、とても趣味の良い自然な音楽の動かし方をします。日本では人気があるのかな? ペライアのコンサートは何度か聴きましたが、オルフェウス室内管弦楽団と共演したモーツァルトのコンチェルトは若々しくて素敵だったですよ(もう20年以上前のことですが)。

村上春樹拝

香川県の牛島にも行きました

こんにちは。

私は国内でも海外でもどこかへ旅行へ行く時は、2週間から1ヶ月くらい特に大きな目的もなく、一つの土地に滞在するのが好きです。
ハワイ島、ロンドン、一番最近では香川県の牛島という小さな島へ行きました。牛島は自動販売機も無く、島民よりも猫の数が多いような島です。毎日暑さで目を覚ましては、朝ご飯を自炊し、本と釣り竿とおにぎりを持って防波堤に出かける日々でした。(今思い出しても幸せになります)。

住めば都と言うとおり、生まれ育った東京も流れがやけに早くて面白い街だなと思いますが、その中でも温かで緩やかな空気の流れる場所が好きみたいです。

村上さんは特に目的もなく過ごすのにお気に入りの場所はありますか? 
(杉の木、女性、22歳、学生)

牛島、楽しそうですね。僕もスペッツェス島で暇にまかせて釣りをしているときには、猫がそばに座って、魚が釣れるのをじっと我慢強く待っていました。そういうときにはとても静かに時間が流れます。ギリシャの島もなかなか良いですよ。

村上春樹拝