バミューダ海域の謎


伝説 バミューダ諸島、プエルトリコ、フロリダを結ぶ三角形の海域は「魔のバミューダ海域」(バミューダ・トライアングル)と呼ばれている。この海域では、船舶や航空機が何の痕跡も残さずに消失することで世界的に有名である。

魔のバミューダ海域

たとえば1872年のメアリー・セレスト号事件。この事件はとても奇妙だった。船がバミューダ海域で発見された当時、船内のテーブルの上には、まだ温かさが残るコーヒーやパン、ベーコン、ゆで卵などが、今にも食べようとしていたかのように盛られていた。ところがそれらを食べるはずだった乗員たちは忽然と姿を消していたのである。彼らは一体どこへ消えてしまったのだろうか?

1881年には、イギリス船エレン・オースティン号が、反応を示さない奇妙な船と遭遇している。不審に思った同号の乗員は乗り移って船内を調べたものの、誰も発見できなかった。そこで仕方なく、無人船を操縦するため、そのまま2、3人が残り、目的地のニューファウンドランドまで一緒に向かうことになった。

しかし途中でアクシデントが襲う。霧が濃くなり、嵐に襲われてしまったのである。二隻は互いに姿を見失ってしまったが、幸い、数日後に再び見つけることができた。ところがである。無人船に乗り移っていたはずの乗員は姿を消していた。最初と同じく無人になっていたのだ。彼らはなぜ消えたのか? 原因は不明である。

またこの他にも、「空のメアリー・セレスト号事件」とも呼ばれる、第19飛行編隊消失事件が1945年12月5日に起きている。この日、フロリダのフォート・ローダーデール海軍基地を飛び立った5機のアベンジャー機は、フロリダ半島の東の海上へ、パトロール飛行に向かった。

離陸前のチェックでは、燃料は満載し、エンジン、コンパスも順調に作動。さらに、パイロット、乗員ともにベテランで、天候は素晴らしい飛行日和だった。本来なら出発から2時間で何のトラブルもなく無事に帰還するはずだったろう。しかし出発から約1時間30分後の午後3時45分、編隊は不可解な通信を送ってきた。

「我々はコースをはずれたらしい。陸が見えない……・繰り返す……陸が見えない」

基地の管制官は「機首を西に向けろ」と命じた。長い沈黙のあと、編隊長の声が入ってきたが、その声音には明らかに異常な気配があった。

「どっちが西がわからないんだ。何もかもおかしい……変だ……方向がさっぱりつかめない。海さえ……いつものようじゃない」

管制官は何が何だかわからなくなった。万が一、各機のコンパスが皆故障してしまったとしても、パイロットなら基地へ帰るコースを見つけられるはずなのだ。その時刻には、地平線に近づきつつあった太陽を目指して飛べば、やがて基地のすぐ近くの海岸線を越えられるはずだったからだ。しかし編隊長の通信からすると、太陽が見えていなかったようである。

一体何があったのか?その後、編隊からの連絡はしばらく途絶えたものの、最後に、「われわれのいる場所はどうやら……」「白い水に突入」という謎めいたメッセージが届く。これ以降、第19飛行編隊からの連絡は完全に途絶えてしまった。

彼らはどこかに墜落してしまったのだろうか? そこで、この通信途絶後、乗員を救助するためにマーチン・マリナー飛行艇がバミューダ海域へ向かった。ところが驚くべきことに、この救助艇も行方がわからなくなってしまったのだ。計6機の飛行機と27人の乗員は、何の痕跡を残すこともなく完全に消えてしまったのである。

こういったバミューダ海域で起きた謎の消失事件の多くは、よく晴れた晴天の日に起きており、事前のチェックでも異常はなく、消失後は痕跡を何も残さない、という共通点をもっている。

普通の事故などではないことは明らかだ。しかし残念ながら、これまで事件の原因として数多くの仮説が唱えられてきたものの、決定的なものは出ていない。

この海域が「魔のバミューダ海域」と恐れられるようになって、100年以上。
伝説の謎は、今なお解けることなく謎のままなのである。

 


 

謎解き上記のような【伝説】が語られるようになったのは、今から半世紀以上前の1950年代頃。人々の間に広く知られるようになったのは、作家のチャールズ・バーリッツが、著書『The Bermuda Triangle』(邦訳:『謎のバミューダ海域』)を1974年に出版したのがきっかけだった。

この本は世界20カ国語に翻訳され、総発行部数は500万部を超える世界的な大ベストセラーとなった。雑誌やテレビでも特集が組まれ、映画にもなった。そのため、この話をどこかで聞いたことがある、という方はけっこう多いかもしれない。

しかし、こういった【伝説】は広く知られていても、その真相はほとんど知られていないようである。実は前出のバーリッツが広めた1970年代に、「バミューダ海域の謎」は、その多くが解かれていた。この謎解きに挑んだのは、元アリゾナ州立大学の司書で飛行教官のライセンスを持つ、ローレンス・D・クシュである。

彼は、その著書『The Bermuda Triangle Mystery Solved』(邦訳:『魔の三角海域―その伝説の謎を解く―』)において、「バミューダ海域で起きた謎の消失事件」と呼ばれる【伝説】の謎を解き明かしてみせた。

彼は事件当時の一次資料を丹念に調べ、膨大な事故記録を徹底的に調査した結果、この「バミューダ海域の謎」には、多くの嘘、意図的な歪曲、事実誤認、誇張などがあることを突き止めたのである。

 

 

メアリー・セレスト号事件

まず、バミューダ海域の事件としてよく紹介されるメアリー・セレスト号事件。この事件はバミューダ海域で起きたとされるが、実際の船の航路はニューヨークからイタリアのジェノヴァへ向かうもので、バミューダ海域などカスりもしない。

同船が発見されたのは北緯38度20分、西経17度15分の位置にある大西洋上であり、バミューダ海域からは3000キロ以上も離れている。

では、「まだ温かさが残る飲みかけのコーヒーやパン、バター、皿の上にはベーコンとゆで卵が今にも食べようとしていたかのように盛られていた」という話はどうか。
これは事件を謎めいたものにする重要な要素だ。ところがこの話も事実とは違った。実際にはこのような描写は記録にない。

つまりこの有名なシーンは、作家たちによる作り話なのである。

この事件で本当と言えるのは、発見時に乗員の姿がなかった、という点だけだ。
ただし乗員だけでなく、救命ボートも一緒に消えていたため、船は遺棄されたということになる。遺棄された理由については、嵐に遭遇説、船員の暴動説、海賊襲撃説のほか、積み荷のアルコールが気化して爆発するかもしれないという騒ぎがあり、乗員がパニックになって遺棄したという説など、さまざまである。

いずれにせよ、乗員は救命ボードに乗ったものの、その後、遭難して海中に沈んでしまったと考えられている。

 

 

エレン・オースティン号事件

続いては、2度も無人船になったというエレン・オースティン号事件。この事件はクシュが徹底的に調査している。彼の調査によれば、話の出所は作家のルパート・グールドの著書『夢想家は語る』(1944年)にまでさかのぼれるという。

ところが、そこからの前の記録はどこにも見つからない。この事件について書かれた新聞記事や事故記録はどこにもない、というのだ。

これほど奇怪な事件が記録としてまったく残されていないということは、まずあり得ない。そのためエレン・オースティン号事件そのものが、グールドの創作である可能性が濃厚である。

さらにこの事件に関しては、事件を最初に言い出した作家によって創作された可能性が高いだけでなく、この事件を自らの著書で紹介していった他の作家たちによる創作もあったことが指摘されている。

まず、ルパート・グールドがこの事件について書いたときは、全文で86語という短いものだった。乗り移った船員の消失は1回だけである。

ところが次の作家ヴィンセント・ガディスが、この話をグールドの本から引用した際には全文で188語に増え、元の本には書かれていない小話が勝手に創作されて付け加えられた。その後ガディスの本をアイヴァン・サンダーソンが引用したときには、全文で417語にまで増え、船員が短い航海日誌をつけていたという話や2回目の消失事件が新たに創作された。

これらを見れば、まるで伝言ゲームのように話に尾ひれがついていく様子がよくわかる。

 

 

第19飛行編隊消失事件

続いては、バミューダ海域の事件では最も有名な第19飛行編隊消失事件。
事件が起きたのは1945年12月5日。この日、アメリカ海軍の第19飛行編隊5機は、フロリダ州フォート・ローダーデールにある海軍基地を午後2時に飛び立った。飛行計画では、まず東方向に進み、北に転じて100キロメートルほど進んでから旋回して南西方向に機首を転じ、そのまま基地に戻ってくる予定だった。

【伝説】では、この飛行機に乗っていたのは「皆ベテランだった」とされているが、実際には隊長のチャールズ・テイラー中尉と、もう一人の乗員の他は、全員が練習生であり、これは彼らの訓練飛行だった。

しかもテイラー中尉はフォート・ローダーデール基地に転属になったばかりで、基地からの飛行経験は事件の前の2週間しかなかった。つまり事件当時、テイラー中尉は経験が浅く、地理的にも疎い空域を飛んでいたのである。

また、このときの天候は非常に良好で「太陽もよく見えていた」とも言われる。ところが実際の天候は、離陸時は快晴だったものの、その後急速に天候は悪化
風速は最大16メートルの突風が吹き、海も荒れ模様になっていた。天気予報では午後6時頃までに「にわか雨」が降ることも伝えられていた。

 

 

当時の飛行状況

これらの悪条件の中を飛行していた第19飛行編隊は、飛行開始から約2時間経った午後4時頃、フォート・ローダーデール基地の上空を飛行していた別の飛行機へ、テイラー中尉から次のような通信を送っている。

「コンパスが二つとも狂ってしまった。フロリダのフォート・ローダーデールを見つけたいんだ。いま陸の上だが、きれぎれの陸だ。小島帯の上空に違いないと思うんだが、どのくらい南に下ったのかわからないし、フォート・ローダーデールへどう行けばいいのかもわからない」

このときテイラー中尉は、故障したコンパスを頼りに飛行していたため、当初の飛行予定だった東ではなく南へ飛んでいると思い込んでいた。

飛行経路図

矢印で示したのが当初の飛行予定コース。図のAポイントは、4時の時点でテイラー中尉が推定していた位置。赤い印で示したフォート・ローダーデールの南の小島群近くであることがわかる。

ところが後に判明した事実によると、テイラー中尉が迷ったと思い込んでいたこの時、彼らはグランド・バハマ島の北の小島群の上を飛行していた。(図のBポイント)

これは、ほぼ予定どおりの飛行コースであり、実はこの時点では彼らは迷ってなどいなかったのである。しかしそんなことを知らない彼らは、その後、何度も方向転換を繰り返し、時間が経つにつれて飛行状態はどんどん混乱していくことになる。

この当時の無線のやりとりを読むと、彼らは自分たちがどこにいるのかまったくわかっていなかったようである。テイラー中尉は部下に、「方位90(東)へコースを変更、10分間飛ぶ」と指示したかと思うと、その8分後には、「我々は方位270(西)へ飛行中」と報告していた。彼は明らかに混乱していた。

ただし、ここで重要なのは、【伝説】で言われている「どっちが西かわからないんだ。何もかもおかしい……変だ……方向がさっぱりつかめない。海さえ、いつものようじゃない」などという交信記録は、実際の記録の中にはまったく出てこないということである。これは話を面白くするために創作されたものだったのである。

 

 

ついに通信途絶

テイラー中尉と沿岸基地の間では何度か通信が行われた。しかしこの間ずっと交信感度は悪く、肝心な情報を伝えられないこともしばしばだった。

飛行開始から4時間以上、第19飛行編隊は混乱したテイラー中尉に率いられ、西へ東へ当てのない飛行を繰り返した。

燃料が切れるのは午後7時30分頃。これを過ぎると、風速15メートルに達する強風が吹きすさび、雨も降る中、荒れた真っ暗闇の海面に時速130キロほどのスピードで不時着水しなければならなくなる。

これは死ぬも同然のことだったはずだ。 午後7時4分になると、第19編隊からの短い通信を最後に通信は完全に途絶。ここでもやはり、【伝説】とは異なり、「われわれのいる場所はどうやら……」「白い水に突入」などという通信はなかった。

 

 

空飛ぶガスタンク

この第19飛行編隊の事件は、捜索に向かった救助艇が同じく消失してしまったという話によって、さらに謎めいた話になっている。

ところが実際には、この救助艇マーチン・マリナー機はしばしばガソリン漏れを起こすため、空飛ぶガスタンクと呼ばれるほどの欠陥機だった。 操縦士がうっかりタバコを吸ったり、他の原因でスパークが起きたりすると爆発する危険があったのである。

実際、離陸から20分後の午後7時50分頃には、マリナー飛行艇が飛行していたはずの、まさにその場所で、近くを航行していた船が空中爆発を目撃している。

さらに捜索に向かったマリナー飛行艇は、決して唯一の捜索機でもなければ、最初の一機でさえなかった。

 

 

「魔」のバミューダ海域のまとめ

最後にこの「魔のバミューダ海域」について、クシュがよくまとめているので紹介しておきたい。

・多くの事件は、発生した時点では少しも不思議とは思われておらず、何年も何十年も後に、バミューダ海域の材料を集めていた研究家が、それに言及してはじめて怪事件となっている。

・流布している「伝説」とは裏腹に、事件発生時の天気は大抵の場合悪かった。かなりの事件では、よく知られているハリケーンが犯人である。

・多くの事件が、夕方あるいは夜間に起こっていて、翌朝までは捜索隊が目で確かめることを困難にしている。その間に海は、あったかもしれない残骸その他を、散逸させてしまうことが十分にできた。

・この事件について書いている作家の多くは、以前の作家たちが書いたものを自己流に踏襲しているため、間違いはそのまま温存され、大げさな尾ひれがついてくる。

・相当数の事件で、作家たちは消失を解明するはずの明白なデータを故意に隠している。


この中でも最後のものは、とくに重要である。チャールズ・バーリッツをはじめとする多くの作家たちが、故意にデータを隠し、ときには創作してきた。

このページの最後は、そんな彼らへ向けたメッセージを紹介して終わりとしよう。
30年以上前から今日にいたるまで、延々と繰り返されてきた果てしない机上の空論に終止符を打つ至言である。

「このミステリーを解く仮説は存在しない。三角海域におけるあらゆる消失事件の共通の答えを見出そうとするのは、まるで、アリゾナ州で起こったあらゆる自動車事故の原因を追究しようとするようなものである。いたずらに万能薬的な仮説を求めるのをやめ、個々の事件を独自に調査すれば、謎は自ずから解けはじめるのである」

             『魔の三角海域―その伝説の謎を解く―』より
                             ローレンス・D・クシュ

(記事公開日:2005年12月14日)
(改訂版公開日:2014年3月18日)
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