フォスター牧場に散乱した残骸の発見者。フォスター牧場の管理を任されていた(雇われ牧場主か?)。電話もラジオも持っていなかった。事件当時の年齢は48歳。(1899 - 1968 死亡年は1963年という記述もある)
ウィリアム・ブレーゼルの娘。父と共に残骸の回収を行った。事件当時の年齢は14歳。
ウィリアム・ブレーゼルの息子。残骸の回収には同行していない。当時は酒と女に溺れていたという噂もある。事件当時の年齢は20歳。インタビューによって証言内容が変わっていくということで批判されている。
コロナの保安官。ブレーゼルからの通報を受け、マーセル少佐に連絡をとった。
陸軍少佐。陸軍航空隊第509爆撃大隊の情報将校。事件当時は残骸回収チームのリーダーとして実際にフォスター牧場へ赴き、残骸を回収した。当時の階級は少佐。
1978年にスタントン・フリードマンからインタビューを受け、ロズウェル事件を復活させる中心人物となった。
残骸を回収したジェシー・マーセルの息子。父が家に持ち帰った際に、回収した残骸を見たと語る。逆行催眠などで当時の記憶を取り戻すことにも挑戦している。事件当時11歳。
マーセル少佐と共に残骸の回収を行った人物。対敵情報部隊(CIC)の大尉。マーセルの記憶を元に探し出された。当時の階級は大尉。
マーセル少佐と共に残骸の回収を行った人物。対敵情報部隊(CIC)の軍曹。ウィリアム・リケットとの表記もある。
事件の公式プレスリリースを発表した人物。後に Roswell International UFO Museum & Research Center 館長となる。当時の階級は中尉。
ロジャー・レイミー准将に呼ばれ、残骸の鑑定をした人物。気象観測官。当時の階級は准尉。
ロズウェル事件当時はニューメキシコ州・ソコロに住んでいた。ロズウェルの墜落円盤や異星人の死体について、最も早い時期に語ったとされる人物。
サンアウグスティン平原で円盤と異星人の死体を目撃したとの証言をした人物。ロズウェル事件当時は5歳。テレビ番組「解かれざる謎」を見たときに、自分が過去に体験した事実と細部が異なるとして、証言を始めた。
元葬儀屋。ハウト氏の知り合い。後に Roswell International UFO Museum & Research Center 副館長となる。
ブレーゼルの隣人。事件当時、ブレーゼルから残骸の話を聞いた。ロレッタは証言が変わっていくということで批判されている。
ブレーゼルの隣人。事件当時9歳。
当時のロズウェル基地に配属されていたB29のフライトエンジニア。ロレッタ・プロクターの弟。
アルバカーキのラジオ局KOATのテレタイプ・オペレータ。証言の度に話が変わり、内容が詳細になっていくことで批判されている。宣誓供述書を何度も書いている。
フォートワースでの残骸検分に同席した。レイミー准将と一緒に写真に写っているはデュボーズ。当時の階級は大佐。墜落説支持者からは、隠蔽の事実があったということを語る人物として、批判派からは、残骸摩り替えの事実は無かったということを語る人物として引き合いに出される。
プロジェクト・モーガルに関わっていた人物。フォスター牧場に墜落した気球が、モーガル気球のフライトNo.4であることを解明する上での最重要人物。UFO研究家のビル・ムーアと混同しないように注意。
トゥルーデイ・トゥルーラヴというあまりありそうにない名前を持った女性と、円盤墜落や墜落現場を確認したと証言している人物。証言内容がどんどん変わっていくということで批判が多かった。
当時、ブレーゼルのインタビューのために、ブレーゼルをロズウェル・デイリー・レコード社へ連れてきた、KGFLラジオ局の局長であるW. E. ホイットモア氏の息子。
R・D・アデアと共に、ロズウェル入りしたAP通信の記者。7月9日のデイリーレコード紙で触れられている人物。尚、写真付きで記事にされているのは、ロズウェル・デイリー・レコード社からの初めてのFAX送信だったからという理由だと考えられる。
ジェイソン・ケラヒンと共に、ロズウェル入りしたAP通信の記者。ケラヒンの項目を参照のこと。
ロズウェル事件の発掘に多大な貢献をした人物。核物理学者という肩書きも。ロズウェル事件に関する精力的な調査だけが有名だが、『下院議員と科学者による“国策としてのUFO研究”討論』(1968)でも、発言をするなどの経歴があり、ベテランのUFO研究家である。
ロズウェル事件の普及に努めたUFO研究家。フリードマンには及ばないと思われるが、証言者のインタビューなど、ロズウェル事件発掘時点での証拠集めに貢献をした。1980年の「The Roswell Incident」出版により、ロズウェル事件の一般人への普及を促した。1980年代後半からは証拠の捏造が疑われ、ETHに肯定的なUFO研究家の間でも叩かれることに。
1997年には「ロズウェル事件に関する最近の情報を熟慮した結果、もはや地球外の存在という説明がこの事件の最高の説明であるとは思っていない。」などと語るまでになった。
1980年の「The Roswell Incident」は、ムーアとの共著。
既にバミューダ・トライアングル関係で名前の売れている超常現象研究家だったため、頼まれてロズウェル事件の普及に名前を貸しただけではないかという話もある。並木伸一郎氏のインタビューでも、ロズウェル事件の調査には関わっていないことに触れている。
シュミットとの共著でロズウェル事件に関わる。バーネットからの又聞き情報であるサンオーガスチン平原での目撃のデバンキング、MJ-12文書のデバンキングも行った。
ランドルとの共著が有名だが、学士号、修士号など持っていない肩書きを使っていること、過去の職業を偽っていたことなどが判明し、ランドルから「虚言癖の持ち主」として見放されることに。
フリードマンとの共著でロズウェル事件に関わる。後に、SOM1-01を受け取るなどの話では中心人物に。