長女が産まれた時(平成21年春)
私の母は、私が20歳になる頃までフルタイムで小学校の教師をしており、転勤もあったので「ママ友」は全くいませんでした。
しかし、小学生の頃、ママ同士が知り合いでなければ一定以上友達と親しくなることはできず、疎外感を感じることが度々あり、母に「ママ友」がいないことを忌々しく思っていました。
以上のような経験から、私にとって「ママ友」は子どものために必要な存在でした。
そのため、私は機会がある毎に「ママ友」作りに精を出し、晴れて複数の「ママ友」ができました。
ところが思いの外「ママ友」と会うことは苦痛でした。
ママ友同士で話す話題は、概ね育児に関することでしたが、私は特に育児一般について関心がなかったし、ましてや他人の育児などどうでも良かったのです。
そのため、育休が明け、復職し必然的に「ママ友」と会うことがなくなり、ホッとしたものです。
次女が産まれた時(平成23年秋)
既に「ママ友」は面倒だと認識していたので、積極的に次女と同年齢の子どもを持つ「ママ友」は作りませんでした。
長女が幼稚園に入園する(平成24年夏)
勤務先を退職することが決まり、保育園に通っていた長女は幼稚園に入園しました。
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次女の多動
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長女のお菓子及びおもちゃへの度を超えた執着
次女は身体能力を超えた動きと俊敏な移動を常としていたので、内でも外でも全く目が離せず、他のママ友同士が楽しそうにお喋りをする中、私は次女の尻を追いかけてばかりで、いつも「何のために私はここにいるんだろう…」と思っていました。
そのため、このお菓子は皆んなが食べるためにあること、食べてばかりいないでお友達と遊ぶよう長女に注意をしなければなりませんでした。
結果、ママ友からの誘いは非常に気の乗らないものとなり、ママ友の存在さえ鬱陶しく感じるようになりました。
次女、そして長女の診断と私(平成26年11月〜現在)
平成26年11月に次女がADHDと診断されました。その後平成27年2月に長女が軽度ASDと診断され、私にもASD傾向があるとわかりました。
また、平成26年12月から姉妹は同じ保育園に通うようになり、姉妹の環境が大きく変わりました。
ママ友を積極的に必要としなくなった理由
姉妹それぞれ診断を受け、自身の傾向を知った後、保育園へ入園という環境の変化もあり、自分からは一切ママ友に連絡を取ることはなくなりました。
理由は次の通りです。
- そもそも子供の交友関係を尊重または維持するために「ママ友」と付き合いをしていたところ、次の理由から、子どもをお友達と遊ばせるのに「ママ友」へ連絡する必要がなくなった。
- 次女は「自分がやりたいことができればハッピー!」な気質を持っているので、次女にとってお友達との関わりは今のところ二の次である。
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長女は人との関わりに関心があるけれども、それは長女のしたいことをするのに相手が必要なだけであって、その相手は長女の「遊びの道具」と同義→自他の別が曖昧な傾向が見られる。そのため、できれば親の休日に親が長女の相手となり、家庭内療育をすることが望ましい。
2. 私が医師にASD傾向を指摘されたことをきっかけに、自身が雑談が苦手であることを自覚し、その特性に逆らわないことにした。
私の中で「話をする」というのは、「情報伝達」と「情報交換」でしかありません。ですから自分の「知識欲」や「向上心」を満足させてくれるような話題にしか興味はありません。
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まとめ
- 「ママ友」はいるべき
- 「ママ友」が多いとリア充