【動画】「見つけてあげたい、帰してあげたい」=佐藤慈子撮影
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 軍服のボタンや懐中時計、手投げ弾……。70年前に壮絶な地上戦があった沖縄では、いまも地中から犠牲者の遺品や遺骨が見つかっている。だが、手がかりは少なく、遺族のもとへ返されるケースはわずか。それでも、兵士たちが生きていた証しを遺(のこ)そうと、活動に参加する若者もいる。

 沖縄本島の南西端の糸満市。激戦があった山林の中をスコップで掘り進む。単純な作業が延々と続く。立命館大学2年の市場涼さん(19)は2月、ボランティアサークルの活動で初めて遺骨収集に参加した。憲法改正や集団的自衛権などのニュースを耳にしてもどこかピンとこない。「戦争」を肌で感じられるかもしれないと思い、沖縄に飛んだ。

 4日目。土砂の中に印鑑を見つけた。長さ3・5センチほど。「灰原(はいばら)」の文字に、感じるものがあった。「『亡くなった多くの人』が、『亡くなった灰原さん』として突きつけられる感覚があった」と言う。

 沖縄戦の犠牲者は20万人余。その記録を残している「平和の礎(いしじ)」(同市)のデータベースで「灰原」姓を検索すると、岡山県の灰原利雄さんが見つかり、たどると遺族が判明した。