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 台湾中部・台中の現存しない住所あてに日本から一通の手紙が舞い込んだ。差出人は日本統治時代の台湾で小学校教師だった106歳の日本人女性。若い台湾の郵便局員が宛先の教え子を探し出し、「映画のような話」と話題を呼んでいる。手紙を機に女性と90歳前後の教え子たちとの交流が再び広がっている。

 手紙を出したのは、熊本県玉名市の高木波恵さん。小学生だった大正時代に警察官として赴任した父親とともに台湾に移り、約30年間暮らした。中部の台中第一高等女学校を出た後に教師となり、1929~38年の10年間、主に台湾人の子女が通う台中の烏日公学校(現・烏日小学校)で低学年を教えた。

 手紙のきっかけは、31年に台湾から夏の甲子園に出場し、準優勝した嘉義農林学校を題材にした映画「KANO」の日本公開だ。高木さんは当時熱心に嘉義農林を応援。中京商との決勝戦は役場でラジオ中継を聞いて声援を送った。この体験について朝日新聞熊本版の取材を受け、台中の教え子たちを懐かしく思い出した。

 教え子たちの近況を知りたいとの思いが募り、20年ほど前まで手紙のやりとりがあったという楊漢宗さん(87)にあてた手紙を娘の恵子さん(76)が代筆した。手紙は2月末に地元の烏日郵便局まで届いたが、住所表記がその後何度も変わっていて、現在の住所でどこに当たるのか分からなくなっていた。