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日本が「旧満州国」で米を大増産した! 戦後の発展も日本人のおかげ・・・中国メディアが異例の称賛

サーチナ 5月5日(火)10時29分配信

 浙江省寧波(ニンポー)市地元紙の「新僑報」は4月24日付で、「日本の米の食べ心地は、いつから世界第1位になったのか?」と題する記事を掲載した。同記事は旧満州における日本による米の大増産を高く評価した。特定の分野に限定していても、旧満州国における日本の貢献を中国メディアが手放しで称賛するのは異例だ。

 記事はまず、日本の米が極めて美味しいことは、日本に行った中国人が例外なく認めると紹介。美味しさの理由としては、消費者ニーズに応じるために農業関係者が懸命に取り組んだ品種改良を挙げた。

 さらに、種まき・田植えから収穫までの栽培時期と、収穫後の貯蔵や脱穀、さらにレベルの高い炊飯器の利用など、日本では消費者の口に入るまでのあらゆる段階において、米の味の維持について神経が使われているからと指摘した。

 文章は続けて、中国でも「おいしい米の産地」とされる東北地方(黒龍江、吉林、遼寧の中国東北三省)について、「日本とどんな関係があるのか?」と問いかけた。

 答えとしてまず、1930年代から(中国)東北地方には大量の日本人が移民したと紹介。続けて、「東北地方における米作りは日本人が主導することになった」、「日本は水利施設の建設や適した品種の導入を行行った。東北地方の米生産力は極めて大きく向上した」と説明した。

 中国ではたとえ特定の分野に限ったとしてもメディアが旧満州における日本の「行状」を手放しで称賛することは珍しい。また「新僑報」掲載の記事は、中国で旧満州を指す時に決まって使う「偽満洲国」の語を用いなかった。

 中華民国も、その後に成立した中華人民共和国も満州国を承認しておらず、「偽満洲国」の語には「正式な国家ではない」との政治的意味が込められている。同記事は「日本が占領した」とは表現したが、政治的色彩を持ち込むことを避けた可能性が高い。

 記事は続けて、戦後の東北地方における日本人の貢献も紹介した。水稲栽培を専門とする日本人篤農家の藤原長作氏(1912−1998年)が黒龍江省・方正県で稲作の視察を行い、地理環境、気象条件、農業用水の状況から北海道における稲作が応用できると判断し、指導を始めたという(故郷の岩手県における米づくりのノウハウを応用したとの説もある)。

 当時の方正県では栽培技術の遅れから、単位面積あたりの米の収穫量が極めて少なかった。藤原氏は収穫量を最終的には2.5倍にすると保障して、無償で指導を続けたという。

 記事は、「方正県は実際に藤原長作先生の技術で、水稲栽培大県になった。『方正米』は現在では、有名ブランドだ。『北の大荒野』は『北の大穀倉』になった。重要な要因は藤原氏の伝えた栽培技術だ」と藤原氏の功績を高く評価した。(編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:123RF)

最終更新:5月5日(火)10時29分

サーチナ

 
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