何かが欠落している韓国の思考


 朝鮮に清国から独立して貰い、まともな国家として独り立ちして欲しい日本と、従属させたままの現状維持を主張する清とでは、道理と無理の不毛な鬩(せめ)ぎ合い。

 無理を通して道理を引っ込ませる中華思想に対しての日本の我慢にも限度があった。

 この日清戦争を、未だ日本の「侵略戦争」とする説があって、どこをどう解釈すればそうなるのであろう。 

 日清戦争に至った日本の動機を読み下してみれば「西欧列強に対峙する為に」(つまり現状での因循固陋な朝鮮と清国ではそれはならず)、「華夷秩序に固執する清や朝鮮を目覚めさせ」(このままでは日本も道連れにされてしまうから)、「朝鮮を独立自尊の国にする」(何んとか、この戦争で目覚めさす、いや目覚めて貰いたい、否(いな)目覚めて貰わねばならぬ)。

 参謀本部の川上操六も「日本軍の砲声は、清の目覚めを促そうとする警鐘である。戦後の日本は進んで清と提携し、東亜の平和を維持せねばならぬ」と明解である。

 歴史は捏造と改竄(ざん)が、ソフトに云い換えれば解釈の差と被害者意識による思い込みが、史実から遠いところへと押し流すということは良くある。

 勝者に於いてすらの記録の数多(あまた)の不備は、まして云わんや敗者に於いてをや。

 最近の「太平洋戦争」も、局所はともかく、大本のところすら意見の整頓は成されていない。

 百二十年前の日清戦争を侵略戦争と見たがる動機とは何か。

 ここを掛け違えれば、その下のボタンも、更にその下も、すなわち日露戦争も、日韓併合も、大東亜戦争も、正確な穴との巡り合いは永久に失われる。

 日清戦争の、戦前と戦中は意図するところは明解であったが、戦後に禍根を残した。

 西欧に倣(なら)ってか、勝った日本は清に対して賠償金と領土割譲を要求してしまう。

 大儀は立派でも結果が違えば西欧と同じ穴の貉(むじな)と云われよう。

 日清戦争侵略説派は、ここを突きたいのであろう。

 日韓問題を考える上でも、有道の国の大儀から無道への変化の理由は、是非とも押さえておくべき点である。

 かといって、全てが無道に変貌した訳ではなく、多くの面で余る程に有道は残った。

 賠償金や領土割譲を無道と攻めるなら、第一次世界大戦や、続く大東亜戦争後の戦勝国も同類となるだろうが、アンタもやっているからオレもやるでは有道の理念が泣く。

 日清戦争の汚点はさて措(お)いて、日韓問題を考える時、以上の如くに二国間だけの話では収まらず、他の二国も転び出る事実と地域的関係性。

 本稿の目的である日韓併合問題に至る前にここまでの伏線が必要である複雑さに、既に福沢同様に脱亜を唱えたくもなる。

 あれ程、朝鮮の近代化に手を貸した日本を代表する人間、いや恩人福沢諭吉をして〈我国の近代化の過程を踏みにじり、破綻へと追いやった我が民族全体の敵〉とは、もはや身体のどこぞの何かが欠落していると断じざるを得ない。

 日韓併合に限ったことではなく、歴史上の事例を語る時、その時点に立ち返って当時の世界常識や都合を加味して解釈し、時効のようなラインで遮(しゃ)断する方法と、過去完了と現在進行形をロープで結び付け、今と未来の議題として息を吹き返させる方法とがある。

 成熟した国では多く前者を支持し、未だ前近代的な国は後者を選択するようである。

 併合前の朝鮮には、全土で小学校が四十程しかなかったが、中国からの独立には教育こそが必要だと考えた一人の日本人が一気に四千校以上に増やした。

 この日本人は、寺内正毅一派が強権的日韓併合を進めるのに強く反対し、朝鮮人自らによる内閣を構想していたが、何故か暗殺された。

 男を殺した為に日韓併合が早まるという皮肉な結果を招いたこのテロリストは、英雄として中国黒竜江省のハルビン駅で銅像になった。

 殺されたのは伊藤博文で、殺したのは安重根。

 伊藤暗殺の翌年、韓国は日本に併合された。

 この併合を日本の植民地化というが、概念として以前のイギリス、フランス、スペイン、ポルトガル等々のそれと比べると明らかに性格は異なる。

 ソウルには帝国大学も創ったし、留学生も多くを受け入れた。植民地にしようとするところに小学校数を百倍にし大学まで創る宗主国など過去には無い。


 次に農地を開墾し、商業を興し、資本主義の理解を早めたというに、米を収奪し、既に存在した資本主義の芽を摘み、日本語と日本名を強要した―と、全くに逆のことを主張する。

 「日本が朝鮮から強奪したもの」として、今も韓国が言い募る「七奪」である。

 「七奪」には根拠が無いどころか、全てが捏造の類(たぐ)いだから反論すら阿呆らしい。

 西欧列強による支配は植民地の王室を廃止したが、日韓の皇室が融合しての統治はそれには重ならない。 「李王家の歳費」として日本政府が毎年計上した金額は現在の価値に換算して約二百億円程にもなり、日本の宮家の皇族費と比較しても圧倒的に巨額であった。

 経済や待遇などは末梢なことで「日本が李王家を奪った」ことこそ重要というのなら、終戦時に朝鮮に帰国せんとした李垠殿下と王朝復活を断固として拒否し、共和国制国家に移行したのは李承晩の意志ではなかったか。

 李王家の面目を奪い消滅させたのは朝鮮人自身に他ならない。

 次なる「奪」として「主権」を挙げるが、李氏朝鮮は長く清の属国であったから、元より主権など存在しなかった。

 そも「日韓合邦」の嘆願書は日露戦争後、多くの朝鮮人によって李朝皇帝、統監、首相に対して提出された。

 日本によって一方的に併合が成されたのではなく、多くの朝鮮人の意志によって推進された側面を隠そうとする。

「人命尊重」教えた日本だが…


 明治43年(1910)、日韓は「韓国併合ニ関スル条約」を締結するに至る。これは日韓両国がそれぞれに国内法を踏まえ、当時の国際法にも照らし、国家同士が合法的に締結した正式にして正当な条約であって、日本が一方的にごり押しした結果などという子供の作文のような主張がどこから出るのか。

 2001年の国際学術会議も「日韓併合条約は国際法上不法なものではなかった」と結論付けている。

 法的な結論が出ている以上、他の「奪」に関する点検など今更不要だが、教科書にまで載せて捏造のingを続けたい様子だから、テキパキと片づける。

 韓国の主張する土地の簒奪など無かったどころか、日本は近代的測量技術によって、それまでメチャクチャであった朝鮮側の数値を正確にした。具体的に申せば、それまで二百七十万町歩とされていた農地を四百八十七万町歩と糺(ただ)した。

 如何なる国にも、跳(は)ねっ返りは出現するから、朝鮮のお国柄とも言えまいが、測量後増えた土地を売ろうとする輩が続出する中、日本政府は憲兵を差し向けてまで日本人への売買を禁止して朝鮮人の利権を守っている。

 次に「朝鮮語を奪い、日本名を押しつけた」と教科書に書くが、話はここでも全くに逆で、朝鮮語を禁止した事実など一度としてない。

 だいたい当時の半島に於ける日本人の割合は朝鮮人の98%に対して2%ほどだから、禁止などしたら日常生活が立ち行かない筈ではないか。

 朝鮮語の廃止と日本語常用を唱えたのは、何んと朝鮮の知識人の方である。

 「朝鮮語廃止論」を「廃止」させたのは日本なのだ。
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白い制服に身を包み校庭に集う平壌女子高等普通学校の生徒ら(幣原坦『朝鮮教育論』大正8)
 「創氏改名」に就いては、多くの日本人も誤解している。

 「日本人になって三十年近く経っても、日本式姓名を名乗れないのは朝鮮人への差別である」と机を叩いたのは朝鮮人の方だ。

 日本への密航増加と治安の問題を指摘する慎重派と、「一視同仁」の考えから内地人と朝鮮人を平等に扱うべきとする推進派が二派に分かれて対応に窮した。

 結果、1936年の戸籍法改正に至るのだが、朝鮮の文化伝統を重んじる日本は夫婦それぞれの「姓」を戸籍上に残し、「氏」としてファミリーネームを創った。この「氏」は朝鮮姓を用いるのが基本だが、希望すれば日本語式にもできた。

 朝鮮人としてのアイデンティティを残しつつ、日本人と同等の権利を獲得できるグッドアイデアであったが、またもや朝鮮側からクレームがついた。

 「せっかく日本人の苗字が名乗れても、下の名前が朝鮮式のままでは意味がないので、名前も変えさせてくれ」との要望が引きも切らず、ついには日本側もこれに対応し、裁判所に申請し、正当な事由有りと認められた場合に限り、可としたのである。

 これが「創氏改名」であった。

 「米を収奪した」については先述の農地の近代的測量技術を駆使した事実で充分であろうが、何時までも「盗った!盗った!」と騒ぎ続けるので息の根を止めておく。

 併合なった朝鮮の水田を見て日本は驚いた。

 古代さながらの天水頼みの農耕は、飢饉による多数の餓死者を出し続けていた。

 そこで日本は「朝鮮産米増殖計画」で改造に踏み出す。

 かつて朝鮮全土で一千万石ほどであった生産高は、計画実施の結果倍増の二千万石に達し、大豆や雑穀類も60%を増やした。

 更に「朝鮮農山漁村振興運動」によって、農家の収入は二倍に増えている。

「命も奪った」というから、直接的な「命」にも触れておくが、西洋医学の普及しない李氏朝鮮時代の衛生事情は劣悪で、疫病によって度々十万人単位の人命が失われていた。

 併合後、日本は近代医療を朝鮮に導入する。

 1910年当時の朝鮮人の平均寿命は二十五歳程度であったが、導入後30年にして、45歳にまで延びた。

 命を奪ったか、命を救ったか、歴史を識(し)れば判るしごく単純明快な事実ではないか。

 日韓併合によって生じた単純明快なる景色を物差しにして、昨年に起きた韓国の旅客船「セウォル号」沈没事件にあててみる。

 身分を偽って、まっ先に逃げた船長は、かつて海難事故では日本の自衛艦に救(たす)けられていた。救けなければ今回の事故もなかったかもしれぬ。救けた日本が悪かった。

 船にしても日本が造った。安全など二の次に利益優先に改造しまくるお国の性癖を無視してお譲りしたことは思慮を欠く。日本が悪い。

 船長が逃げた、乗組員も逃げたとお怒りのようだが、そもお国のトップ達は歴代に亘って逃げているではないか。

 清国建国前の満州軍による朝鮮侵攻の際も李朝の仁(じん)祖(そ)は江華島へと逃げた。第二次日韓協約の際の高宗も逃げた。韓国初代大統領の李承晩も逃げた。遡って、秀吉の文禄、慶長の役に於いてもトップ達は逃げまくった。

 お国では、ことあらばトップが逃げ出すという、雅(みやび)といおうか、奥ゆかしいというか、何んというか、〝逃げの美学〟のようなものが育(はぐく)まれてきた。

 逃げと同様に、お国は近代的な「機械」というものを理解したくもなければ造りたくもないようで、その結果「パクる」という行為を日常化なされた。普通ではなかなか出来ないことで舌を巻く他はない。

 2003年2月の大邱市の地下鉄放火事件でも、運転士は「席を離れるな」と言い残して自分は逃げて192人の死者を出した。

 逃げるのは、お国の美学でもあろうから、何も言えないが、思えばこの地下鉄も日本の援助によって出来たが、力量と性癖とを考えずにかくも危険なモノを造って差し上げた日本が悪い。
お札の顔としても世界に知られる
ようになった福沢諭吉が現在の日
韓、日中関係を知ったら何と言うか…

 セウォル号には修学旅行中の生徒が多かった。これも小学校の数を増やしたりせず、そのままにしておけばと悔やまれる。

 伊藤博文は全くに余計なことをした。

 先見の明を持つ安重根がこれを殺したのは、げに当然のことといえるやもしれぬ。

 農業を改良し、収入を増やし、寿命など延ばして、本当に悪かった。

 お国がメチャクチャなことを言うようになったのも日本の所為であろうが、今、日韓併合を点検するに、感謝されこそすれ恨まれることなどひとつだに無きように思うが、逆恨みの逆さの根拠すらないというに、捏造、改竄(かいざん)、虚言によって、プライドとも云えぬ、奇妙な立場を主張する民族と国にした日本の責任は重かろう。

 もう係りなく、福沢先生の背中を追って、ここに〝脱韓論〟を唱えるに至る。

合掌


 くろがね・ひろし 昭和20年高知県生まれ。39年武蔵野美術大学中退。43年『山賊の唄が聞こえる』で漫画家デビュー。平成9年『新選組』で第43回文藝春秋漫画賞、10年『坂本龍馬』で文化庁メディア芸術祭マンガ部門の大賞、14年『赤兵衛』で第47回小学館漫画賞審査委員特別賞を受賞。ギャンブル好きで競馬ファンとしても知られるが、政治や国際関係の見識は高く、民主党政権「失われた3年間」のデタラメ政治を痛烈に批判。中国や韓国の反日プロパガンダに対しても事実を挙げながら、漫画家らしい皮肉たっぷりの反論を展開している。著書に『千思万考』シリーズ、『GOLFという病に効く薬はない』(ともに幻冬舎)、『新・信長記』(PHP研究所)など。近著に『韓中衰栄と武士道』(KADOKAWA)。


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