終戦70年:ベルリン、パリで式典「解放の日」記憶新た
毎日新聞 2015年05月08日 20時46分(最終更新 05月08日 20時56分)
残された家族は、ユダヤ人だったため母たちとは別の場所に身を隠していた医師の養父だけ。養父は隠れ家が空襲で被災したため、地下鉄の駅に寝泊まりしていた。食料配給券を持たない養父は満足な食事もできず、2人でゴミの山をあさって命をつないだ。
4月末にベルリンはソ連軍に包囲され、激しい市街戦が始まる。5月初めには「スターリンのオルガン」と呼ばれたソ連のロケット砲部隊が、チバースさんの住む学生寮の前を通過して行った。
市街戦でドイツ人男性は死亡したり拘束されたりする一方、残された女性の多くがソ連兵に暴行された。独メディアによると、ベルリンだけで約10万人が被害に遭ったとされる。市民には重苦しい絶望感がのしかかり、自ら命を絶つ人も後を絶たなかった。
終戦の日となる8日、チーバスさんの元にもソ連兵が押しかけた。「女出てこい!」。チーバスさんはとっさに、服従せず逃げる道を選んだ。だが兵士は持っていた拳銃でチーバスさんの背中をたたきつける。勢いで階段から転落、左足首を骨折した。
思いもよらない大けがに驚いた兵士は、持っていたハンカチでチーバスさんの足首を固定すると、そのまま立ち去って行った。病院に満足な機材があるはずもない。レントゲンを担当する医師が撮影もせず、手探りで折れた骨をつなぎ合わせ固定してくれた。
戦後しばらくして、チーバスさんはベルリンでルーマニア出身の指揮者チェリビダッケ氏のコンサートを鑑賞した。「ああ、本当に戦争が終わったんだ」。懐かしい文化の薫りが、戦前との区切りを鮮明に心に刻む。忘れていた安堵(あんど)感が満ちてくるのを感じた。
歴史学や芸術史を専攻したチーバスさんは戦後、子供向け書籍や文学作品を多数執筆し、作家として成功を収めた。ベルリンの閑静な住宅街にある自宅の窓からは、風に揺れる新緑と楽しげに遊ぶ子供の姿が見えた。窓に目をやりながら、つぶやいた。「戦争のことを語るのは本当に嫌。私のすべてを奪っていった、全部よ」