終戦70年:ベルリン、パリで式典「解放の日」記憶新た

毎日新聞 2015年05月08日 20時46分(最終更新 05月08日 20時56分)

 【ベルリン中西啓介、パリ宮川裕章】第二次世界大戦の終戦70年を記念する式典が8日、ベルリン、パリで開かれ、独仏両国の首脳が平和への決意を新たにした。

 ベルリンの連邦議会で行われた式典にはメルケル首相、ガウク大統領が出席。冒頭で登壇したラマート議長は「過去の過酷な経験を自覚することで、世界の自由と平和に貢献する現在や未来を形作ることができる」と演説し、ナチスの記憶と正面から向き合う姿勢の重要性を強調した。

 そのうえで、1月に94歳で死去したワイツゼッカー元独大統領の言葉の一部を引用し「5月8日は全欧州にとっての解放の日だった」と位置づけ、「我々の思いは、多くの犠牲を払いナチスとの戦いを終わらせた西側諸国と旧ソ連兵にも向けられる」と述べ、これまで語られることの少なかったロシアやウクライナなど連合軍側で戦った兵士の貢献にも感謝の意を示した。

 一方、パリではオランド大統領が凱旋門の無名戦士の墓に献花し、「フランスの解放に貢献した米国をはじめ、英国、ロシアなど当時の同盟国の果たした役割を心に留めたい」と述べた。さらに「戦争を生き残った人たちが経験を語り続けてくれているように、過ちが二度と起きないよう、今後も若者たちに記憶を伝えていくことが重要だ」と語った。

 母親がフランス人の看護師で、大戦中に負傷兵の手当てをした経緯があるケリー米国務長官も参列し、ファビウス仏外相と並んで黙とうをささげた。式典では米国歌も流れた。

 ◇私のすべてを奪っていった

 【ベルリン中西啓介】「終戦になっても、すぐには戦争が終わったという現実に適応できなかった。あの時、何もかも失って、自分のことで精いっぱいだった」−−。両手を握りしめながら、ウルズラ・チーバスさん(93)は、今も住む故郷ベルリンをがれきの山に変え、最愛の肉親をすべて奪った70年前の出来事を証言した。

 ソ連がベルリンへと軍を進めていた1945年、チーバスさんは大学生だった。2月、すでに日常化していた連合軍による空爆に家族は引き裂かれた。

 「警報が解除されて10分後に空爆が始まった。みんなが通りに出てきたのを確認して、その上に爆弾を落とした。市民を狙ったのよ」。怒りに語気が強くなる。チーバスさんは学生寮にいたため無事だったが、母、祖母、2人のおばが犠牲になり、兄弟のいないチーバスさんは血のつながった肉親を失った。

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