戦後70年:戦争の悲劇を人類遺産に 普遍性説得力が課題

毎日新聞 2015年05月08日 22時44分(最終更新 05月08日 22時50分)

 戦後70年を機に、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界記憶遺産に第二次世界大戦の関連資料を申請する動きが各地で活発化している。2017年登録分の国内候補を絞り込むための公募が3月から始まったが、特攻や原爆などの資料について自治体や市民団体が「悲劇を人類の遺産として伝えたい」と申請準備を進めている。だが、戦争を巡る認識は各国で異なる。普遍的価値を世界に説明できるかが課題だ。

 記憶遺産は山本作兵衛の炭坑記録画(福岡県)が11年に国内で初めて登録されて以降、注目が集まり、申請希望が増加。事前に絞り込むため、日本ユネスコ国内委員会が公募で審査することになった。6月19日まで募集して9月に2件を選び、来年3月にユネスコに申請する。

 昨年、特攻隊員の手紙や遺書(知覧特攻平和会館所蔵)が国内選考で落選した鹿児島県南九州市は再申請する方針で、語り部や遺族らで「世界記憶遺産推進会議」を新設し、申請理由を練り直している。前回は「愛する人や平和を思う隊員たちの心情が読み取れる」と強調したが、「日本からのみの視点」と指摘された。こうした評価を踏まえ、客観的事実を重視することで「特攻の美化だ」との批判にも対応していく考えだ。

 「人間魚雷」と呼ばれた特攻兵器「回天」の基地があった山口県周南市では、隊員の遺品や遺書の登録を目指す動きがある。主体となる周南観光コンベンション協会が13年に実施した観光アンケートで、回天が2位に選ばれたことが発端という。

 広島市の市民団体「広島文学資料保全の会」は、原民喜や峠三吉ら被爆した3人の作家の草稿や、作品の元になったメモなど3点の申請を目指す。池田正彦事務局長は「被爆者が高齢化する中、文学には時代を超えて原爆の惨禍を伝える力がある」と話す。また、日本写真家協会(田沼武能会長)も、人類初の原爆被害を直後に記録した、松重美人さんや山端庸介さんが撮影したフィルムの申請を検討している。1月にあったユネスコ国内委では、原爆関連資料の申請に理解を示す委員の発言があったといい、注目が集まる。

 第二次大戦関連では「アンネ・フランクの日記」が登録済み。抑留・引き揚げ関連資料570点が国内候補となった京都府舞鶴市では、舞鶴引揚記念館の来館者が急増するなど、観光効果も出ている。

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