この作品 機動警察パトレイバーにおいて、作者のゆうきまさみは何を描こうとしたのでしょうか。いや、何に挑んでいたのでしょうか。敵は企画七課 ー80年代的感性ー だけであったのか?
それを読み解く鍵は、遊馬とその父 一馬にあります。
イングラムの不正入札疑惑の際、遊馬は父に会いに行きます。そこで行われた会話については別のエントリで触れた通りですが、ここでのポイントは、その会話の内容ではありません。父 一馬の姿がどのように描かれているか、です。そこに注目すると奇妙なことに気が付きます。彼の姿は ー逆光を受けているためにー シルエットでしか描かれていない。つまり、彼には顔がないのです。
ゆうきまさみは、父の顔を描かなかった -あるいは描けなかった-。これが意味することは、彼にはほぼ人格が与えられていないということです。なぜならば、一馬は大きな社会システム -高度資本主義(by 村上春樹)- の象徴、というよりズバリそのものだからです。
パトレイバー連載当初から、作者は当時の複雑な社会の仕組みやその裏側と、第二小隊との関わりを描こうとしてきました。なぜならば、そうした社会の中においてこそ、野明や遊馬の正義と、彼らの職業的アイデンティティが獲得されるはずだからです。そして、その社会の頂点と中心には、常に遊馬とイングラムの父である篠原一馬の影がありました。
しかし、結論から言えばその試みはあまり上手くいかなかったようです。それは遊馬が、いや、作者が父の顔、すなわち社会の全体像を捉えきれなかったことからも分かります。彼、篠原一馬は正義なのか悪なのか、敵なのか味方なのか。父というより、むしろ非人格的な「それ」はイングラムの生みの親でありながらも、野明や遊馬の側にはいない。しかし、同時にそれは遊馬の体内に、二重(イングラムと篠原の血)の意味で食い込んでおり、その身から引きはがすことも出来ない。。。
(この作品における強い父のイメージは、最終的にこの一馬に集約されるため、それ以外の場において、特に第二小隊の中には父権的男性があまり見当たらないのも特徴です。強いてあげれば太田かもしれませんが、そのイメージはむしろ幼さを感じさせるものになっています)
そして遊馬が父 ー大きな社会システムー と決別した(することは出来ないのですが)後、別の言い方をすれば、イングラムがその父から切り離された後、第二小隊の正義はその内部から担保されるようになります。具体的には、野明 ー母親ー が、自らの職業倫理や等身大の正義感によってイングラムを育てていきます。ただ、それと引き換えにイングラムの正義は相対的に小さなものにならざるを得ません。これが、第二小隊の正義がシャフト上層部(極東マネージャー)に届かず、また、内海をはじめとする企画七課のメンバーを ー直接的にー 裁くことがなかった理由でしょう。加えて、彼らの職業的アイデンティティも、特車二課のローカルな人間関係の中で ーのみー 獲得されることになります。
ここまでの話を簡単に整理するならば、コミックス版パトレイバーの世界は、次のように移行をしていきます。
・大きく複雑な社会 → 小さく単純な社会
・大きく曖昧な正義 → 小さく明瞭な正義
この作品をビルドゥングスロマンとしてとらえる場合、前述の移行は泉野明の成長を妨げることはありません。彼女は、北海道からやってきた「運転手さんと学校の先生になりたい少女」であり、自己実現の場が大きかろうが、小さかろうが、ある意味では関係ないからです。加えて、彼女にはイングラムを ー母としてー 育てたという自負があるでしょう。
しかし、遊馬はそうでありません。より私たち読者に近い存在である彼は、その出自から分かる通り、篠原重工 ー大きな社会システムー と骨がらみになっており、そこから逃れられないからです。だからこそ、遊馬は世の中のすべてに対して、その斜に構えた態度を崩さず、またイングラムに乗らない ー乗れないー ことで自らの正義とアイデンティティを保留してきました。
そのため、父の顔を捉えきれなかった遊馬 ーと作者ー は、父との決別の後、彼のビルドゥングスロマンを、実質ほぼ放棄してしまいます。顔が見えず、しかし逃れることもできないシステムとしての父にどう対峙すればいいというのか。社会に対して永遠に斜めに構えているしかないのか。そして前回のエントリでも書いたとおり、ここから先、パトレイバーのビルドゥングスロマンは野明が一人で担うことになり、むしろ遊馬の方が彼女に依存するような形になります。
以上が、ゆうきまさみがパトレイバーという作品の中で挑んだ ーそして破れたー ことではないでしょうか。
ちなみに、作者は次作 「じゃじゃ馬グルーミン★UP!」において、ある意味では、この問題をいったん棚上げします。そこでは遊馬=駿平は、父が君臨する大きな社会としての東京と、そんな父になることを強いる母から逃走し、野明の出身地である北海道に向かいます。そして、そこで強い父のいない小さな社会 ー母系家族ー 渡会牧場を選択し、その中において再起を図ることになります。
また、この作品における作者の問題意識、大きく複雑な社会の中において、どのように正義とアイデンティティを獲得するか ー成長するかー は、その後の作品、たとえばエヴァンゲリオン(大きな社会からの撤退戦)にも共有され、また、セカイ系~日常系と呼ばれる作品群の、その源流の一つになったとも理解できるかもしれません。
以上でこの連載はいったん終わりにしたいと思います。HIGHLAND VIEWさんとの雑談(『機動警察パトレイバー』を中心とした、ゆうきまさみに関するはてしない物語(ツイート群) - Togetterまとめ)から始まったこの連載に、長くお付き合いいただき ありがとうございました。後は、HIGHLAND VIEW(HIGHLAND VIEW 【ハイランドビュー】)さんにお任せしたいと思います 笑。