先日UNESCOから「明治日本の産業革命遺産」の23の構成施設が世界文化遺産への登録勧告を受けました。
日本人としては嬉しい限りですが、UNESCOは一体何を焦っているのか、、軍艦島や八幡製鉄所はともかく、他の場所は世界遺産としての価値があるのか疑問です
アントニ・ガウディは確かに偉大なる建築家でした。しかし、サグラダ・ファミリアやグエル公園はともかく、、カサ・ミラやカサ・パトリョが世界遺産だという事には納得いきませんでした
歴史的価値があるのかもしれませんが、正直ただのアパートです(笑)
なんでもかんでも世界遺産にすると世界遺産の価値というものがなくなってしまうのでは、、という危惧を覚えます
山口県の人には申し訳ないのですが、その中でも山口県萩市の松下村塾は最も納得いかない世界遺産候補です。明治維新に欠かせない人物を多数育成した歴史的価値は認めざるを得ませんが、ただのあばら家です。
吉田松陰という人物自体は大好きですが、彼の思想を現代に復活させるのは大変危険です
松陰は「下田事件」の後、一度入ると二度と出れる事はないという山口県萩の野山獄に幽囚の身となりました
彼の向上心というか学問への情熱は尋常ではなく二度と出れないのに「孟子」等を勉強し、他の囚人からも俳句や書など得意なものを習っていたと思います
『講孟箚記(こうもうさっき)』とは、松陰が同囚たちを相手に始めた『孟子(もうし)』の講義内容を松陰自身が記録したものです
松陰の講義はいたく人々の心を打つものでした。
その講義は獄中の囚人たちはもちろん、獄外で講義を聴いていた獄吏(ごくり/牢獄の役人)たちをも感動させたといいます
その中で僕が危険だと言っているのは稲盛和夫さんの殺し文句「私心なかりしか」です。
稲盛さんのような企業経営においては最も大事な考え方ですが、戦争においては「私心」をもたなくてはなりません、、
「私心を去る」とはすなわち
「武士たる所は国のために命を惜しまぬことなり。
弓馬刀槍(きゅうばとうそう)銃ホウの技芸に非ず。
国のために命さへ惜しまねば、技芸なしといえども武士なり。
技芸ありといえども、国のために命を惜しむは武士に非ず。」と言っているのです
つまりは簡単に言えば、武士の価値は国家のために命を惜しまぬ事である。と言っているのです、、これはまさに神風特攻隊の思想ではないでしょうか?
僕達は今は武士ではありませんが、その内「集団的自衛権」によりいつ兵隊に駆り出されるかわかりません
その時に国のために命を捧げる必要はありません。尻尾を巻いて逃げましょう。それが僕の松陰と異にする考えです
サンフランシスコ講話条約で対中対露をもくろみ日本に軍隊の構築を迫るアメリカに対して憲法9条を盾に命懸けで、日本は軍隊を持たない、日本は一切の戦争を放棄するという主張を譲らず、経済成長を優先させてくれとアメリカに頼み込んだ吉田茂首相が今の状況を見たらなんと思うでしょうか、、今一度、「♪戦争を知らない子供たち♪」の僕達は考える時期に来てるのではないでしょうか、、
日本人としては嬉しい限りですが、UNESCOは一体何を焦っているのか、、軍艦島や八幡製鉄所はともかく、他の場所は世界遺産としての価値があるのか疑問です
アントニ・ガウディは確かに偉大なる建築家でした。しかし、サグラダ・ファミリアやグエル公園はともかく、、カサ・ミラやカサ・パトリョが世界遺産だという事には納得いきませんでした
歴史的価値があるのかもしれませんが、正直ただのアパートです(笑)
なんでもかんでも世界遺産にすると世界遺産の価値というものがなくなってしまうのでは、、という危惧を覚えます
山口県の人には申し訳ないのですが、その中でも山口県萩市の松下村塾は最も納得いかない世界遺産候補です。明治維新に欠かせない人物を多数育成した歴史的価値は認めざるを得ませんが、ただのあばら家です。
吉田松陰という人物自体は大好きですが、彼の思想を現代に復活させるのは大変危険です
松陰は「下田事件」の後、一度入ると二度と出れる事はないという山口県萩の野山獄に幽囚の身となりました
彼の向上心というか学問への情熱は尋常ではなく二度と出れないのに「孟子」等を勉強し、他の囚人からも俳句や書など得意なものを習っていたと思います
『講孟箚記(こうもうさっき)』とは、松陰が同囚たちを相手に始めた『孟子(もうし)』の講義内容を松陰自身が記録したものです
松陰の講義はいたく人々の心を打つものでした。
その講義は獄中の囚人たちはもちろん、獄外で講義を聴いていた獄吏(ごくり/牢獄の役人)たちをも感動させたといいます
その中で僕が危険だと言っているのは稲盛和夫さんの殺し文句「私心なかりしか」です。
稲盛さんのような企業経営においては最も大事な考え方ですが、戦争においては「私心」をもたなくてはなりません、、
「私心を去る」とはすなわち
「武士たる所は国のために命を惜しまぬことなり。
弓馬刀槍(きゅうばとうそう)銃ホウの技芸に非ず。
国のために命さへ惜しまねば、技芸なしといえども武士なり。
技芸ありといえども、国のために命を惜しむは武士に非ず。」と言っているのです
つまりは簡単に言えば、武士の価値は国家のために命を惜しまぬ事である。と言っているのです、、これはまさに神風特攻隊の思想ではないでしょうか?
僕達は今は武士ではありませんが、その内「集団的自衛権」によりいつ兵隊に駆り出されるかわかりません
その時に国のために命を捧げる必要はありません。尻尾を巻いて逃げましょう。それが僕の松陰と異にする考えです
サンフランシスコ講話条約で対中対露をもくろみ日本に軍隊の構築を迫るアメリカに対して憲法9条を盾に命懸けで、日本は軍隊を持たない、日本は一切の戦争を放棄するという主張を譲らず、経済成長を優先させてくれとアメリカに頼み込んだ吉田茂首相が今の状況を見たらなんと思うでしょうか、、今一度、「♪戦争を知らない子供たち♪」の僕達は考える時期に来てるのではないでしょうか、、