日本の急速な近代化を支えた、製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業の遺構や施設が、「明治日本の産業革命遺産」として、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に登録される見通しになった。

 対象は、19世紀後半から1910年までの期間に、日本を産業国家として発展させる礎となった23の遺構・施設だ。「軍艦島」(長崎県)や八幡製鉄所(福岡県)、韮山反射炉(静岡県)など、九州から岩手まで8県に広がる。

 いずれも、西洋の技術を採り入れ、国内の伝統的な技と組み合わせながら重工業を発展させた歴史を物語る。登録で関心が高まり、先人の知恵と努力の軌跡を学ぶきっかけになれば、意義深い。

 観光客が増える効果を期待する地域も多い。同じ近代化遺産の富岡製糸場(群馬県)は登録された昨年度、前年の4倍を超える133万7千人が訪れた。

 保全しながら、観光資源としてどう活用するか。世界遺産を抱える自治体には、こうした課題がある。加えて、この「産業革命遺産」には外から厳しい目が向けられている。

 韓国政府は、対象のうち炭鉱など7カ所で、1940年代を中心に朝鮮半島からの強制動員があったと主張。登録を正式に決める来月の世界遺産委員会に向けて、反対運動をしている。

 世界遺産は、各国の遺産を人類全体のために保護するのが目的だ。国家間の対立を持ち込むのは、その精神にそぐわない。

 一方、日本政府は「時代が全然違う。韓国の懸念は当たらないということを丁寧に説明していきたい」との立場だ。ユネスコに登録されやすいように今回、遺産を構成する対象を絞った。だからといって歴史のつながりを無視して、1910年より後のことを考慮しないというのは不自然だ。

 1910年、日本は韓国を併合した。その後、多くの朝鮮半島出身者が強制労働させられたのは史料などでわかっている。日本がそのことと誠実に向き合う姿勢を国際社会に示すことは明治日本のめざましい発展を誇るのと同じく、大事なことだ。

 時代はくだり、福岡県大牟田市の三池炭鉱では、世界遺産候補の近くで63年に炭じん爆発が起き、458人が亡くなった。それから全国の炭鉱は次々と閉じ、人々は山を去った。こうした事実にも思いを致したい。

 歴史には光と影がある。発展の裏の犠牲や悲劇も学び、伝える責任がある。日本の近現代史を複眼で考える機会にしたい。