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安倍議会演説で見えてきた「戦後70年談話」の輪郭【ひげの一品 外交解読】

時事通信 5月7日(木)15時27分配信

 4月29日の米上下両院合同会議で、安倍晋三首相は、第2次世界大戦で焦土と化した日本が米国の支援を受けて復興した日米関係のサクセス・ストーリーを語った。真の「和解」から世界の平和と繁栄を主導する「希望の同盟」へ。安倍演説は、地殻変動がグローバル規模で進む転換点に立って、日本が新たな日米関係のステージに踏み込んだことを象徴する歴史的なイベントとなった。今回の演説で示された歴史認識を踏まえて、8月15日の戦後70年談話の輪郭を読み解いてみる。
 ◇意識せざる得ない言葉のウォーゲーム
 戦後70年談話をめぐっては、メディア報道は、戦後50年村山談話に明記されたキーワード(「反省」「お詫び」「植民地支配」「侵略」)が入るかどうかに焦点を当てる。当の首相は、キーワードの比較は意味がないとの立場だが、談話が近隣外交に影響を及ぼす以上、言葉のウォーゲームも意識しない訳にはいかない。このため、首相が演説や記者会見などでの発言を通じて中韓の反応を慎重に見極めようとしてきたのも確かだ。
 日本の首相として初めての米上下両院合同会議での演説はその一里塚だった。安倍首相が演説に立ったのは、1941年12月にF・ルーズベルト大統領が真珠湾攻撃の日を「屈辱の日」と宣言して対日宣戦布告案を可決へと導いたのと同じ壇上だ。以来70年余。今や日米は「昨日の敵」から「今日の友」となっている。演説では、戦場となった真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海に続いて激戦地・硫黄島に言及。中隊を率いて上陸したスノーデン米海兵隊中将(当時大尉)と、日本軍を指揮した栗林忠道大将の孫・新藤義孝国会議員がバルコニーで握手するのを指し示して、日米和解を演出した。「熾烈に戦い合った敵は、心の紐帯が結ぶ友になりました」。その上で首相は強調した。「戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代首相と全く変わるものではありません」。
 首相は、バンドン会議60周年首脳会議でのスピーチで「バンドン精神」を引用して間接的に表明した「深い反省」から踏み込んで「先の大戦に対する痛切な反省」(「deep remorse」)を明言。また米兵の戦死者への哀悼の意として「深い悔悟(deep repentance)」の念を示したが、他のキーワードは使わなかった。
◇「侵略」までは言うが・・? 
 戦後70年の日本の歩みと未来志向に力点を置いた安倍議会演説は、米側には好意的に受け止められた。日本にとって先の大戦の一側面、日米戦争については、原爆投下をめぐる問題は残されるにしても一応のケジメがつけられたと言える。では、もう一つの側面であるアジアへの侵攻、特に日中戦争についてはどうか。次なる焦点は8・15談話に移る。
 談話の未来志向のトーンは変わらないだろうが、未来は過去と切り離せない。総理は、談話の中で「『反省』は言うけれども、『お詫び』までは言わない。しかし『侵略』までは言う」(政府筋)と断言する向きもあるが、キーワードをそのまま使うかどうかは二の次。談話の真価はどのような文脈でどんな言葉が使われるかで決まる。
 村山談話の核心は、「疑うべくもないこの歴史の事実」とした部分−「敗戦」と「国策を誤った」と明言した認識−にある。「(村山談話を含めて)歴代内閣の立場を引き継ぐ」(年頭記者会見、1月5日)というのならば、最低限、この起点にどう向き合うかくらいは言及する必要があるだろう。
 ただ、日本側には「どんなことを言っても、中国・韓国が今後も歴史カードを放棄することはないだろう」との諦念があるのも事実。中国の歴史観を考慮すると、戦後70年談話は「中央突破を図る以外にない」と首相が考えても不思議ではない。(解説委員 鈴木美勝)

最終更新:5月7日(木)18時27分

時事通信