ちょっと前にこんな事件が起きました↓
なんか大きな溜息が出ちゃいますね、僕はこの事件を知って思わず心で叫びました
「またか!?何で虐待事件って繰り返されてしまうんだぁ?」
皆さんも同じように感じたのではないでしょうか?同じような事件が何度も起きています
虐待から亡くなってしまった子供達が後を絶ちません。
油断して日々の生活に追われていると必ず虐待事件がニュースで報道される。
ニュースで虐待事件を見た時、誰もが思います。
「何で誰も助けなかったんだ?俺(私)だったらほっておかない、小さな子供達が亡くなっているんだぞぉ?」
解ります。僕も同じように思っていました。でもね、実際に虐待を目撃した時、本当に助ける事が出来るでしょうか?
もちろん、今回の事件のように誰が見ても異常なら警察や養護施設に連絡するでしょう。
しかし、一見すると虐待じゃないのかもしれないと思える事もあります。
キーワードは、躾け(しつけ)です。
60代ぐらいのオジサン、オバサン達がよく言いますよね?
「昔は厳しく躾けられて、悪戯したら親に殴られたもんだよぉ~、今の子は幸せだ」
虐待かもしれない。でも、もしかしたら親御さんの考えで厳しく躾けているだけなのかもしれない。
ニュースなどでよく耳にする『民事不介入』という言葉が頭に浮かびます。
実は、つい最近、躾けなのか?虐待なのか?を考える出来事がありました。
今日はいっしょに考えてみましょう。躾け(しつけ)と虐待のボーダーラインはどこだ?
厳しく指導するお母さんは教育ママなのか?
ある夜の休日、いつものようにカフェでブログを書いていると、若いお母さんと女の子(推定小3)が入って来ました。
僕の隣に親子は座って、女の子はバックから宿題を取り出します。
「おっ、お母さんに宿題を教えてもらうんだなぁ~、頑張れよ」と、心の中で女の子にエールを送りました。僕はお母さんが女の子に優しく宿題を教えてあげる微笑ましい姿を想像していたわけです。
しかし、だんだんと雲行きが怪しくなって来ます。
「はい、もう一度、やり直し!」と言って、お母さんは女の子が漢字ドリルに書いた漢字を全部消して行きます。
どうやら、女の子が書いた漢字の書き順が違ったみたいなんです。正直、やりすぎじゃないか?と思いましたよ。
だって、女の子が漢字の書き順を間違えた時点で、今まで書いた漢字を全部消すんですよ。
で、驚く事に、お母さんの女の子に対する要求は、さらにエスカレートして行きます。
「漢字ドリルと算数の宿題を30分以内に終わらせなかったら、今日の食事抜きだからね!」
いや、いや、それは、無いでしょ?お母さん?ご飯は食べさせてあげてくれよぉ~、と思いました。
けれど、お母さんの言動は止まりません。女の子にデコピンするようになるんです。問題や漢字を間違えるたびに、デコピンするんです。
女の子は、泣きそうになるのを堪えながら、宿題を続けます。僕は自分が怒られているわけじゃないのに、どんどん落ち込んでいきました。ブログどころじゃありません。
とにかくお母さんの言葉使いが汚い。「馬鹿じゃないの?!」、「こんなのも出来ないの?」、「あんたって本当に頭悪いねぇ~」とか、誹謗中傷するんです
ここで、僕は虐待を疑いました。だって、そうじゃないですか?毎日、あんな汚い言葉を浴びせられて、宿題を間違えるたびに食事抜きにさせられたら、女の子が精神的に病んでしまいます。
失敗を必要以上に恐れる大人になってしまうかもしれない。覚悟を決めて、「お母さん、大丈夫ですか?やりすぎじゃないですか?」とか「お子さん、かなりお疲れみたいですよ」とか、そんな言葉を掛けてみようと考えたんです。
やっぱり、僕の頭の中には、冒頭に紹介した虐待事件がありました。今回の虐待事件は、周囲の住民が気がついているにも関わらず、起きてしまった事件です。
やはり、周囲の住民が家族の問題と言えども、あと一歩、踏み込む必要があると思うんです。
そうでなければ、また虐待で亡くなる子供が出てしまう。
声を掛けるぐらいたいした事じゃありません。もし虐待じゃないなら、僕が声を掛けて来た変な奴と思われるだけです。
理屈では分かっています。分かっているんだけど、声を掛ける事は出来ませんでした。
理由は、あのお母さんがやっている事が厳しい躾けだと言われたら、そうかもしれないと思ってしまうからです。
正直、僕も親に怒られてデコピンされた事もあるし、悪戯して食事抜きにされた事もあります。それでも、立派な大人ではありませんが、それなりに楽しく生きています。
だから、「虐待」と言ってしまうのは、言いすぎじゃないか?と思ってしまったわけなんです。
でも、あの親子が家に帰ってどんなことが起きているのか?それは誰も知らないんですよね。
じゃあ、どうやって虐待事件を防げばいいのか?
あのお母さんが言った事で記憶に残っている言葉があります。
「こんな問題も出来なかったら、大人になって苦労するよ!」
確かに解る。お母さんの言っている事は正しい。僕も大人になって、もっと勉強しておけば良かったと思う事があります。
きっと、あのお母さんなりに、子供の将来を心配して勉強を教えているんだと思います。
僕はどうすれば良かったのでしょうか?正解は何だったのでしょうか?
きっと多くの人は、この記事を読んで思うでしょう。
「それで良かったんだよ、その家族の問題なんだから余計な事はしないほうがいい!」
賛成です。僕も同じように思います。
でも、それじゃ大きな問題が残ったままですよね?
じゃあ、どうやって虐待事件を防げばいいのか?という大きな、大きな問題です。
何度も言うように、今回のような虐待事件を無くすためには、民間、周囲の住民の力が必要です。
何度も、何度も虐待で小さい子供達が亡くなってしまう事件が起きてしまうのは、警察や養護施設だけでは解決できない問題がある事の証明です。
だから、僕は決めました。僕はおせっかいオジサンになります。
今度、同じような親子に会ったら、声を掛けてみようと思うんです。
「お母さん、やりすぎじゃないですか?」、「お子さん、かなりお疲れみたいですよ」。
かなり余計なこと、おせっかいなのは解っています。でも、後で虐待事件になるよりは、ましです。
虐待は、子供の貧困問題と深いつながりを持っています。
親の低収入によるストレス、誰も助けてもらえない状態、そういった環境が虐待を生みます。
「大丈夫ですか?」の一言が大きな意味を持つ事があるんです。
さぁ、あなたならどうしますか?躾けと虐待のボーダーラインはどこだと思いますか?
共に考えてみようではないか!?