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 「一人の生命は、全地球よりも重い」

 1948年の最高裁判決は、明治時代に広く読まれた「西国立志編」の引用で知られる。

 戦前からの法や制度が見直されるなか、死刑は新憲法にかなうのかが問われた裁判だった。

 生命のかけがえのなさを強調する言葉とうらはらに、判決は、国家が人の命を奪う死刑について、残虐な刑を禁じる憲法に違反しないと結論づけた。

 67年前のこの司法判断が、今日まで死刑の合憲性の根拠となっている。

■もし終身刑があれば

 大法廷の裁判官11人の全員一致だった。興味深いのは、4人の裁判官による「憲法は死刑を永久に是認したわけではない」との補足意見である。

 文化が発達し、正義と秩序に基づく平和的社会が実現して、死刑の威嚇(いかく)による犯罪防止が不要になれば、死刑も否定されるに違いない――。そう述べた。

 先の大戦後、多くの国が死刑の廃止や執行停止に動き、7割の国がすでに死刑を廃止した。

 4人の裁判官が胸に描いた「平和的社会」は、まだ実現をみないのか。改めて問いたい。

 政府が死刑を正当化する主な理由とするのが、国民感情だ。

 5年に1回、ほぼ同じ質問をしている政府の世論調査では、存続派が圧倒的に多い。今年1月発表の調査でも存続が80・3%、廃止が9・7%だった。

 一方、見落とすべきではない変化もある。今回初めて、仮釈放の可能性がない終身刑が導入された場合の意見もきいた。

 「廃止しない方がよい」が51・5%、「廃止する方がよい」が37・7%。存続派が圧倒的に多いとされる構図が揺らいだ。

 現在、死刑に次ぐ重い刑である無期刑には仮釈放の可能性があり、死刑と無期刑の間のギャップが指摘されてきた。

 生涯刑務所で過ごす刑には、死刑とは別の過酷さがある。社会に戻る可能性がない人の処遇に伴う難しさもあろう。それでも、死刑廃止への段階的措置として検討すべきではないか。

■考える情報は乏しく

 世論調査の結果は、死刑をめぐる意見が、前提や問いの立て方で動くことを示している。

 民意を丁寧にすくい上げるために、違う前提の質問をもっと早く投げかけるべきではなかったか。国民の側は、死刑制度に思いを致さないまま、暗黙の支持を与えてはいないか。

 死刑と世論の関連を調べている佐藤舞・英オックスフォード大研究員は「政府が死刑について必要な情報を提供せずして、国民的合意があると結論づけ、国民もその見方に説得されている」と分析している。

 その決断を裁判官任せにせず市民も担う裁判員制度は、死刑をめぐる戦後最大の変化の一つだった。導入から6年たち、20以上の死刑判決が下された。

 だが、ふつうの市民が被告の刑の重さを考えるうえで、助けとなる情報の幅が広がったとは言い難い。政府はそのための積極的な施策をとっていない。

 死刑確定者が日々どんな生活を送るか、日本の絞首刑とはどんなものか、刑場見学の機会など、様々な情報を得られるようにするのが筋ではないか。

 だれもが死刑の決定にかかわりうる時代に合わせた情報開示が求められている。

■新しい価値とともに

 死刑存廃を考えるとき、凄惨(せいさん)な犯罪で命を奪われた被害者・遺族の視点も欠かせない。

 ただし当事者の思いや意見はそれぞれだ。処罰感情に応える刑を科す考え方を、司法はそもそもとっていない限界もある。

 被害者・遺族に十分に開かれた裁判を実現し、裁判後も刑の執行情報を届けるなど、多面的な支援を続けるべきだ。

 死刑のない世界が確立した西欧でも、廃止のうねりは、第2次大戦後のことだ。生命や人権の価値に目が向けられるなか、国家が人命を絶つことへの根源的な疑問が、そこにはあった。

 国際人権団体アムネスティ・インターナショナルによると、昨年末現在、経済協力開発機構(OECD)加盟34カ国で、死刑を執行しているのは日本と米国だけだ。その米国でも近年、州ごとに廃止の動きがあり、50州のうち18州が廃止した。

 刑罰のあり方は各国が決めることである。しかし、民主的な価値を日本と共有する国々が、死刑のない社会を選んできた過程から学ぶことは多いだろう。

 英国では死刑執行後に真犯人が名乗り出た誤判事件をきっかけに65年、死刑の執行を停止し、98年に全面廃止した。

 日本でも、一度死刑が確定した袴田巌さんの再審開始を昨年静岡地裁が決定し、死刑の取り返しのつかなさを印象づけた。

 死刑を廃止した国々で凶悪犯罪が増えたという報告はなく、死刑の犯罪を抑止する効果は実証性を欠くと指摘されている。

 積みあげられた知見や経験を生かし、死刑のあり方と誠実に向き合いたい。