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大石寺は本尊を誇示するために、大聖人の御書を曲解し、弘安2年の御本尊以外は無利益等とは
あの、日顕、日如でさえ、言っていません。日興上人さま以来、居ません。
それは、今回、無理な教義変更を推し進める為の、ねつ造です。
弘安2年の御本尊を、本門戒壇の御本尊と仰ぎ、そこに、化儀に則り、正しく信、行を実践すれば
利益が有ると、能生の根源と日寛上人も文段でしめされたのです。
その上でならば、家庭の御本尊も、寺院の御本尊も、勿論、会館の御本尊も功徳は同じだと言う事です。当たり前ですが、大誓堂の御本尊も特別な訳では無いんですよ。
如何に大聖人様、御真筆でも、その様に捉えない、曼荼羅は功徳が無いと。
事実、身延は曼荼羅を本尊と思って居ないのが殆どです。
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