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老いてからの劣等感(コンプレックス)ほど、本人を傷つけるものはありません。
仕事の関係で、本日は寝ないで時間軸の調整をしているので、私の折伏相手の話を書きますね。
中学時代からの友人で、もう40年以上の付き合いとなっていました。昨年の2月に携帯電話の留守電に「あのな~、俺、今、病院に入院して忘れ物したんだよな、お前にお願いしていた事でな~、いや間違っているかな?あれ、お前だれだったけ?」というメッセージがあり、それも病院の一般電話からの留守電でした。友人の携帯電話はお客様のご都合で通話出来ない状態。私は福島・仙台での長期出張のため、数ヵ月後に地元へ戻り彼が入院していたという病院も既に転院しており不明、そして彼が住んでいた住居も取り壊されて更地となっていました。何があったのか?
21歳の時、彼が間借り貧乏生活をしていた私の部屋を訪れ、「○○、おれね、おやじの酒屋を継ぐことにしたんだ、コンビニをやろうと思う、候補は2つあって云々」、彼は熱心に語ってくれたので、信心の話も含め深夜から朝まで語りました。彼は進学高校に入学したものの、授業に付いていくことが出来ず、高校卒業後、ホテルで皿洗いをしながら遊びまくっていました。大学進学を否定して、俺は自分で稼いで生活すると街でたまたま会った時に語って以来のことでした。
その後、コンビニに変えたことにより、家業の酒屋は隆盛して、たまたま道路区画整理の立ち退きもあり、高額な補償を行政から受けて、建物も新築して順風な生活となりました。当然、信心の話は聞き入れず、同じ区画整理で立ち退きになる喫茶店のママと結婚すると騒ぎ出し、そのわがままを通して結婚。数年後に離婚(このママは初めからヤクザの金づるで喫茶店の雇われママをしていたようで、離婚に際しても高額な要求をしていました)。それから十数年後、大規模店舗法改正で競合するコンビニが林立して、収益が激減。コンビニを廃業して1階店舗部分をラーメン屋と喫茶店、雑貨店に間借りさせることになりました。しかし、父親が高齢で亡くなり、母親も数年後に逝去、ひとりとなって店舗貸し収入で生活をしていましたが、酒に溺れる怠惰な生活となり、精神疾患(うつ病)を50代後半から患い、糖尿病の合併症から排泄も困難になり介護状態となりました。そして平成26年2月に認知症で施設へ入院となりました。
自民党の区青年部長も歴任した彼でしたので、人脈をたどって施設を確認して面会に行き、昨年の11月にやっと会うことが出来ました。しかし、彼は私を覚えていませんでした。しかし手を握りながら、彼の目が怯えていたことを理解できました。何を怯えていたのか?ひとつは「死」であり、もうひとつは、あの21歳の時に私に語った事実です。それはホテルの皿洗いをやっていた時代に年上の女性と関係が出来て妊娠させ、中絶させて精神障害者にさせたという記憶でした。彼が喫茶店のママと結婚すると言ったときも、「お前、責任取らなきゃならない彼女がいるだろうが!」と私は強く言いましたが、そのことには触れず「俺は、喫茶店のママが大切な存在だ」などと逃げるように語り、昔の話を掘り返されることを拒絶していました。
彼の畏れは「自分の死」と「妊娠させ逃げてあるき、迷惑をかけ精神障害者になった元かの」。
老いてからの劣等感(コンプレックス)は、かくも自分を追いやるのかと深く考えさせられました。囚人番号374919号は、こんな繊細な感情もないでしょうから、未だにすぐ股開く対象物を探しまくっているでしょうが、60代、70代、85歳でも痴漢行為やって捕まる元気な老人もいるようですから、死ぬまでミミズ千匹を夢見て、悪辣に生きていくのでしょう。
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