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釈尊は、悪魔の言葉に耳を傾けられた。
《なるほど、悪魔の言う通りである。確かに大丈夫だ。私がいなくなっても、彼らはやっていけるだろう》――。
釈尊はそう考えられた。
「悪魔よ、汝の言う通りである。されば、われは入滅しよう」
「その時期は、いつだ」
「いまから三ヵ月後――」
「よし、わかった。お前はいまから三ヵ月後に涅槃に入る。約束したぞ。忘れるな」。
その瞬間、大地は六種に震動する。地震にびっくりして阿難が駆けつけてくる。
「世尊よ、この地震の原因は何でしょうか」
「阿難よ、私はいま、悪魔に向かって宣言した。
《いまから三ヵ月後に、入滅に入る》と。私の宣言によって、大地は震動したのだよ」
「世尊よ、世尊は涅槃に入られるのでございますか・・・・、どうか世尊よ、思いとどまってください。
世尊はいつまでもこの世にあって、われらと衆生をお導きください」
「阿難よ、そなたのその願いは遅すぎたのだよ。そなたはもっと前に、その懇願をすべきであった。
私が入滅を宣言してからでは、どうにもならない。これはそなたの過失である」――。
釈尊は厳しく阿難を叱責された。うなだれる阿難・・・・。
これが「大般涅槃経」で語られている釈尊入滅の理由です。
ともあれ、小乗経典は、そのように説明しています。
この小乗経典に描かれた釈尊の死の理由を聞いて、皆さんはどう思いましたか。
ここで気付くことは、すべてを阿難の過失にしてしまっていることです。
これら小乗経典に示されている内容は、師である釈尊の言葉があまりにも回りくどく、謎かけのようにも見えるし、
まるで阿難を陥れんがために作られた話のようにも見えます。
一方、のちに興起した大乗仏教徒たちは、いままでの既存の仏教を「小乗仏教」として位置付け、
釈尊の説いた法を中心として「永遠の仏陀」を訴えていきました。
そして彼らの行き方、ものの考え方に真っ向から反対の意見を表明していくのですが、
それはひとまず置いておきます。
いずれにしても釈尊は入滅しました。そこでまずやることは釈尊の葬儀です。
そしてその葬儀は釈尊の遺言に従い、在家信者が執り行うことになっていました。
出家した弟子たちには「怠らず修行を勤めよ」――これが釈尊の遺誡でした。
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