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【偉大なる死――涅槃について】6/19

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 2月10日(火)16時45分56秒
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  ただ、誤解してほしくないのは、迦葉が釈尊入滅直後、
ただちに第一結集をやったことの意義は十分にあると思います。

事実、弟子が言行録を集成し、
しかもそれが人類三千年の文明に欠くことのできない源流となっていたのですから――。

しかし、見方を変えれば、迦葉の経典結集の呼びかけに対して、
それに反対する考え方も同時にあったのではないかという捉え方です。

こういう場合、たいていの人は「白か黒か」という発想になりがちですが、
甲と乙と、どちらの意見が正しいか――といった捉え方ではなく、
甲も乙も正しいことがあり、逆に甲も乙もまちがっている可能性だってあるのです。

つまり、迦葉も正しいけれども、迦葉に反対する意見だって同様に正しい、といったこともあるということです。

なぜ、こんなことを考えるかというと、二回目に行われた仏典結集は釈尊滅後・百年後とされていますが、
この前後から仏教教団は、出家者を中心とする「上座部」と、在家信者を中心とする「大衆部」に分裂していたからです。

釈尊滅後百年といえば、師匠から直接指導をうけた弟子はすべて死んでいるでしょう。

滅後百年も経てば誰も実際の釈尊は知らないわけです。
釈尊の在世時代から数えて四代目から五代目の世代によって教団が運営されていたと思われます。

当然、時代の状況も変わっていたでしょうし、生活様式やそれを取り巻く環境もちがっていたでしょう。

そうした中で、釈尊の遺訓や教義に対しても、
時代に合わせたさまざまな解釈論が出てくるのはやむをえないと思います。

そして、なによりその解釈の土台となる経典は文字で興された経典でしか判断できないという事実です。

その経典の解釈論に端を発して第二結集が始まったのです。
それは、ヴァイシャーリー都城にあったヴァッジ出身の弟子たちが
「十か条(十事)」にわたる戒律の新たな解釈を主張したことがその原因でした。
 
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