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(無題)

 投稿者:迷いひと  投稿日:2015年 2月10日(火)22時37分31秒
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  蜜月が故の擁護であったいう詭弁 【再掲】   投稿者:管理人   投稿日:2015年 2月10日(火)14時26分58秒 i60-34-192-122.s42.a014.ap.plala.or.jp   返信・引用


   恩師、青年訓に云く『第一は、無智の者に永遠の生命を教え、日蓮正宗の本尊の絶対無二なる尊貴を
知らしめて、功徳の大海に思うがままに遊戯する、自在の境涯を会得せしむる為に、忍辱の鎧を著(き)、
慈悲の利剣をひっさげて戦うのである』と。

仍って御隠尊猊下に曰く『したがって(創価学会の)八百万世帯にいたる大折伏は、戸田氏の清浄な、
正法を護る気持ちの中から行われたところであり、その中から皆様方が現われてきたのであるという
事をはっきりと見定めるところに、創価学会に縁のある方々が、創価学会の存在理由とその経過、
すなわち正しい仏法の流れを正しく知る所以があると思うのであります』と。

                       (平成4年3月29日 法華講連合会壮年部大会)

さて、今もって学会本部には、昭和26年5月19日御書写の日昇上人の常住御本尊(脇書・大法
弘通慈折広宣流布大願成就 模刻)が安置されているのは承知のとおりである。

つまり、此の御本尊は、お前らが昨今言う処の『「宗門との蜜月時代」に下付された御本尊』という
事にもなる。而して、此の常住御本尊が日蓮正宗から御下付された時、応に創価学会は第二代会長・
戸田先生大号令の下、会員一丸となって大折伏戦を展開していったのである。

しかし、今の小学会員は、それら恩師の忠魂の戦いをして『宗門と仲が良かったから』などと軽口を
叩くのである。哀。

そうか。其れは真(まこと)の事か。果たして当時、恩師が御本山と仲が良かったから、宗教の根本
尊崇たる本尊に於いて、其の大信心を全うし、その御本山への忠烈を会員に入魂したとでも言うのか。

其れは真(まこと)の事であろうな。而してもし、その論拠が崩れたならば、お前ら小学会員は、
其れこそ恩師戸田先生の大信心に唾する、まさに忘恩の似非会員である事を、此に証明されるので
ある。よろしいか。

本より、其の破折の論点は唯(ただ)一つ。

つまりは、御本尊を下附する日蓮正宗と、その御本尊を下附される創価学会、という破門以前の関係、
つまり、其れら正統・富士門流に於ける御本尊授与の大義が、総本山と信徒団体という関係に於いて、
其の真義が受動的に変化してしまうものであるのか、という一点である。

果たして、僧俗による蜜月の関係、つまりは対人、対組織の関係に於いて、其の両者間の良悪が、富士門
七百年来の根本たる本尊義を左右し、其の正邪さえも司ると言うのか。

小学会員よ。其れは違うであろう。

応に法の正邪、つまり本尊の正邪こそは、其の関係の良悪を超越するものである。

その様な事、大聖人と大進房、否、日興上人と波木井実長との関係を観れば、容易に判るというもの
である。

よいか。今一度言おう。

御本仏・日蓮大聖人から相伝された日興門流の御本尊義は、それ以降の僧俗関係の善し悪しによって
変化させられるものではない、いや、その本からして変化するものではないという事である。

仍って、曾(かつ)ての創価学会が富士大石寺の信仰に忠実であった事は、決して当時の信者による
「良好な関係」によって為された事ではなく、其れは応に、信者による「確たる信心」によって為された
ものなのである。

関係が良好であるから信ずるのではなく、信ずるが故に関係が良好となるのである。

其れをお前ら小学会員は、今に於いて『蜜月だったから、宗門を守っていただけ』などと嘯(うそぶ)く
のである。

ったく、何という言い草であろうか。

云うまでも無く『日蓮大聖人の真実の教えは、独一本門といい、文底秘沈というも、みな一閻浮提総与の
三大秘法の大御本尊を根本とした教えでなくてはならない。今日末法に於いては、富士大石寺にこそあれ、
他にはないのである』との恩師の大指導は、決して宗門への世辞でもなく、其の関係を維持する為の美辞で
もないのである。

したがって、当時の事をして『宗門との蜜月を堅持する為に、富士大石寺の法義を守って来た』など
という言い分は、応に好嫌の領域に於いて、其れこそ信者の都合によって宗門を擁護してきたという、
まこと恩師の御本山に対する忠烈に唾する詭弁であると小生は此に断言するものである!

上記の如く、文底秘沈・独一本門たる法義は、本より七百年来、富士大石寺に連綿されて来た法義で
あって、決して他門にはないのである。まして、昭和になって設立された在家団体に有ろう筈(はず)
も無いのである。又、だからこそ恩師は、創価学会の会長として御自らの口から『創価学会に君らに
信心してもらうものなんか何もない』、つまり、創価学会としての教義などは、其の元からして無い、
と申されたのである。

而して、創価学会の会長が会員に対し『学会に君らに信心してもらうものなんか何もない』などとは、
其れこそ学会の会長として、御本山に対する絶対的帰依が有ったればこそ言える指導であって、現在の
お前らが言う様な、世辞でも、妄言でもないのである。まして、会員に嘘を付いていた、などとは、
とんでもない事であり、其の様な事は絶対に無いのである。

ったく、何で法華講員の小生が、お前ら創価学会員に、恩師の大信心を今にして教えなければならないのか。
つまり、其れだけ、今の学会員は、外道信者に成り下がってしまったと云う事なのである。

哀笑。何とも情けない限りよのぉ。

よろしいか。何度でも言おう!

本門戒壇の大御本尊を厳護する意味に於いては、宗創に於ける関係の良悪によって、その正義の価値が
変動するなど絶対に有り得ないのである!

仍って恩師に云く『誰がなんと言おうと、誰がどうあろうと、私は総本山に御奉公の誠を尽くし、
猊下に忠誠を尽くし、広宣流布のため、今こそ死身弘法の実践を、この佳き日に誓うものであります』

と。

而して此の恩師の大誓詞は、応に日蓮正宗第六十四世・日昇上人の御在時になされたものである!

まさに今、お前らの本部師弟会館に安置されている常住御本尊。其の御本尊を認められた日昇上人に
対し、恩師戸田先生は、その大信心に於いて忠誠を誓われたのである!

其れを今になって『宗門との関係を維持する為に、学会はその法義を守って来ただけだ』などと!

お前らは其のセリフを恩師の墓前で言えるのか!!

ったく、宗教の根本尊崇に於いて、曾(かつ)て、とか、今とか、そういう次元で立て分けるなどは、
彼の立正佼成会が本尊を変更する度に用いた、会員を欺く為の詭弁とまったく同じではないか!

今は険悪の仲であるから、今まで遵守してきた仏法義は蜜月時代の過去の法義なのであって、現今の
険悪な関係に於いては、其の法義は我々には通用しない、などという屁理屈は、抑も、日蓮大聖人の
仏法からして有り得ない話である!

よいか! 良好であろうが、険悪であろうが、元から在る正義は正義なのである!

又、其れだからこそ、法華講総講頭でもあられた恩師・戸田先生の信心指導が、今以って我ら日蓮正宗
信徒の正信に響き渡るのである!

応に是れこそ、僧俗に於ける組織体制の変貌が如何に為ろうとも、大聖人の仏法、就中、富士大石寺の
法義は今昔に於いて些かも変節しておらない証拠なのである!

よいか!

其れら事実をして『破門以前は蜜月だったから、富士大石寺の法義を仕方なく守っていた』などと、
今になって其れを本性にするなどは、応に恩師戸田先生の大信心に対する冒涜である!!

ったく、詭弁を弄するものではない!

果たしてお前らは、それら詭弁の罪悪を心の中では判っておるから、未だ創価作成本尊から日蓮正宗
御歴代上人の判形を抹消し切れないのであろう!

違うか!!

反論あるなら申してみよ!!

当に恩師の御遺訓を破ったのは池田である!!
而して、今以って残留する創価学会員も同罪である!!

言うまでもなく、恩師は本よりの日蓮正宗の信徒であった!
そして日蓮正宗法華講総講頭の御立場で其の生涯を全うされたのである!

仍って小生は、其の恩師の赤誠に裏切る事なく、昔も今も変わらずに日蓮正宗の信徒と成っているの
である!

果たして現在、恩師の指導どおりに実践しているのは小生か!
其れともお前ら小会員か! 最早、その様な事は火を見るより明らかであろう!

本より小生は、今もって富士大石寺に忠誠を尽くし、其の不変たる決意を、総本山に眠る恩師の御霊に
御報告申し上げるのみである!

恩師云く!

『誰がなんと言おうと、誰がどうあろうと、私は総本山に御奉公の誠を尽くし、猊下に忠誠を尽くし、
広宣流布のため、今こそ死身弘法の実践を、この佳き日に誓うものであります』と!

果たして一体、どっちが、恩師の御遺訓に従っておるのか!
今こそお前ら小会員は、己(おのれ)の信心の姿を見つめるべきである!

思えば昨年、御逝去された柳沢元総講頭が『私が死んでから、50年後に戸田さんが出現するでしょう。
その後、私が生まれ出て御奉公させて頂きます』と、月例登山に参加された同志から聞くに及び、
まこと、恩師の大信心は、今もって法華講員の鏡であると、改めて此に確認した次第である。


     妙法の広布の旅は遠けれど

      ともに励まし ともどもに征(ゆ)かなむ


今以て、大講堂の正面左手に建つ、恩師戸田先生の歌碑を詠む時、真の学会精神は、我ら旧創価学会
青年部にこそ伝持されているのであり、其の打ち捨てた現今の組織などは、其れこそ波木井実長こと、
池田太作と、民部日向こと、離脱僧侶の禿人が蜷局(とぐろ)する組織であり、其れこそは富士大石寺
御開基、日興上人が打ち捨てた、彼の身延山に同ずるものなのである。

さても、お前ら現創価学会は、いずれ古参会員の消滅を待って、応に其の作成本尊から御歴代上人の
御判形を抹消し、其の場所に池田太作の花押を入れるのであろうが、応に其の時、池田創価学会は、
真の邪教たる新興宗教として、恩師が構築せし創価学会と決別し、見事、其の教義に於て、魂の独立を
果たすのである! 而して、真の魂の独立こそは、彼の創価大の宮田が提唱する『日蓮本仏排斥論』に
創価学会が同調し、遂には『池田大作書写本尊』を有して『凡夫本仏論』に教変すると聞き及んでおる。
して、その前兆なる証拠が『日蓮本仏排斥論』に対する黙認なのである。呆。

さても恩師をして詭弁の徒と侮言する学会員よ!
さても恩師をして両舌の徒と悪口する学会員よ!
さても恩師をして無知の徒と悪口する学会員よ!

お前らは、須らく、日蓮大聖人の御教示に違背する、邪宗邪義の徒輩である!!

                                      【平成二十五年 記す】

 
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