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御書を、読む際に、鎌倉時代も含めて、その他、平家物語や、その他の歴史書も、読まれてると
思いますが、封建社会が、どの様で、また、鎌倉幕府滅亡後、大聖人様、ご指摘通り、一国謗法が、どの様な、状況に成ったかを、群雄割拠、勇ましい武家、戦国大名の陰で、庶民が、どれ程、塗炭の苦しみを味わったかを想像し、また、その時代、日蓮正宗と名乗る以前、大石寺の、わずかな僧侶が、どの様に、未来に法を伝えようと思ったかに、思いを至さないと、現代の、感覚で考えると、見誤りますよ。
批判はしませんが…あえて…
南条家…上野賢人と大聖人さまが称えた赤誠は分かりますか?
熱原の法難で、日興上人を、支えたのは誰か?静岡は鎌倉幕府直轄御家人の多い地、そこで、大聖人様の教えを信受し続ける事の、困難さ。
日興上人が、なぜ、波木井の身延を、最初、選び、大聖人様が地頭謗法なら身延を捨てよ…と言われたか。
今の身延山の境内地は後年のもの。大聖人の御身守るには、南条家の土地よりも、日興上人様、止むおえず選択されたんだと思いませんか?
事実、身延で認められた御書を、拝す時、波木井が大聖人様を外護したと思いますか?
身延山中の過酷さは、涙が出ませんか?
それから、小松原の法難ですが…佐前佐後は分かりますか?
それの前に、熱原の法難の、難を受けた方の違いは分かりますか?
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