|
|
大御本尊、創価の、今の、狂った論理では無く(笑)
身延の過酷な環境に、大聖人さまと離れて、四十九院周辺に、静岡に日興上人さま、教線拡大しに、大聖人さまの命を受け、後ろ髪引かれる思いで、川伝いに、身延の剣、山々を下りて、途中、南条家の領地に、立ち寄り、大聖人さまの状況を伝え、だから、日興上人さまお留守中、南条時光、自身の生活も、大聖人さまの教え、信受したが故に、幕府御家人から干される中、御供養して…その御供養の品々、御書を読んで下さい。真心とは何か?
日興上人さま、熱原で、みんなを励ましながら、大聖人さま心配で、また、身延の山中戻る、道すがら、熱原の状況を、南条時光に伝え、自身が熱原、離れる間を、時光に、農民を守る様にお願いしたんです。
携帯電話も、電車も、車も無いんです。
その様な中で、一切衆生を、救う為、出世の本懐を遂げられて、弘安2年の、本門戒壇の大御本尊、お認めに
成られたと、捉えないなら、佐渡始顕御本尊含め、その以前にも大聖人、初期の御本尊、その他の御本尊と違いが分からない訳だな。
|
|