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おはようございます。
昨夜の書き込みについての皆様のご意見、ありがとうございます。
第二次宗門問題発生時、僕は高校生になったばかりでした。
どうして日蓮正宗は、世界に仏法を広めた先生を攻撃し、学会を破門にしたのか?
どこかに狂いがあったんじゃないか?
そんなことを考えて、少しずつずっと研鑽を続けてきました。
「人間革命」「御書」をはじめ、「富士宗学要集」、「牧口全集」、「戸田全集」、「仏教哲学大辞典」、「地涌全巻」などなど、あらかた高校生から大学生時代に読破してきました。
生後一か月でお寺でいわゆる「ご受戒」を受けた僕の宗教的思想は、いわゆる「大石寺教学」と「学会教学」に完全に染まりきっています。
ひょっとすると、骨の髄まで蝕まれているかもしれません。
「それで本当にいいのか?」という思いがあり、近年は自分なりに自門・他門の研究論文にも目を向けて、思索の幅を広げているつもりです。
「我見」
そう受け取られても結構です。自分の頭で学び、考える道を選びましたから。
ただ、個人としてはそれでいいと思うのですが、学会員としてはこれでは困るのです。
教義とは申すまでもなく、宗教にとっての「土台」なんです。
いかに巨大で壮麗な建造物を建てたとしても、拠って立つ土台の地盤が脆弱なままで、打ち込んだ基礎が浅いものでは、いつかは簡単に、そしてあっけなく崩壊してしまうのです。
その点を本当に心配しているのです。
その心中をお察しいただければ幸いです。
うららさんへ
覚えていてくださいましたか?恐縮です。
その方はおばあちゃんです(笑)。今年も新年勤行会でお元気なお姿で参加されてました。
多宝の大先輩皆様のご健康とご長寿は、胸中いつも祈ってます。
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