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師匠であった釈尊の言行録――。
弟子一人一人の心の中に刻まれ、それを記録した文書。
これが小乗経典です。
小乗経典は、迦葉の呼びかけに賛同した人たち「主流派」がその立場で編集された経典です。
そこには表面上、主流派の主張しか書かれていません。
だから反主流派の主張はその行間から探る以外ないのです。
経典の解釈論に端を発して「第二結集と根本分裂」が始まるきっかけを
作ったヴァイシャーリー都城に住むヴァッジ出身の弟子たち――。
「大般涅槃経」の舞台ともなり、後に大乗部が興起した地といわれるヴァイシャーリー都城は、
自由な商業都市として発展し、政治形態も五つの種族から代表者を出して、
民主的な共和政治が行われていたことは先に述べました。
例えていえば、日本でいうところの首都がある関東に対して
商業都市の関西に位置するようなところです。
仏典には、この都市に住むヴァッジ族のことが記録に残っています。
それによれば、釈尊入滅の数ヶ月前、王舎城の鷲の峰にあって、
釈尊は仏教教団の未来を予言するかのような話をしています。
その話のきっかけは、マカダ国の阿闍世王が釈尊のところに大臣を派遣してきて、
ヴァッジ族を征服するための戦争をやっていいものかどうかを問うてきたことに始まります。
先ほども触れましたが、
ヴァッジ族というのは商業都市ヴァイシャーリーという都市国家を築き、大いに繁栄していた氏族です。
マカダ国の阿闍世王は、このヴァッジ族を征服することによって、
ガンジス河北岸一帯にわたる広大な地域の支配権を確立できるのです。
当時、大いに発展しつつあったマカダ国にとって、
ヴァッジ族征服戦争は、いつかはなさねばならない戦争でした。
ただ、その時期に関しては、いまが適当か否か、阿闍世王にも自信がなかったのです。
そこで大臣を送り、釈尊の判断を仰ごうとしたのです。
あるいは、もしかしたら阿闍世王は釈尊からヴァッジ族の動向に関する情報を得ようと考えていたのかも知れません。
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