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釈尊はヴァッジ族のあり方を語り、大臣が釈尊の真意を了解して去ったあと、
阿難に命じて王舎城にいたすべての修行僧を集め、ヴァッジ族の七つの長所を参考に教団の運営方法について
「合議制」の訓示が記録に残っています。
要するに、釈尊が言いたかったのは入滅後の教団運営は「合議制」で運営しろということです。
この仏教の歴史を見て思うことは、仏弟子(地涌の菩薩)の「勝負観」とは、どうあるべきなのかということです。
現代社会は三千年前と違い、あらゆるものが専門化され、
記録・情報手段・変化・移動・意志疎通等のスピード感が格段にちがう時代です。
釈尊滅後、百年の時間をかけて根本分裂が興っていますが、
今ならそういう状況になった場合、良くも悪くも物事の進展はもっと早いでしょう。
日興上人の時代において、五老僧の師敵対に対する闘争は、
熾烈を極めた命懸けの戦いだったことが想像できます。
五老僧は、師匠の珠玉の指導をすき返しにしたり、
かな文字で書かれた御書を「師匠の恥辱」であると言って火に入れました。
日興上人は日蓮大聖人が入滅した後、師の正義を護るために、
半世紀(五十年)もの間、生きて生きて生き抜いて、師匠の正義を証明され、
五老僧に打ち勝って「五老僧の大罪」の詳細な記録を、後世の弟子に残しました。
これが日興上人の「勝負観」だったと思います。
なぜそれが七百年後の弟子が理解できるのかというと、
日興上人は勝者だからです。
五老僧との闘争に勝利したからです。
熱原法難期、熱原の地の総指揮官は弟子の日興上人でした。
師匠は、弟子に厳命します。
「伯耆房(日興)よ、戦いに勝つ要諦は異体同心の団結だ(趣旨)」(一四六三頁)――と。
そして、悪は多くとも「悪」が「一善」に勝つことは絶対にできないと訴え、
その道理と方程式を中国古書「史記」を通して教えます。
そしてその結論は「長の一念」で勝負は決まるということでした。
「殷の紂王は、七十万騎なれども同体異心なればいくさにまけぬ。
周の武王は、八百人なれども異体同心なればかちぬ」(同頁)とあります。
なぜ殷の紂王は「同体異心」で団結できずに戦いに負けたのか。
なぜ周の武王は「異体同心」の団結ができて勝利したのか――。
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