|  | また、開目抄に 
 「涅槃経に云く『我涅槃の後、乃至正法滅して後、像法の中に於て当に比丘有るべし。
 持律に似像して少かに経を読誦し、飲食を貪嗜し、其の身を長養す。
 袈裟を服ると雖も、猶猟師の細視徐行するが如く、猫の鼠を伺うが如し。常に是の言を唱えん。
 
 我、羅漢を得たりと。外には賢善を現わし、内には貪嫉を懐かん。
 唖法を受けたる婆羅門等の如し。実に沙門に非ずして沙門の像を現じ、邪見熾盛にして正法を誹謗せん』」(二二五頁)
 とあります。
 
 この涅槃経に描かれた正法を誹謗する人物は誰ですか。
 誰がこのような仏敵を倒すのですか――。
 
 それは
 「涅槃経と申す経に云く『法に依つて人に依らざれ』」(報恩抄二九四頁)
 を忠実に実践している池田門下の真正の弟子以外にありません。
 
 涅槃経には
 「『身は軽く法は重し。身を死して法を弘む』と見えたり」(松野殿御返事一三八六頁)とあります。
 
 また、戸田先生は
 「第三代会長を守れ! 絶対に一生涯守れ!そうすれば、必ず広宣流布できる」と遺言されました。
 
 これらの師子吼を心に刻む弟子ならば、いったい何を守るのか、何を継承するのか――。
 この問題について再度、確認し合い、考える事がもっとも最重要の課題ではないでしょうか。
 
 それには二つの面があると思います。
 
 ――時間と空間に制約された肉体の釈尊。
 
 ――時間と空間を超越した法としての釈尊。
 
 当時の在家信者たちは、釈尊の遺骸を荼毘に付し、それを仏舎利にして受け継ぎました。
 
 一方、出家者たちは釈尊の法を継いだ。しかし、百年も過ぎると根本分裂が起きます。
 それは法の解釈論がことの発端でした。
 そして、小乗部たちは「法の訓詁註釈」に縛られ、民衆から離れていきました。
 
 それに対して、大乗部たちは「法の依義判文」を展開しながら、民衆に仏法を弘め、
 仏法を哲学的に昇華させ、釈尊の精神を守り継承しました。
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