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【偉大なる死――涅槃について】16/19

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2015年 2月11日(水)09時26分38秒
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  池田先生は「二十一世紀の創価学会」の未来を担う指導者を育成するために、

一九六四(昭和三十九)年六月の男子部幹部会において、
青年部に、新たに「高等部」「中等部」の組織を設置することを発表します。

そして、一九六五(昭和四十)年一月十五日、高等部・中等部の全国各地で部員会がもたれ、中等部はこの日が結成の日となりました。

この当時のことが、小説「新・人間革命(鳳雛)」第九巻に描かれています。
これを最後に見ていきたいと思います。

先生はその鳳雛たちに、自身の本門の活動の決意を披歴してこう語りました。

「師匠と弟子というのは、『針』と『糸』の関係にあります。師匠が『針』、弟子は『糸』です。
針は着物を縫う時、先頭を切っていきますが、最後は不要になり、後に残った糸に価値がある。私は針です。

最後に広宣流布の檜舞台に立つのは皆さんです。
諸君のために、完璧な布石をしていくことが、私の本門のなかの本門の活動であると決意しております」――と。

そして、ベトナムと韓国の、二人の青年革命家(殉教者)の姿を紹介し

「もちろん、私は皆さん方には、そんな苦しい戦いは絶対にさせません。
体を張って守り、苦労は全部、私が引き受けていくつもりでおります。

ただし、広宣流有の決意という面では、殉難の覚悟が必要です。
遊び半分では、尊き世界の平和を築くことも、不滅の民衆の時代を開くこともできない。

広宣流布の活動というのは、権力の魔性との厳しき戦いであり、人生をかけた、断じて負けられぬ、
真剣勝負の戦いであることを、申し上げておきたい」と結びました。

その後、池田先生は、高等部長に御書講義を開始する旨を伝えてこう語ります。

「高等部員の大多数は、いわゆる『学会二世』で、親が先に入会し、いつの間にか、
自分も信心をするようになっていたというメンバーであった。

したがって、信心で生活苦や病苦を乗り越えたといった、
自分自身の体験をもっている人は少なかった。

そうした世代が、仏法への確信を深めていくには、教学を身につけることだ。
教学という理は、信を生み、高められた信は、さらに仏法への理解を深めていくからである」

と、高等部員の本格的な成長を図るために、池田先生は御書講義を行う決意をしたのです。
 
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