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公式ホームページからちょっと引っ張りますね。
ここの皆様方には『釈迦に説法』というもんかもだけど、おさらいということで。
http://www.sokanet.jp/kaiin/kisokyogaku/hori/04.html
一念三千の法理 十界(3)四聖|創価学会公式サイト
>声聞界とは、仏の教えを聞いて部分的な悟りを獲得した境涯をいいます
お互いに真面目な信仰者、という前提ですが。
なんでこういうトラブルになるのか。
お互いに相手に『声聞界』に共鳴してないせいなんですよ。
『声聞界とは、仏の教えを聞いて』とある通りで、互いに相手が『仏』と感じられていないとこうなるんです。けどまぁ実践的には『仏』とまでいかなくとも『菩薩』を感じることでトラブルはかなり軽減されますけどね。『菩薩』もまた『声聞』より高い境涯であるからだけど。
タチの悪いのが『縁覚』になるけどね。
>こうした「自分中心」の心があるところに二乗の限界があります
説明には無いけれど、『増上慢(道門増上慢)』に陥りやすいのが『縁覚』なんです。
お互いに相手から『増上慢』を感じてしまうから『仏ではない姿』『菩薩でもない姿』と直感してしまう事で『本能的に拒絶』という反応になってしまうんですよ。
ぶっちゃけ
『理屈が原因ではない』んです。
それとね、日蓮仏法は実に様々な側面から説かれているからね。
『自分の使命』と近い部分から優先して学んでいく流れにならざるえない宿命でもあるんですよ。あまりにも多くの側面があるから仕方ないんです。『凡夫』であって万能ではないからね。
『使命』の違いから理解してる部分に相違が生じてしまうのは仕方ないことだからね。
相手が真面目な心境なら将来に期待して『見守る』ほうがかえって良かったりするよ。
もちろん真面目にやる気が無いとかなら言うべきだけどね。
それでも『菩薩』以上の生命で言うのを基本にしたほうがいいですよ?
とりあえず、相手に理解してもらうには『菩薩』以上の生命で話すのが基本だからf^^;
http://www.geocities.jp/bosatu2015/
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