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グリグリ様、誠にありがとうございます。
最近ですが教学の基本である「人法一箇」という言葉を、よくよく身でわかっていない自分を猛省しておりました。
御本尊を法という面のみでとらえ、いつしか「物(モノ)」として見ている自分に最近気づいたところです。
習慣とは恐ろしいもので、御本尊を人として見る面に違和感を持っている自分に情けなく苦しい思いをしておりました。
>――時間と空間に制約された肉体の釈尊。
――時間と空間を超越した法としての釈尊。<
この言葉がスッと胸に入り、お蔭様で心の違和感が無くなりました。
また、>時間と空間を超越した<とは、生命の永遠性を表現する解りやすいお言葉でもあり感動しました。
誠にありがとうございます。
グリグリ様の論文は、胸にグリグリきますね!
しっかり【偉大なる死――涅槃について】を読み込んでまいります。
さて、会則改定の論議は色々御座いますが、先日このような指摘を受けました。
御本尊は人法一箇である。
ゆえに「御本尊を認定」という言葉が出た時点で気付かなければならない。
御本尊を認定という言葉の一念に、御本尊をモノとしか見ていない最高幹部の一念を。
原田会長と創価学会教学部の教学力は、会則を改定する以前の問題です。
教学の基礎から学ぶべきですね。
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