【阪奈軍團】(1)真田山陸軍埋葬地
- 2015/05/07
- 01:22
皆様、大型連休はいががでしたかっ?
関東地方は、連休全てが晴天で
遠出された方も多くいらっしゃるかと
存じます。
連休中、三等兵はもっぱら東京都下の
調査と家でホームページの制作作業を
しておりましたっ ポリッ
さてさて、今回から5回にわたりまして
阪奈軍團管轄(大阪府・兵庫県・京都府・
三重県・滋賀県・奈良県・和歌山県)の
戦争遺跡をご紹介させていただく
「軍報」を掲載させていただきますっ!
今回は、大阪府大阪市天王寺区玉造本町に
現存する真田山陸軍埋葬地のご紹介を
させていただきますねっ。
真田山陸軍埋葬地は、日本で最初となる
陸軍の墓地として、陸軍省の前身であった
兵部省が、1871年(明治 4)に定めたものです。
当初の敷地面積は28,040㎡に及んでいましたが
1928年(昭和 3)に真田山小学校を建設するため
その規模を縮小し、15,077㎡の敷地面積となり
現在に至っています。
墓地には戦没者・戦病没者・戦中捕虜となった
外国人病没者の方々が埋葬されており、墓標は
4,875基(正確ではないかもしれません)を数え
現存する陸軍墓地の中では最大の規模を
誇っています。
天王寺区玉造本町の宰相山公園に
やってまいりましたっ↓

宰相山西公園側より大阪靖国霊場へ進むと、
墓地の北側にあたる入口部分があります。
この門柱もちょっと怪しい感じなので
当時のものとして掲載しますね↓

この門柱の詳細は判っていませんが、
外側にモルタルが施されており、
その材質が古そうだったので、
当時の遺構と判断しましたが、
違っている可能性も十分にありますっ(汗)
中に入ると、墓標様がたくさんあります↓

墓標様は、花崗岩製で頂上部が四角錐のものが
最も多く見られ、将校・下士官・兵卒などの
階級で区画がそれぞれ分かれており、ここに
およそ47,300名にのぼる方々の遺骨が丁寧に
納められているようです。
墓標様の中には、戦歴や死亡経緯などが
詳細に記されているものがありますが、
その内容は掲載をしないでおきますね。
また、墓地の周りには軍用地境界標が
いくつか残っています。
まずは、南東側です↓

標柱は花崗岩製で、高さは約1.5mと大きく、
かなりの風化が進行していますが、表面は
標柱いっぱいのスペースを使って明朝体で
「陸軍省所轄地」と刻まれています。
続いて、北側の軍用地境界標です↓

標柱は花崗岩製で、下部が埋もれていますが
表面に「陸軍」と明朝体で刻まれています。
北側には、もう1つ軍用地境界標があります↓

標柱は花崗岩製で、下部が埋もれていますが
表面に「陸軍省」、裏側に「境界査定標」と
明朝体で刻まれています。
裏側部分の記載文字ですっ↓

「境界査定標」と刻まれた標柱は
初めて見ましたよっ!
墓地の周囲を歩いていくと、レンガ製の
軍用地境界塀が少しだけ残っています↓

【収録遺構】
真田山陸軍埋葬地
門柱 1箇所
軍用地境界塀 1箇所
軍用地境界標 3本
墓標様 1区域
【探訪情報】
2007.12.08 第1回探訪
2013.11.23 第2回探訪
2014.12.07 第3回探訪
歩数(指数) 約4,500歩(168)
詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますっ★
是非、ご期待いただければ
幸いでございますっ!
なお、別案件でホームページを
更新しておりますので、是非
アクセスをお願い申し上げます↓
祐実総軍 ― 戦争遺跡データベース
ホームページの次回更新ですが、
少しの間、時間を頂戴いたします m(_ _)m
掲載対象の自治体は、以下を予定しております↓
・東京都
西多摩郡瑞穂町
国立市
・埼玉県
本庄市
児玉郡上里町
・茨城県
稲敷郡阿見町
鹿嶋市
鉾田市
・群馬県(いけるか微妙ですが・・・)
太田市
どんな遺構が残っているのか
是非、ご期待くださいませっ!
それでは、明日から(もう今日ですが)
仕事頑張っていきましょうっ!
おやすみなさいませっ Zzz
関東地方は、連休全てが晴天で
遠出された方も多くいらっしゃるかと
存じます。
連休中、三等兵はもっぱら東京都下の
調査と家でホームページの制作作業を
しておりましたっ ポリッ
さてさて、今回から5回にわたりまして
阪奈軍團管轄(大阪府・兵庫県・京都府・
三重県・滋賀県・奈良県・和歌山県)の
戦争遺跡をご紹介させていただく
「軍報」を掲載させていただきますっ!
今回は、大阪府大阪市天王寺区玉造本町に
現存する真田山陸軍埋葬地のご紹介を
させていただきますねっ。
真田山陸軍埋葬地は、日本で最初となる
陸軍の墓地として、陸軍省の前身であった
兵部省が、1871年(明治 4)に定めたものです。
当初の敷地面積は28,040㎡に及んでいましたが
1928年(昭和 3)に真田山小学校を建設するため
その規模を縮小し、15,077㎡の敷地面積となり
現在に至っています。
墓地には戦没者・戦病没者・戦中捕虜となった
外国人病没者の方々が埋葬されており、墓標は
4,875基(正確ではないかもしれません)を数え
現存する陸軍墓地の中では最大の規模を
誇っています。
天王寺区玉造本町の宰相山公園に
やってまいりましたっ↓
宰相山西公園側より大阪靖国霊場へ進むと、
墓地の北側にあたる入口部分があります。
この門柱もちょっと怪しい感じなので
当時のものとして掲載しますね↓
この門柱の詳細は判っていませんが、
外側にモルタルが施されており、
その材質が古そうだったので、
当時の遺構と判断しましたが、
違っている可能性も十分にありますっ(汗)
中に入ると、墓標様がたくさんあります↓
墓標様は、花崗岩製で頂上部が四角錐のものが
最も多く見られ、将校・下士官・兵卒などの
階級で区画がそれぞれ分かれており、ここに
およそ47,300名にのぼる方々の遺骨が丁寧に
納められているようです。
墓標様の中には、戦歴や死亡経緯などが
詳細に記されているものがありますが、
その内容は掲載をしないでおきますね。
また、墓地の周りには軍用地境界標が
いくつか残っています。
まずは、南東側です↓
標柱は花崗岩製で、高さは約1.5mと大きく、
かなりの風化が進行していますが、表面は
標柱いっぱいのスペースを使って明朝体で
「陸軍省所轄地」と刻まれています。
続いて、北側の軍用地境界標です↓
標柱は花崗岩製で、下部が埋もれていますが
表面に「陸軍」と明朝体で刻まれています。
北側には、もう1つ軍用地境界標があります↓
標柱は花崗岩製で、下部が埋もれていますが
表面に「陸軍省」、裏側に「境界査定標」と
明朝体で刻まれています。
裏側部分の記載文字ですっ↓
「境界査定標」と刻まれた標柱は
初めて見ましたよっ!
墓地の周囲を歩いていくと、レンガ製の
軍用地境界塀が少しだけ残っています↓
【収録遺構】
真田山陸軍埋葬地
門柱 1箇所
軍用地境界塀 1箇所
軍用地境界標 3本
墓標様 1区域
【探訪情報】
2007.12.08 第1回探訪
2013.11.23 第2回探訪
2014.12.07 第3回探訪
歩数(指数) 約4,500歩(168)
詳細は、後ほどホームページ内で
ご紹介させていただきますっ★
是非、ご期待いただければ
幸いでございますっ!
なお、別案件でホームページを
更新しておりますので、是非
アクセスをお願い申し上げます↓
祐実総軍 ― 戦争遺跡データベース
ホームページの次回更新ですが、
少しの間、時間を頂戴いたします m(_ _)m
掲載対象の自治体は、以下を予定しております↓
・東京都
西多摩郡瑞穂町
国立市
・埼玉県
本庄市
児玉郡上里町
・茨城県
稲敷郡阿見町
鹿嶋市
鉾田市
・群馬県(いけるか微妙ですが・・・)
太田市
どんな遺構が残っているのか
是非、ご期待くださいませっ!
それでは、明日から(もう今日ですが)
仕事頑張っていきましょうっ!
おやすみなさいませっ Zzz