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ひとつ、がんばってみるか

村上さん、こんにちは。質問と相談をとても興味深く拝見しております。
気のせいか村上さんの話の最後は、「がんばりましょう」で結ぶことが多いように思いました。私は若い頃に友人から、「がんばるというのは無責任な言葉だからよくない」という話をされ、以来「がんばる」という言葉がちょっと苦手になってしまいました。
それが、村上さんの口(文章)から同じ言葉が出てくると、「よし、いっちょがんばってみるか」と少し元気な気持ちになります。不思議です。
人生において「がんばる」ことは、やっぱり必要でしょうか。
(さむらいねこ、男性、41歳、ライター)

「がんばろう」というのは、相手にとって負担になる場合があるんだからとか、僕もよく注意されるんですが、なんかクセになっていて、最後に「がんばってね」とつい自然に言ってしまいます。それでよく「間違ったこと言ったっけな?」と首をひねることになります。でも世の中にはいろんな種類のがんばり方があるわけだし、それほど負担にならないがんばり方だってきっとあるはずだと思うんです。たしかに言葉に気を配ることも大事なんだけど、あまり気を遣いすぎて、自然な言葉が出なくなってくるというのも、それはそれでよくないのかも、と考えることもあります。

村上春樹拝