初めてお便りさせていただきます。
村上さんの小説やエッセイは、ほとんど読ませていただいている者です。今日は、ひとつお話させていただきたいことがあり、メールさせていただきました。
それは、「にんじん」というキャラクターについてです。
僕は『スプートニクの恋人』自体は、数年前に一回しか読んだことがありません。
ですので、細かい部分はもちろん、話の流れ自体もぼんやりとした記憶しかありません。
なのに、あの「にんじん」という少年のことが、ずっとずっと、忘れられないのです。
主人公と手を握るシーンがありますが、それがまるで、自分が「にんじん」と手を握ったかのようなリアルさで、僕の心に残っているのです。僕は「にんじん」のような子供時代を過ごしたわけでもないのに、これは何故なのだろう? と思います。
と同時に、この感覚を大切にしたくて、逆に『スプートニクの恋人』を読み返せずにいるのです。村上さんのなかにも、まだ「にんじん」は生きているのでしょうか?
また、想いが強いからこそ、かえって読み返せない作品というのもありますか?
もしよろしければ、お教えください。お願いいたします。
(山が無いから谷口県、男性、30歳、限りなく無職に近いフリーター)
にんじんのことはすっかり忘れていました。そういえば、最初はあの小説には、にんじんって男の子はまったく出てこなかったんです。でも書き終えてしばらくして、「これじゃ足りない」とはっと思って、急遽にんじんの部分を付け加えました。あの部分を付け加えたことで、小説に厚みみたいなものが出たと思います。違う言い方をすれば、僕はにんじんに助けられたのだと思います。小説にはよくそういうことが起こります。何かが出し抜けにふっと出てきて、作品を救ってくれます。羊男もそうでしたし、カーネル・サンダースもそうでした。『1Q84』の牛河だって、あそこに出てくるとは予想もしませんでした。
村上春樹拝