村上さん、こんにちは。
村上さんはご自身の書いた小説について読者が間違った解釈をしている場合、どういった考えが浮かぶものなのでしょうか?
例えば、何気ない日常を書いたつもりがドラマチックだと思われたり、恋愛について書いたつもりが友情の物語だと捉えられたりすることです。
1つの物語でも読み手が違えばその数の解釈があると思いますが、書き手である村上さんは伝えたいことに反した解釈とはどう付き合っているのでしょうか?
( ヤマゾンビ、男性、23歳、会社員)
僕は小説を書いていますが、その内容に関してきちんと定まった見解を有しているわけではありません。繰り返し述べていることですが、僕の小説をどのように解釈しようと、それは読者のみなさんの自由です。ただ「この人物のモデルはこの人だ」みたいな具体的なかたちの誤解があれば、ちょっとまずいので、「それは違いますよ」と正すことはありますが、それ以外のあれこれについては、僕の方からはあえて口を出さないことにしています。正しいか正しくないかというのは、あくまで読む人一人ひとりの考え方の問題です。小説は数学とは違います。これは正解だ、これは間違いだときっぱり割り切ることはできません。いろんな解釈が集まって、そこにひとつの包括的な解釈が生まれます。そういうプロセスが大事なんです。ですから、小説が出版されてしばらくは、僕はその作品についてできるだけ語らないように心がけています。僕の個人的な意見で、読者から読書の自由を奪いたくはありませんので。
村上春樹拝