村上主義者のひとりです。村上さんの小説ほぼ全て拝読いたしましたが、私が一番好きなのは、『ノルウェイの森』です。多分、20回位読みました。理由は自分でもよく分からないですが、17歳で失われる命や、冷たい雨の降る森と深い井戸や、直子や僕やレイコさんに自分の何かが共振しているのだと思います。そして、緑に嫉妬します。
突然ですが、私は、解離性障害(多重人格)と一緒に生きています。診断がついたのは最近です。それが分かってやっと、自分の記憶が不連続であることとか色々なことが理解できるようになりました。記憶が不連続なのは少し都合が悪いです。人を傷つけても忘れていたりするからです。でも、悪い事ばかりではないです。その場に応じて適役が現れるので結構世の中を上手くわたっていけたりします。あと、村上さんの小説を何度も新しい小説として読むことができます。
でも、20回も読んだので、さすがに『ノルウェイの森』は全員が読みました。そして全員が激しく動揺しました。たった一人、2014年の春に現れた「私」だけが、しずかに『ノルウェイの森』を読む事ができました。この「私」はかなり良くできていて、おかげで2014年は記憶がつながっています。
多分「私」たちはみんなで、冷たい森の中にいる誰かを守っています。井戸の中は見ない様にしています。
いままでの、「村上さんのところ」で村上さんが、「小説を書く事で、自己のゆがみを矯正している。(と書かれていたと思います。間違っていたらごめんなさい)」と回答されているのを読みました。
「私」たちはみんなで、誰かを森のなかから連れ出すべきなのかもしれない。みんなで井戸の中を見るべきかもしれない。
でも、多分そうしたくないのです。外の世界は「私」たちでなんとかするから、誰かは森の中にじっとしていていいよと言ってあげたいのです。
こんなんじゃ、やっぱりだめなんでしょうか?
実は、「ダメです」と村上さんに言われたらどうしようとドキドキしています。いつか、村上さんに伝えたかったノルウェイの森主義者の気持ちを、書けて嬉しいです。稚拙な文章を読んでくださって、本当にありがとうございます。
質問がたくさん来て、大変と思いますが、お体に気をつけてください。
次の作品も楽しみにしております。
(シュピルカス、女性、53歳)
うーん、ずいぶん深いお話なので、お返事をするのがとてもむずかしいです。僕は心理療法家でもなく精神分析医でもなく、ただの小説家なので、あなたの相談に回答をする資格はないかもしれません。でもとにかく、一緒に考えてみましょう。
僕らはそれぞれに自分の深い井戸を持っています。とても深くて暗い井戸なので、中に何があるのかはわかりません。僕が小説家としてやっているのは、井戸の底に強い光をあてることではなく、自分からその井戸の中に、暗闇の中に入っていくという作業です。井戸の底まで降りて、そこにいる誰かに会います。その誰かというのは、たぶん僕自身です。というか、僕自身のもうひとつの別の姿(alter ego)です。そして僕はそのような自己との出会いを通して、僕の中にある「歪み」のようなものを少しずつ正していきます。あるいは正そうと努めます。僕はそういう作業をもう35年以上、職業的に続けてきました。そのあいだ僕も刻々と変化を続けていますし、井戸も刻々と変化を続けています。
たぶんあなたも『ノルウェイの森』を読み続けることによって、あなたの井戸の中にいる自分自身(alter ego)と対話をしているのだと思います。井戸をのぞき込む必要はありません。それに明かりをあてる必要もありません。そっとしておけばいいです。ただ静かに対話を続けてください。歪みを無理に治そうとしないように。静かに対話を続けていればそれは自然に治っていきます。
村上春樹拝