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【社説】

不登校対策 学ぶ権利守る視点こそ

 不登校の子どもたちが集う学びの場を教育機関に位置づけ、公的に後押しするにはどうするべきか。文部科学省の二つの有識者会議で枠組みが検討されているが、学ぶ権利を守る視点が最も大切だ。

 不登校の小中学生が年間十万人を超えて久しい。フリースクールをはじめ草の根の学びの場を支援する意向を、安倍政権が表明したのは昨年九月。家庭で過ごす子どもたちも視野に入れてのことだ。

 文科省は今年に入り、不登校施策の会議とフリースクールの会議をそれぞれ立ち上げ、並行して検討を委ねた。六月には中間報告が出る見通しだが、いくつか気にかかる点がある。

 まず前者の議論の行く末だ。不登校を問題視し、いかに未然に防ぎ、どう素早く手を打つかという発想にとらわれがちに映る。あくまでも学校復帰を目指す力学が働いている様子がうかがわれる。

 義務教育とは何か。憲法や教育基本法の定めでは、子どもには学ぶ権利はあっても、小中学校に通う義務はない。保護者が子どもに教育を受けさせる義務を負い、国や自治体がその機会を保障する責任を担うというものだ。

 現実には、保護者が子どもを学ばせられる正規の場は学校のみに制限され、子どもの多様性を度外視した仕組みになっている。そこからはみ出した子どもを問題視して学校に適応させる行為は、学ぶ権利の侵害につながりかねない。

 子どもの個性や能力に応えられるように教育の機会の幅を広げてこなかったのは、戦後教育行政の怠慢といえる。その結果、多くの不登校が生み出されてきたのではないか。こうした問題意識こそ議論の土台に据えるべきだ。

 一方、学校外の学びの場を正規の教育機関に位置づけるにしても、学校と同等の社会的信認や評価が担保されなくては、公費投入に対して理解は得られにくい。

 そのためにも、少なくとも義務教育として行われる普通教育の理念や実践について、学校と認識を共有しておく必要があるのではないか。普通教育とは何か。人間の基礎力とは何か。そうした根本的な議論がいずれの会議でも聞かれないのは気がかりだ。

 さらに、不登校と発達障害との結びつきがよく指摘されるが、科学的根拠を欠いては誤解や偏見を招く。障害児支援を扱うなら障害者権利条約の精神に照らし、多くの障害当事者が加わるべきだ。

 重要なのは、障害の有無ではなく学ぶ機会をどう保障するかだ。

 

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