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【阿比留瑠比の極言御免】憲法前文は「コピペなんです」…改憲、議論の真贋見極めるべし

ニュースカテゴリ:政治・社会

【阿比留瑠比の極言御免】憲法前文は「コピペなんです」…改憲、議論の真贋見極めるべし

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 先日、比較憲法学の権威である西修・駒沢大名誉教授の憲法に関する講演を聴く機会があった。なるほどそうかと納得したり、わが意を得たりと手を打ったりで有意義な時間を過ごせたが、中でも鋭い指摘だなと感心したのは「憲法前文は『コピペ』なんです」という言葉だった。

 「コピペ」とは「コピー&ペースト」の略であり、複写と貼り付けによる丸写しのことだ。最近、学者の論文や学生のリポートが、インターネット上の情報や表現をそのまま流用した安易なコピペだらけだと社会問題化している。

 そのはしりが憲法前文だというわけだ。西氏によると、憲法前文は(1)米合衆国憲法(1787年)(2)リンカーンのゲティスバーグ演説(1863年)(3)マッカーサー・ノート(1946年2月)(4)米英ソ首脳によるテヘラン宣言(1943年)(5)米英首脳による大西洋憲章(1941年)(6)米独立宣言(1776年)−のそれぞれを切り貼りしたものだという。

■「単位」もらえない!?

 確かに、憲法前文の「われらとわれらの子孫のために(中略)自由のもたらす恵沢を確保」「この憲法を確定する」という言葉は米憲法と共通している。

 憲法前文の「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会」という部分は、テヘラン宣言の「専制と隷従、圧迫と偏狭を排除しようと努めている大小すべての国家」とほとんど一緒である。

 また、憲法前文の「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ」という部分は、大西洋憲章の「すべての国のすべての人類が恐怖および欠乏から解放され」の言い回しを少し変えただけだろう。

 これが学生リポートなら、内容以前に剽窃(ひょうせつ)行為は論外だとして単位はもらえないはずだ。西氏は講演で、「GHQ(連合国軍総司令部)がたった1週間で作ったのだから無理はない部分もある」と皮肉ったが、日本がこんな質の悪い盗作憲法をいまだにいただいていることが恥ずかしい。

■「家族」は押しつけか

 西氏の講演で、もう一つ特に印象的だったのが、憲法と「家族」の関係だ。朝日新聞が3月12日付朝刊の自民党の憲法改正草案に関する記事で、次のように書いていたのがずっと引っかかっていたからである。

 「(自民党草案は)『家族は助け合わなければならない』など、党の国家観や価値観が強く反映されている。それが『憲法』としてふさわしいのかどうか考えてみる必要がある」

 これを読んだ際、憲法に新たに「家族」に関する考え方を盛り込むのは特殊なことなのかと危うく錯覚しかけたが、もちろんそんなことはない。

 西氏が1990年2月のナミビアから2014年1月のチュニジアまで、新しく憲法を制定した102カ国を調べたところ、そのうちカンボジア、タイ、ブータンなど87カ国(85.2%)が「家族の保護」を盛り込んでいたのである。

 世界の趨勢(すうせい)がそうだから日本もまねろという気はない。ただ少なくとも、家族という人間社会の基本単位の明記が憲法にふさわしくないとは決していえまい。

 現実の政治課題となった憲法改正をめぐって、今後は国会でもメディアでも憲法論議はますます活発化していくことだろう。どこかで聞いたようなコピペのような俗論に惑わされず、戦わされる議論の真贋(しんがん)をしっかりと見極めていきたい。(政治部編集委員)

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