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土地が細かく分割されれば、当然、歴史の跡や緑の空間は失われていきます。
その代表的な都市が大阪・堺です。「庶民の都・大阪」「自由都市・堺」――。
草創期の関西創価学会において、爆発的に会員数が増えたのも、この二つの都市からです。
兵庫・京都・滋賀・奈良・和歌山に住む草創期の会員も「大阪支部」「堺支部」の出身者がほとんどで、
ここから関西の「師弟直結の信心」のうねりが巻き起こりました。
話は変わりますが、
昔、東京で茶道をやっている友人と一緒に、茶道のカリスマ「千利休」の屋敷跡を見にいったことがあります。
堺市にある千利休・屋敷跡に着いた時、私が「ここが千利休の屋敷跡だ」と紹介すると、その友人は愕然としていました。
なぜ、友人がそうなったのかというと、利休が茶の湯で使ったといわれる「井戸」以外は何もなかったからです。
千利休の屋敷跡には、民家が建ち並んでいました。
かつて権力者と対立し、にらみ合っていた歴史を持つ「庶民の町・堺」――。
そこには、強権的な権力者の史跡と緑の自然は、ことごとく潰されていて、庶民が厳然と君臨していました。
ではなぜ、権力者が自然豊かな環境や空間を作ってこられたのでしょうか。
それは、簡単にいうと、権力者は広大な土地を獲得できたからです。
しかも、ただ獲得しただけではなく、
その広大な土地を何十年、何百年も保持する財力と権力を保っていたからです。
庶民は、広大な土地などは獲得できません。
もし出来たとしても、その土地を何十年も何百年も、保持することなど不可能です。
これは一面から考えれば、江戸時代から明治時代にかけて、
本当の意味での日本から強権者が消えていったと捉えることが出来ると思うのです。
かつて、大名が所有していた広大な屋敷跡も、今ではビルが建ち並ぶ空間となっています。
あの大邸宅を持っていた大名の子孫たちは、それを保持できませんでした。
広大な土地をいったん手放せば、土地は細かく分割され、史跡も自然も消え去っていく運命にあります。
東京の地下鉄マップに描かれた緑の空間は、権力者たちが作りました。
しかし、彼らはそれを自分で保持し続けたのではなく、行政に引き継いでやっと緑の空間として残せたのです。
百三十年前、日本は日本人の手で「封建社会」から「国民国家」へと選択し、変革を成し遂げてきました。
その国民の主役は、まぎれもなく「庶民」なのです。
その「庶民の都・関西」に単身乗り込み、苦悩に沈む庶民を抱きかかえ、
慈しみ、守り、仏法を教え、師弟を打ち込み、使命を教え、師匠直結の関西と讃えられ、
世界の関西と詠われ、関西同志を励まし続けた師匠は、いったい誰だったのか。
その師恩に報いる赤誠の誠があるのなら、関西同志の皆様、団結しよう ! 組織悪と戦おう ! 立ち上がれ !
全国全世界の異体同心の同志と連携をとり、一致団結して、池田先生の築き上げた「人間学会」を守ろう !
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