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【遠藤文書より】
>この面談の折、件の大御本尊問題に言及すると、「内容はともかく」とか、
「答える必要はない」などとして問題の実質について対話を拒否するのは何故か?<
長谷川本部長が頑なに対話拒否していることを昨夜から考えていました。
前回も投稿しましたが、悪く考えれば、権力への迎合、師敵対行為、意気地なし等、色々な意見があると思います。
しかし、もしかしたら「全ては先生の御意志である」と、言いたくなかったからかもしれません。
この言葉を言ったら、弟子としておしまいですから。
弟子が先生を利用し(辞任に追い込み)、学会の組織を守ったのが54年問題です。
今回も根底は同じだと思います。同じ過ちを繰り返してはいけない。
長谷川本部長も、僭聖が誰なのかは知っているはず。
僭聖に飲みこまれている自分も見えている。
しかし、何があろうと先生との金の思い出は消せないはず。
厳しくも温かい先生を、肌で知っているからです。
本部長という役職は怖いですね。
きっと役職を捨てて、一会員、一弟子として先生と向き合えば楽になれるのに。
「無作」が一番強いんです。
長谷川本部長の残りの人生は何の為にあるのでしょう。
あの世には、役職も名誉も財産も家族も何も持って行けません。
先生と同志の金の思い出と、題目だけしか持って行けません。
悔い無き生涯であるように。
どうか、お気づきになられることを祈ります。
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